襟ぐりに青いスカーフを忍ばせて、
小さな本屋さんで開かれた
「詩を誤読する会」に参加した

こんないい週末あるかい?
そう思うほど
家を出てから帰ってくるまで
静かで満ちた時間だった

長い間つかってなかった
2時間分の細胞が生き返った



詩を読むこと

そこに偶然集まった7人で、
いくつかの詩を声に出して読んだ

室内で読んだり、
川のそばで読んだりした

こんなにも自分や人の声の響きに
敏感になったのはいつぶりだろう

言葉がおなかのあたりに
落ちていく感覚がおもしろい

詩の解釈はひとつではない
と椋本さんはいう

どこの誰かが書いた短い言葉が、
マグネットのように
自分の中にあった
思考のピースを
ゆるやかに引き寄せてくれる



詩をつくること

環境や気象、
その偶然の重なりの中で
共に紡がれていくことば

詩作という行為は、
手仕事と同じ類だ

革でものをつくっていると、
自分ひとりで0から10まで
生み出しているような
錯覚に陥るけれど、
実際はそうではない

エチオピアや和歌山で
たまたま出会った人と素材
自然や季節
その中で創造させられているだけ

つまり私の世界からみえる
人、もの、自然との共創であるということ

もっと俯瞰してみれば、
大きな時代の流れの中に自分がいて、
素材と想いを受け取ったり、委ねたりして
つないでいるだけ



詩はいいぞ

少年のわたしで
ときどき詩を書いて
声に出して読んでみよう

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椋本湧也さん「詩を誤読する会」
かみつれ文庫にて