ブッダの法話の中に「イカダを担ぐ旅人の話」が出てきます。

もしかしたら、一度はどこかで聞いたことがあるかもしれませんが、知らない読者の方のために簡単に説明しておきます。

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ある旅人が、川の向こう岸に渡りたいけれど、橋がなくて困ってしまいました。

旅人は、向こう岸に渡るために、イカダを作ることを決心します。

無事にイカダを完成させて、向こう岸に渡れた旅人は、「このイカダはとても役に立つ。この後の旅にも持っていこう!」と思いました。

すでに川を渡り終えたにもかかわらず、旅人は大きなイカダを担いで移動し始めてしまうのです。

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このお話の中で、ブッダは「イカダ」を自身が説いた「法」に置き換えて、「法」であったとしても、不要になったら素直に手放せと語ったそうです。

多くの宗教の中では、開祖が説いた戒律は絶対であるにもかかわらず、ブッダ はそれさえも不要になったら手放せというのです。

これは本当にすごいことだと思います。

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そして僕は、このお話は決して「法」や「教え」だけに限定されないと思っています。


人間生きていれば、ありとあらゆるものが自分にとっての「イカダ」になりうる可能性を秘めている。

だからこそ、常に自分にとってこの「イカダ」が何なのかは意識し、点検し続ける必要があるのだろうなあと。

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他人がソレを担いで移動していたとしても、あなたもソレを担いで移動するかどうかには、全く関係ありません。

にも関わらず、多くのひとは、自分にとって一度役に立った経験があり、まわりのひともソレを担いで移動しているのを見てしまうと、そこに迷いが生じてきてしまう。


そして、自分にはもう不要であるのにも関わらず「とりあえず、担いで持っていこう!」と決心してしまうのです。

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他者が後生大事に抱えていたとしても、自分も後生大事にしなければいけないのかと言えば、それは全く別のお話です。

やはり何度もこのブログに書いてきたように、「今」の自分にとって「要・適・快」の基準で判断する。そうでなければ、素直に手放すべきなのです。


一度うまくいった手段やノウハウにとらわれないことは、いま本当に大切なことだと思います。

もちろんそこに付随する人間関係だってそうです。

いつまでも同じイカダを背負ったまま、似たような場所をうろうろする必要はないのです。


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2020年、コロナの影響で世の中がガラッと変わったタイミング。

だからこそ、2019年までの自分にとって必要不可欠だった「イカダ」とは何だったのかを考えることは、今とても大事なことだと思います。

そして、そのイカダがあったからこそ、2020年という新たな時代まで無事に渡ってこれたことに対して心から感謝をしつつ、そのイカダにしっかりと別れを告げなければいけないタイミングが、いま多くの方に訪れているのだと感じます。

今年の秋〜冬にかけて、大きな決断をしようと思っている方々にとって、今日のイカダのお話が何かしらの参考となったら幸いです。