コロナ以降、企業と個人の関係性が大きく変わってしまったという話をよく聞きます。

具体的には、オンラインでの会議やチャットがメインとなり、会社の中での雑談が一気に減ってしまった、など。

そんな中、今ワクチンが少しずつ普及してきてコロナ以前の状況に戻ろうとしている。

企業がこれから進む道は大きく分けて2つあるかと思います。

ひとつは、従来的な「企業と個人の関係性」の復活させて、改めて企業の中に個人の「社会的な居場所」をつくり出すか。

それとも、ここから従来とはまったく異なる「企業と個人の関係性」を新たに創造していくのか。

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この点、僕はもう従来型の「企業と個人の関係性」に戻ることはないと思います。

つまり、雑談ができるような「社会的な居場所」だった企業はもう戻ってこない。

コロナの影響により「アフターデジタル」の世界が10年早く進んだとよく言われますが、

感傷的な気持ちを抜きにして冷静に考えれば、従来型の企業と個人の牧歌的な関係性を求めるのは、きっともう完全にお門違いなのだろうなあと思います。

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たとえば、会社の会議一つとってみても、これからの会社の会議は15分〜30分程度の議題だけ論じる「ホットスタート」がメインになる。

従来型の企業のあり方を懐かしむ人たちは、会議を毎回60分以上に設定して、コミュニケーションに対する枯渇感や人間的な「絆」を深めるところからスタートしようとするはずですが、

そうなると、どうしてもスピード感で他社に遅れをとり、そのような企業は自然淘汰に向かうでしょう。

このあたりのお話は『仮想空間シフト(MdN新書)』の中で詳しく語られているので、興味がある方はぜひ読んでみてください。

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ただそうなると、これまで会社という空間が担っていた個人の「社会的な居場所」はどうなるのでしょうか?

会社が新たな空間に変化していくとしても、サイボーグのような人間が働くわけではなく、これまでと変わらない生身の人間が働くので、問題となります。

この点きっと、企業と家庭以外の社会的な居場所を担う空間が大きく勃興してくるのでしょう。

具体的には、地域社会や趣味のサークル、社会人学校やオンラインサロン、教会やお寺のような宗教施設、などなど。

「中間共同体」の役割がまた大きく復活してくる。

人々の「生産性」や「職能」という経済的な評価からは切り離された中間共同体が、社会的な居場所としての役割を担うようになってくるはずです。

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進化論的に考えても、個人の依存先が複数に分散していくことは非常に望ましい。

会社がダメになっても、他の共同体が個人のセーフティネットとして機能するからです。

会社に経済的な恩恵も、社会的な居場所もどちらも求めてしまうと、会社が潰れた時に一気に孤立してしまいます。(現代のホームレス問題や孤独死の問題はきっとここにある)

たまたま戦後の数十年は、経済が右肩上がりだったため、会社が経済的な恩恵も社会的な居場所もどちらも担ってくれただけだったのです。(そのほうが企業にとっても生産性が上がって都合がよかった)

一方で、これからの企業は、雑談や居場所を与えてくれるようなものではなくなっていくはずです。(そのほうが企業にとっては生産性が上がって都合がいいから)

企業に全てを依存しようとしていたひとたちは、次第に社会的な居場所を失っていくことでしょう。

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思うに戦後社会の発展は「経済」「社会」「中間共同体」「個人の暮らし」それぞれ別々に捉えて、独自に発展させすぎたのだと思います。

言い換えれば、経済(市場原理)だけに頼り過ぎた。

しかし、本来人間が生きるうえで、これらを別個に切り離して考えることはできないはずです。

だからこそ、いま改めてこれらが相互に複雑に絡み合うひとつの生態系のように捉えて、それぞれのあるべき姿や理想をゼロから考えて設計する必要がある。

具体的には、現代の世界(グローバル IT社会)に合わせて、それぞれの役割や本質にしっかりと立ち返りながら、新たに作り直していくタイミングなのだと思います。

いよいよ、個人の居場所の大変動が起きる。

そんなことを考える今日このごろ。

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