僕はずっと自分で「考える」ことの重要性について書いてきました。

すると、「考える」の対極にある概念が、「直感」や「身体性」、「霊性」だと捉えているひとが一定数存在するなあと感じます。

だからこそ、「考えすぎることは良くないこと」だと判断してしまうのでしょう。

でも、僕は「考える」の対局にある概念は「他人の考え方を鵜呑みにする」ことだと思うのです。

むしろ、自分自身の力でどこまでも考え抜こうとするからこそ、「直感」や「身体性」、「霊性」などの概念も「考える」ことと同じぐらい人間にとって大切なことだと理解できる。それらも同列に評価しようという結論に辿りつくはずなのです。

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「直感を大事にしたいから、なるべく考えないようにしよう」という結論に至るのは、なんだか本末転倒だなあと。

そのようなスタンスが、スピリチュアル要素の強い考え方や、都会的で合理的な意味のある世界に振り切ったものに、自らが侵食されてしまう隙を与えてしまうことになる。

このふたつの世界観はそれぞれ対局にあるようで、実はどちらも考え続けることに耐えられなくなって、考えることを放棄した結果が招く似たような帰結であると僕は思います。

どちらの世界観も、考えることに疲れ切って弱っているひとに対しては非常に説得力のあるイデオロギーですからね。

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たしかに、考え続けるという作業は非常に辛い作業です。決して楽ではない。

一筋縄では答えに辿り着けない問いにどんどん直面しますし、それと向き合い続けることはとっても面倒くさい。

さらにそうやって向き合い続ければ向き合い続けるほど、一生答えがでない問いだけが自らの中にドンドン積み重なっていく。

そんな束縛から早く解放されたいと願ってしまう…。

でも、その状態の中に身を置くことが「生きる」ということであり、「働く」ということでもあると僕は思います。

だからこそ、ひとりでは耐えられないときがやってきたら、お互いに支え合っていきたい。

似たようなスタンスを大切にして、信念持って「考え抜きたい」と願うもの同士がお互いの姿勢を通じて励まし合うことで、そんな辛く面倒な世界にも立ち向かっていくことができるのだと僕は思います。

この記事が、今日もどこかでひとり必死に考え抜いて行動しているひとたちにとって、少しでも何かしらのエールとなったら幸いです。