みなさん、こんにちは。Wasei Salonメンバーの三浦 希(みうら のぞむ)です。

今回は、Wase Salonブログの場をお借りして、先日(2024年2月16日)に開催された読書会イベント『転職ばっかりうまくなる。はたらくを考えるリアル読書会』のレポート記事をお届けします。

こちら、第一弾では、当イベントの前半部分にておこなった公開取材の模様をレポート。

2023年12月に作家・ひらいめぐみさん が上梓した著書転職ばっかりうまくなる(出版:百万年書房)に関して、ライター・編集者であり、ひらいめぐみさんの夫でもあるわたし・三浦 希 が、3つの質問を軸とした「公開取材」をおこないました。

ひとつめの質問は、「ひらいめぐみが思う、“はたらく” の実感って?」。6回の転職を経て、現在は作家・ライターとして活動する彼女は、本著の中にて、とあるエピソードを紹介しています。

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それは、パワハラ上司に詰められた時に着ていたのが「コジコジ」のTシャツで、その背中には『えっ 悪いの? 遊んで食べて寝てちゃダメ?』というセリフが書かれていた、というもの。思わずクスッと笑ってしまうエピソードのようにも感じられますが、当の本人(ひらいさん)からすれば、別に、ジョークを飛ばしたいわけでもないし、そもそもそんな余裕なんか無かった(きっと当たり前ですよね、仕事ですから)のだとか。

そこで、そもそも、ひらいさんが思う「“はたらく” の実感」の在処が、とても気になったのです。どんなことをしている時に、彼女は「私は今、はたらいているなぁ」と感じるのか。遊んで食べて寝てちゃ、本当にダメなのか。そんなことを聞いてみたいと思い、今回の公開取材を開催しました。

前置きがとっても長くなってしまい、ごめんなさい。残り2つの質問と、その答えについては、ぜひともレポート本文にてお楽しみください。


“文章を書くのって、実感があまりない仕事だよなぁ、って思う”

公開取材は、前述の「ひらいめぐみが思う、“はたらく” の実感って?」という質問からスタート。ひらいさんがおもむろに、あの「コジコジのTシャツ」について語ってくれました。

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ひらいめぐみ(以下、ひらい)
事前に質問案を3つ送ってもらって、確認したのですが、この質問が一番むずかしいと思いました。「実感………? はたらく実感って、何なんだ………?」って。ただ、その答えの前に、ひとつだけ弁明させてください。コジコジのTシャツについて。わたし自身、そもそも、コミカルなテイストのTシャツを着るのが好きなんですよ。前面には3匹並んだ猫が描かれ、背面には彼らの後ろ姿が描かれているようなキュートなTシャツなんかも、よく着ていて。

その理由は、当時の仕事にあるんです。あの頃はたらいていた商業施設では、そこに入っているさまざまなお店の方々とコミュニケーションを取る仕事をしていました。そこで、何かひとつ、会話の “フック” になるようなものがあるといいなぁ、と思ったんです。たとえば、お店の方から『そのTシャツかわいい!』なんて声をかけていただくことも多くて。ひとつの “コミュニケーションツール” として、Tシャツをはじめとした、ちょっとコミカルな洋服を着ていたんですよね。

三浦希(以下、三浦)
それにしても『遊んで食べて寝てちゃダメ?』は、さすがにヤバいだろ(笑)。

ひらい
ちょっとわかんないですけどね〜。話を戻しましょう(笑)。

“はたらく” の実感について、ですね。わたし自身、数々の転職を経て、現在は作家・ライターとして仕事をしているのですが、先日登壇者としてお呼びいただいたトークイベントにて、とても共感できる言葉に出会ったんです。それは『文章を書く仕事には、“仕事” としての実感があまり感じられない』というもの。まさにそうだなぁと感じました。もちろんお仕事としてご依頼をいただけるのはうれしいですし、頑張って文章を書き、納品し、請求書を書き………と、仕事としてのやりとりはこなしているんです。ただ、文章を書くことそのもの、また、文章を書くときにおこなう「向き合う」という行為には、なんとなく “仕事” としての実感を得にくいんですよね。

三浦
それは、すごく共感するなぁ。いわば、“タスクを潰す” みたいなことではないよね、めぐちゃん(普段の呼び方)が文章を書くことそのものって。

ひらい
本当にそうなんだよね。メールを書くことも、同じ「書く」なんだけど、エッセイのような文章を書くこととは、全然違うなぁって。メールを書いている方が、なんとなく、はたらいているような気がする。

三浦
かなり面白いね。エッセイを書くことは、ほとんど、考えること。そこに「仕事」としての実感は、あまりない。一方で、仕事のメールを書くときにはきっと、実質の行為をしているという点での “はたらく” を感じられるのかも。


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ひらい
つい最近、とある執筆仕事のご依頼をいただいたんだけど、その時に『もしも間に合うようなら直近の号に掲載します!』と言ってもらったんだよね。紙の本の仕事。テーマが自由で、字数もキッパリと提示してもらって。で、その締め切りを確認してみたら、1週間だった。たぶん、わたしが文章執筆を生業にしていない頃だったら、受けていたと思うんだ。でも、わたしは「次の号にしていただけますか?」と答えた。1週間では書けないな、って。

三浦
それは、どうして?

ひらい
1週間でも、正直、書けることはあったと思う。でも、そもそも、自分は1週間で書いたものを「仕事」として納得した上で提出できないかもな、と思った。プロとして、しっかり応えたいと思ったんだよね。もちろん1週間で書き上げたものを「プロの仕事じゃない」と言うつもりはないんだけど。なんとなく、責任感みたいなものもあったのかも。その実感が無きゃダメかもな、って。

三浦
文章を書くことに関して、たとえばだけど、「プロであるかそうでないか」の基準が曖昧だと思うんだ。めぐちゃんは、プロの作家になった。でも、そうでなかった時期ももちろんあるじゃない? 当時だったら、その依頼に対して、どんな反応をしていたと思う?

ひらい
そう、そこなんだよね。たとえば、報酬としての「お金」で実感を得ることもあると思う。文章執筆を生業にしようと決める前に、お金をいただいて文章を書いたこともあるんだけど、その時は「お金ももらえて、その上で文章も書けるなんて………!」と感じてた。嬉しいし、ありがたいし、楽しいし、というような。その頃なら、きっと、1週間でも書き上げていたのかなぁ、とか。この質問、本当にむずかしいよ。改めてそう感じる。だからこそ、考える価値があるとも思う。“はたらく” の実感について。


“いつか、これをネタにする自分がいるだろう” の想いを抱いて

筆者のわたくし三浦は、「わかる」とはとても難しいことだと考えています。何もかもを「わかり」切ることなど、決してできない。わかることが見つかれば、たちまち、わからないことが芽を出してくるのだ、と。

それは、 “自分自身” についても、同じことが言えるはず。ひとつの体を持った「自分」が、一番わからないもの。それこそが「自分」なのだ、と。そんなことを考えながら、次の質問『昔の自分にかけてあげたい言葉、ある?』へと、話題を進めます。




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三浦
めぐちゃんは、自身の著書『転職ばっかりうまくなる』にて、自らの転職経験を描いた。6回にわたる転職のなかで感じたこと、抱いた想い、そういったものたちを書き連ねて、一冊の本にした。その本を読んで、ひとつ思ったのが、今回の質問です。『昔の自分にかけてあげたい言葉、ある?』と。実際、めぐちゃん、どう思ってる?

ひらい
そのヒントは、本の中にあります。それでは、30ページを開いてください。

三浦
学校の授業みたいだな(笑)。

ひらい
みんな本を持ってきてくれているの、うれしくてさ(笑)。就職活動をしていた時期の話を、倉庫・コンビニバイトの話の後に書いたんだけど、その頃の自分を思い出したかも。

三浦
その時のめぐちゃんは、どういうシーンを生きてるんだろう?

ひらい
当時のわたしは、いわゆる “新卒採用” といったようなタイミングではなかったようで、転職エージェントに登録した際には、エージェントの人から “即戦力” としての仕事ばかりを紹介してもらってたんだよね。いま思えば、なんでそんな会社ばっかり紹介されたんだ?? って感じなんだけど……(笑)。

三浦
あんまり使いたくない言葉だけど、いわば、実力が無いままに、即時の戦力として活躍してほしい、みたいな。“戦力” って何なんだよな、まったく。

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ひらい
そうそう。エージェントの人から紹介してもらった会社の面接に行ってみたら、もう、ボロックソに言われてさ。「もうなんなんだよ!!!」と思って落ち込みながら歩いていたら、思いっきり転んで、膝から血が出てきて。ボロボロ泣いちゃったんだよね。

三浦
散々だな………。

ひらい
ただ、そんなときに、ふと思ったことがあって。もちろん「なんなんだよ!!!」という感情もそうなんだけど、同時に、遠くでわたしのことを見ている “もう一人の自分” みたいなものを認識してた。もうすでに、遠くの方にいる自分から、言葉をかけてもらっているような感覚というか。

三浦
転んだあの時、すでに声をかけてもらっている。それはすごいな。

ひらい
「いつかこの経験をネタにするんだろうな……」って思ったんだよね。もちろん当事者としてのわたしは、つらいし、しんどい気持ちでいる。嫌でたまらない。だけど、心のどこかで、あるいはすごく遠くの方で、話として面白いなぁと思っている部分もあった。おいしいかもな、って。

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三浦
それって、“おいしいが聞こえる”  ってこと? おいしいな、って聞こえてたってこと?

ひらい
やめて(笑)。ちなみに言っておくと、“おいしいが聞こえる” というのは、わたしがはじめて私家出版で上梓した本のタイトルです。上手いこと言わないでよ。

三浦
ごめんごめん、話を戻しましょう。ネタにできるな、と思えるのってすごいことだよね。

ひらい
早くこの時期が終わらないかな、と思ってた。どうせ過去になるんだから。今までの転職行為も、すべてが過去になったことだしさ。嫌なことが起こる最中でも、過去になることだけはわかっていた。だからこそ、早く過去になってもらって、ネタにできるタイミングを得たかったのかもな、って。今ならそう思うんだ。

三浦
「どうせ過去になるんだから」って、とてもカッコいい言葉だけど、どこか危うさも孕んでいるなぁとも感じるんだよな。辛いことをそのままずっと浴び続けて、堪え続けて、耐え続けていたら、どこかで心の糸が切れてしまうかもしれない。僕は、とある日、めぐちゃんが玄関先で『行きたくない………』と言いながら泣いてしまった姿が今も忘れられないよ。きっと限界なんだろうな、って思った。

ひらい
あれはたしか、『100日後に死ぬワニ』 のワニくんが死んじゃったからじゃなかったっけ………? たぶんそうだよ、たしか、そうだ。そうそう。ワニくんのことを思い出したら泣いちゃうから、この話題は終わりにしよう。ちょっと恥ずかしいし(笑)。


“やりたくてできること” としての、作家・ライター業

公開取材は終盤に差し掛かり、ついに最後の質問へ。筆者・三浦が、作者・ひらいめぐみに、もっとも投げかけてみたかった言葉です。『転職、天職』。この質問パートは、わたしの反省&謝罪からスタート。





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三浦
すいません、ダジャレです。「転職、天職」って、言いたかっただけです。ちなみにめぐちゃんにとって、現在にいたるまでの6社において、“天職” みたいなものはあった?

ひらい
自由が過ぎる……(笑)。この文言を事前に共有してもらったときに思い浮かんだのは、4社目の「本屋」でのことかな。レモンの輪切りや、軽食のためのエビを仕込むような仕事があって。その時、一緒に話していたAくんがふと言ったんだよね。『エビの殻剥きだけの仕事があったら絶対やりたいですよね』って。

三浦
エビの殻剥きだけ………?

ひらい
やっていくうちに、だんだんコツがわかってくるんだよ。同じ作業をひたすらずっと続けると、次第に上手くなっていく。やっぱり、どんな仕事においても、ちゃんと上達したかったり、極めたかったり、そういう気持ちは芽生えるんだなぁと思った。あと、もうひとつだけ、思い浮かんだことがあって。

三浦
それはどんなこと?

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ひらい
出版社でアルバイトをしていた頃、わたしの外部営業に同行してくれた人がいてさ。『平井さんが、腕だけ回して10冊の注文を取ってきました!』と言っていた人なんだけど。その人が、つい最近、“天職” にまつわるメッセージを送ってくれたんだよね。

『天職って、見つけたらずっと変わらないものだと思っていた。固定されるものだ、って。でも、この本を読んで、考えが変わったんだ。“天職” って、徐々に変わっていっていいものなんだ、と思った。時代そのものだったり自分自身だったりが変わっていくのと同じなんだな、って』と。

“天職” って、別に、ひとつじゃなくていいんだよね。「天職とは死ぬまで続け(られ)るものだ!」みたいな言い方があって、その考えこそが正しいものだと思われがちだけど、全然違うんだなぁと思った。「自分が今、この時にもっとも正直になれる仕事」のことなのかもな、と。それこそが、その時の “天職” なんだよな、と思ってさ。

三浦
めちゃくちゃ良いね。すごく良い。“天職” って、変わっていってもいいんだ。というか、むしろ、変わっていくものなんだ。

ひらい
わたしが今携わっている、作家・ライターの仕事だって、“今の天職” でしかないかもね。たとえば特段器用な人なんかは、やりたくないけれどやれてしまうようなことがあったりもするはず。それって “天職” なのかな? とも思うんだよね。私は、そういうことをやりたくないし、実際、やれないことばっかりだから。結果的に “やりたくてできること” としての作家・ライター業を選んだんだと思う。だからこそ、今のわたしとしての “天職” は、現状の仕事ってことでいいんじゃないかなぁとも思うんだよね。少なくとも、今は、そう思う。それでいいんじゃないかな。きっと。