今日は昨日の続きのような内容です。

昨日のブログでは、「短所を長所として開花させる場」としてのコミュニティの役割について書いてみました。

少しだけ振り返ってみると、一般社会では「短所」と呼ばれ排除されがちな個人のユニークな特性こそ、実はプロデュースすべき「個性」であり、「長所」として開花する可能性を秘めているのだ、と。

ただ、自分自身で短所を克服することは非常にむずかしいため、他者との対話を通じて、その特性を短所だと思っている思い込みを解きほぐすことが、とっても重要になる。

その上で何よりも重要になるのは、周囲の人間の受け止め方や価値観を変えていく「物語」や「文化」をコミュニティの中でつくり出すことです。

そして、コミュニティという場において「小さな現実」を作り出し、そこから新たな価値観が社会全体に広がっていくことで、これまで短所として排除されてきた個性が、実は大きな可能性や経済的価値を生む長所として活かされるようになる。

そんな「コミュニティの本質的な役割」みたいなものについて、掘り下げたつもりです。

詳しくはぜひ以下のブログを読んでみてください。


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さて、この内容を踏まえて、3月に配信されたPodcast番組『なんでやってんねやろ?』の一連の配信の中で語られた「両社が、それぞれの商品の中で生まれてくるB品とどのように向き合っているのか」という話をご紹介したいなと思います。

ここでは、ものすごく深い話が語られてありました。

手前味噌だけれども、何かしら商売をしていて、B品が発生しやすい商売の人には、ぜひとも一度聴いてみて欲しい内容です。


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特に僕が深く感動したのは、坂ノ途中・小野さんが語られていた「話せばわかるなら、アリにしよう」というお話。

この時、小野さんが具体的な事例として番組内で例示されていたのが「曲がりきゅうり」の話でした。

きゅうりは本来、真っ直ぐなほうが流通効率はいいわけですが、もともとは植物として曲がる性質があるもの。

だから、「ひらがなの『し』程度の曲がりはアリにする。でも、『つ』くらいまで曲がると美味しくもなくなるので、B品として弾く」というような基準をご紹介していました。

「し」ぐらいまでなら、本来は流通したほうがいいし、B品として弾かれてしまうのはもったいない。

だから、話せばわかるという空間をどうつくるのかが大事なんだと。

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これは本当に共感の嵐でした。

でも、コストや効率重視の大規模生産においては、このような細かなコミュニケーションが軽視されがちで、結果として多くのものが無駄に廃棄をされてきたわけですよね。

このあたりは、ちゃんと伝えるには誤解も生まれやすい部分であって、コミュニケーションコストも発生しやすい。

しかし今、このコミュニケーションに改めて力を入れることがめちゃくちゃ重要だと感じています。

その誤解を解くことにこそ宝の山が眠っていて、世の中から本当の意味で無駄を省くことにもつながっていくからです。

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小野さんもB品を判断する上で「結局、自分らで納得感のある線引ができるかみたいなのがすごい大事な気がします」と語られていました。

「その時は、やっぱり理屈が通っている基準をつくるのが大事であって、なんでも自然優位にしすぎるのも違う」と。

お客様目線に立ったときに「坂ノ途中が考えて、ええ具合にやっているんだろう」そのお客さんが違和感がないような、かといって生産者がやりにくくならないような、なんとかそういうところで基準をつくっていくことが大事だと語られていた。

で、そのためにはやっぱり丁寧にお客さん側にも、生産者さん側にも、コミュニケーションを取っていくことが、大事なんだろうなあと。

そして、信頼関係の構築部分が必要で、「話せばわかるコーナーがあるといいよね!」と最後に語られていたことは、なんだかとっても大きな希望だったなあと思います。

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で、僕はこれって昨日のブログに書いた、人間の「短所」にもまったく同じことが言えると思うんですよね。

そして、この「話せばわかる」コーナーの話なんてまさに、昨日僕が言いたかったコミュニティの価値そのものだと思います。

社会的、人材市場的には一般的なB品と呼ばれるような「短所」であり、ネガティブ要因かもしれない。

でもそれっていうのは、もともとの人間特性みたいなものだったりもするし、それぞれの個性であり、ユニークな点だったりもするわけです。

それを品種改良して、まっすぐにすることはできるけれど、それをやってしまったら、そもそもの人間の良さが失われていくし、そこまで量産型にする必要ってあるんだっけ?と。

実は素晴らしい才能かもしれないのに、それを省いてしまっていて、ものすごくもったいないことをしているんじゃないの?と思うのです。

だからこそ、人間だって、ひらがなの「し」ぐらいまではOKにして、「つ」までなると美味しくもなくなるし、流通効率も悪くなるから、「し」ぐらいまでには、歩み寄ってもらおうというような感覚が重要なんじゃないか。

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僕はこのような両者の歩み寄りと、その誤解を解くための「物語」をどれぐらい真摯に共有していけるかが、肝だと思っています。

お客さんにその判断基準を明確に提示するだけではなくて、その基準に至るまでの背後にある理由までを含めて知ってもらう。

そして、一体どのような思想信条のもと、日々B品と向き合っているのかを、理解してもらう。

そこまでがちゃんと伝われば、ただ割安だから、とか、ただお得だからとかだけじゃなくて、その基準のもと真摯に取り組んでいるなら、こちらも真摯に応援しようとなるはずだから。

そうやって「短所」とまっすぐに向き合って、これまでにはないビジネスモデルをお客様と共に構築していくことって本当に大事だと思うんですよね。

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ここにこそ、(ファン)コミュニティの力、っそいて音声配信を通じて継続的にお客様と丁寧にコミュニケーションを取っていくことの意義や価値というものがあるはずです。

でも、今まではここが見事に蔑ろにされてきた。

繰り返しますが、なぜならそれは誤解を生みやすいポイントだったから。

そして、単純に費用対効果も良くないと思われていた。それだったら、大量生産・大量消費をして、なるべく均一なものを届けながら、マス広告を売って、コミュニケーションコストの方を下げようということになっていた。

でも、人手不足や人口減少、インフレなど様々な目前の課題が山積みになって、もうそれだけではうまくいかないわけです。

だったら、お互いの歩み寄りこそが重要で、お互いの受け取り方、その価値観を変えていく必要があるよね、と。

そうすれば、両社にとって、納得感も得やすくて、短所が長所に変わったり、見方自体がガラッと変わって、これまでは排除や廃棄されてしまったものでさえも、見事に活きる場が生まれてくるわけですから。

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人間の短所においても、この「話せばわかる」というコミュニティをつくって、いかにして、これまでは足切りのような形として切り捨てられてしまっていた個人のユニークな点を伸ばしていくのか。

新卒一括採用とか、学歴至上主義とか、そういった基準には当てはまらない人々であったとしても、ちゃんとお互いの特性を活かしながらスクラムを組んで、もう一度それぞれの本当の強みを活かす場をつくっていきたい。

そっちのほうがよっぽど、人間らしい社会が生まれてくるのだろうなあと思います。

人間は大量生産可能な工業品じゃないのですから。今までは、あまりにも工業製品的に寄りすぎてしまっていた。でもその限界も、もうハッキリと見えてきたと思います。

だからこそ、ここを変えていきたい。

僕は、そのために毎日毎日こうやって文章を書いて、Voicyでそれを話して、本来的な価値を再確認しようという思想運動をこのコミュニティを通して行っているんだと思います。

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最後に、これは視点を変えれば、今はこの「話せばわかる」のためのコストがめちゃくちゃ下がった時代でもあるわけです。

メディアの選択肢が思いっきり広がった。

これまでの新聞やTVのようなマスメディアだけでは、このようなコミュニケーションは絶対に不可能だったし、Twitterやブログのようなテキストメディアだけでも限界があった。

でも音声なら、そして双方向的に継続的に繋がり続けるようなメディア型コミュニティがあれば、この誤解を解くこともできるようになってきた。

特に音声メディアは、感情や背景のニュアンス、信頼感や安心感といった、人間の身体感覚を通じた「納得感」を与える力があるという側面は本当に秀逸だなと思います。

そして「実際に価値があったでしょう!」という実体験を感じ取ってもらって、そのフィードバックや、そこからのお互いのさらなる気付きや発見につながるインタラクティブなコミュニケーションも可能となったのが、2025年現在のメディア環境だと思います。

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音声メディアと、コミュニティの価値はここだと思うんですよね。

言葉だけで理解するのではなく、野菜を実際に食べてもらって美味しいと感じられるように、僕も体験として、そうやって身体感覚を通して実感してもらえるような場所、コミュニティをつくっていきたい。

いつもこのブログを読んでくださっているみなさんにとっても、今日のお話が何かしらの参考となっていたら幸いです。