昨日もご紹介した『なんでやってんねやろ?』の公開収録イベントのため、今週は京都へ行ってきました。

今年に入ってから初めての京都出張で、訪日外国人の増え方に本当に驚いてしまいました。

コロナに入ってすぐ、2020年から何度も京都には訪れてきて、その変遷も知っているからこそ、この変化には余計に驚いてしまいます。

先日もホテルに籠もってずっと『利他・ケア・傷の倫理学』を読んでいたと書いたけれど、本当にずっとホテルかカフェか、夜の人が減った京都の街を散歩をしていました。

せっかく来たのだから、出歩きたいとさえ思わないぐらいの混み具合。GWが始まる前にもかかわらず、すでに本当にうんざりしてしまうぐらいのひとの多さだったんですよね。

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毎回、なぜこんなにも明らかにオーバーツーリズムになっているのに、京都のひとたちは寛容でいられるのか、不思議で仕方ない。

もちろん、京都のひとたちも「オーバーツーリズムは本当に最悪、もうどうにかして欲しい」と口を揃えて嘆く素振りを見せるわけですが、

一方で、その金のなる木としてのインバウンド観光があまりにも美味しすぎて、誰もやめないっていう状況があるんだろうなあとは思います。

そしてこれが、なんというか、ものすごく京都人っぽいなあと思うのです。

具体的には、そうやってホンネとタテマエを上手に使い分けて、しかもそれを街レベルで共通のコンセンサスにできるというのは、本当に京都ならではだなあと思います。。

それが街として、自然と共有できていること自体がカッコいいなとさえ思う。日本の他の街にできることではない。それというのはきっと歴史がなせる技でもあるのでしょうね。

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たとえば、もしこれが東京だったら儲けてなんぼの世界観のひとと、頭の硬いインテリがちゃんとバチバチに対立してまうはずなんです。というか、すでにそうなりつつありますよね。

一方で、北海道とかだと、人が良すぎて(牧歌的すぎて)、今のニセコのように外資に乗っ取られてしまうだけ。

でも、京都は、ひとりひとりの人格の中に、ホンネとタテマエがちゃんと両立し得ていて、且つそれが街のレベルで共通認識や暗黙の了解になり、ちゃんとそれを実行できているのが本当にすごいことだなあと。

もちろん、いつかはオーバーツーリズムの反対のデモなんかが、京都の街でも起きるのかもしれないけれど、それにしてもその沸点が高いなあといつも驚かされます。

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そして、このことを考えるたびにいつも思い出すのが、かなり前に読んだ養老孟司さんの『京都の壁』の話なんです。

養老さんは、世界中の都市は基本的に「城壁」を築いて内と外を物理的に隔てているといいます。

そして、そのような城壁や城郭というのは、本来は「結界」の役割を果たすのだと語るのです。「ここから先は別の世界だよ」と示す役割が、壁の役割。

そして、寺院を僧侶の修行の場所として俗世と分けたように、意識の中での「区切り」を見せるために、それらはつくられたそうです。

じゃあ、一体なぜそんなことをするのか?といえば、そうすると「平和」になるからなんですよね。

あちら側とこちら側が分かれていて、人間の立ち振る舞い方も変わりますし、排除の論理だってそこには働く。物理的な壁を作り、ルールや文化を明確に変えることで、治安が良くなることは目に見えています。

それは今、インターネット上で「コミュニティ」という文脈で起きていることと同じこと。まさにペイウォールですよね。

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で、養老さんの話がおもしろいのはここからで、このような壁の根本は「人の内側にある」と語ります。

インドでも、中国でも、ヨーロッパでも、大陸はすべて同じように物理的な城壁で都市を囲み、人間の中に明示的に「結界」を見せつけていたのだと。でも、京都では世界ではかなり珍しく、そのような城壁が存在しない都市だったわけです。

じゃあ、それは一体なぜなのか?

以下本書から引用してみたいと思います。

日本では城郭を造らなかったので、代わりにできた結界、それが「心の壁」です。京都人の中にある「心の壁」は、住んでいる場所の話を聞いていると、端的にわかります。     京都市の真ん中、いわゆる 洛中 に住んでいる人と、それ以外のエリアに住んでいる人。関東出身の私には、「同じ京都市内じゃないか」と思えるのですが、どうも違うらしい。
(中略)
「開けてはいけない」「入ってはいけない」という心理的な障壁が、京都に城郭がない理由です。城郭はないけれど、代わりに心理的な壁をつくったのです。それが今も京都には残っていて、「よそ者は入れない」というわけです。


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僕がこの養老さんの話を引き合いに出して、今日この場で一体何が言いたいのかといえば、

いま日本の中で一番開かれている場所、世界中から様々な人種が集まってきて、オーバーツーリズム状態だと叫ばれるぐらいに、一番にぎわいを見せている京都という街が、実は一番「心の壁」が高く、閉じられた場所であること、その意外性です。

これって本当におもしろいことだと思いませんか。

なぜなら、僕らはどうしても、グローバルや多様性、ダイバーシティみたいな「オープン」な場を想像するときに、心の壁、そのハードルを極力下げることが重要だと考えがちだから。

もしくは高い物理的な壁をつくって、その中で楽しもうとしてしまいがち。

でも実際には、そのような心の壁が日本一、いやもしかしたら世界一高い住民が多く住む京都という街が、結果的に一番ひとを惹きつけているというパラドックスが、ここには存在している。

そうすることで文化が際立ち、世界中から人々が集まり、観光客と住民、よそ者と身内の隔たりは明確にありつつも、共存することができてしまっている不思議に、もっともっと驚きたいんですよね。

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どうしてそんなことができているのかといえば、それは上述してきたように京都人がホンネとタテマエをうまく活用しているからにほかならない。

まさに「バザールとアジト」の話で、観光地としてわかりやすいエリアと、その路地裏にひっそりと佇む現地のひとたちが本音を吐ける場所が今も無数にあるから。

路地裏があんなにもたくさん残っている街も、現代においては本当に京都ぐらいしか残っていないのではないかと思います。

そんなアジトがしっかりと機能しているから、あの街はあれだけオーバーツーリズムになっていてもやっていけるのでは?というのが今日の僕の仮説です。

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そう考えると、現代の多様性やダイバーシティの教育って、実は完全に間違っているんじゃないかとさえ思ってきてししまいます。

良し悪しや好き嫌いは一旦別にしてみても、これは本当におもしろい現象だなあと思う。

一般的に、京都人ほど本音と建前を使い分け、さらにぶぶ漬けのような都市伝説がまことしやかに語られて、性格が悪くて、いけずなのが京都人であるみたいな話が、いたるところで語られている。

でも結果として、一番他者を受け容れるだけのレジリエンスのようなものを発揮しているのが、京都という街と、京都人であるわけです。

また、そこに付随する様々な文化が現実問題としてそれを実現してしまっている。

しかも、それはここ数十年の話ではなく、それこそ1000年以上の単位で実現し続けていて、それ自体が街の精神性を生み出し、長い年月をかけて磨かれてきたものであるように、僕には思う。

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これはきっと環境の産物でもあるんだと思います。

盆地ゆえの気風や、その気候風土によって養われたものでもあるんだろうなあと。

養老さんの『京都の壁』という本の中で、もう一箇所少しだけ引用してみたいと思います。

日本の街には二種類あって、おおむね盆地であるか、港町であるかに大別できます。盆地の代表が京都です。そして、盆地に当てはまるところは、だいたい京都に似ていて、閉鎖的だとかいわれます。     京都と対照的なのが長崎などの港町。でも、長崎も一方は港で開けていますが、すぐ後ろに山があります。神戸も同じようにすぐ後ろは山です。日本はどこでも山と海がほとんど接しています。関東では横浜が港町の代表ですけれど、ここは例外的に新しい街です。港町の典型といえば、西日本では長崎や神戸になります。


僕自身は、北海道・函館市出身で、ここで対比としてあげられているような、本当に絵にかいたような典型的な港町の人間であり、思想も港町のソレによって形成されていて、それが自分にとって一番心地よいものでもありました。

だから、港町のほうが人々の心は開放されていると思われがちなんだけれど、心の壁の築き方は本当にヘタクソで、内向的な人が多かったりもするのは、むしろ港町の特徴だと思います。

だからこそ、たぶん京都及び、京都人の性格には、余計に大きなヒントがあると思ってしまうのだと思います。

もちろん今日の話はオンラインコミュニティにおいても非常に参考になる点はあるはずです。

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「京都の壁≒心の壁」というのは、今みたいにポリコレとしての「多様性」が叫ばれる時代だからこそ、考えるに値するなあと思います。

いつもこのブログを読んでくださっているみなさんにとっても今日のお話が何かしらの参考となっていたら幸いです。