今から約10年前、SNSが普及し始めたころは、著者やつくり手本人に、自らの感想が直接届けられるようになったことはとても感動的だったし、本当に画期的だなあと思いました。

参照:次世代を生きる若者が、好きなモノに囲まれた人生を送るための唯一の方法。|鳥井弘文|note

でも現代は、著者に自分の書いた感想が直接届いてしまう弊害のほうが、むしろ大きくなってきている気がしています。

具体的には、必ずエゴサされてしまう恐れがあるということ。

今日はそんなお話をこのブログにも少し書いてみたいと思います。

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この点、直接本人に届いたことによって実際におこる弊害が問題なのではありません。

もちろんそれもあるとは思いつつ、「これが届いてしまうかもしれない」という事実によって、自らのなかに生まれてくる自制心のほうが大きな問題だなあと。

私が、私自身に書きたいことを正直に書かせてくれなくなる。

つまり、そこに無自覚の「忖度」が生まれてしまうのです。

自分にはその気がなくても、相手や周囲が誤解しないようにと様々な配慮や言葉選びを行った結果、何か正直な気持ちを吐露することができなかったというモヤモヤだけが自分のなかに残ってしまう。

真面目で優しいひとほど、そうなってしまう可能性が高いのではないでしょうか。

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だから、それを避けたいと願うひとは必ず匿名に向かいます。これは私(実名)が言ったことではないとするために。

でもそれでも問題は解決されないんですよね。書いている内容、それ自体を見て欲しいと思っているわけではないから。

直接本人に見られる可能性があることには変わりがない。ただ、「私(実名)」が言っているとは思われないだけで、本質的な問題は一切解決しないのです。

だから、本人に届く可能性が極力少ない場所で語ることができることが望ましい。(注:ネット上に公開する時点で、絶対に届かないというのは不可能です)

そんな欲求がいま、各人の中でふつふつと高まっているように感じます。

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この点、Wasei Salonではメンバー限定の読書会を頻繁に開催しているのですが、この読書会の中では必ず参加した全員に「印象に残った点」と「モヤモヤした点」を両方聞かせてもらっています。

この「モヤモヤした点」を語ることが、意外にも好評なのです。

決して参加者の誰も、著者の方や内容を批判したいわけではない。むしろ、自分の中でまだうまく言葉にならない言葉や、引っかかる感覚からその正体を深堀りしていきたいと思っている感じです。

ただ、それが著者や濃密なファンの方々に、文脈を無視した形で届いてしまうと、何かと都合が悪い。だからエゴサされない場所で、自分の想いが正直に語れる場所が必要なんだろうなあと思わされます。

もちろん、オンラインイベントだけではなく、サロン内の限定公開ブログでそんな話を書くこともできる。僕自身もそうやって明確に書き分けています。

全体公開で書いているブログは、著者やコンテンツ製作者に届き、断片的に読まれても構わないと思って書いているものです。

一方で、サロン内限定で書いているものは、著者にあまり届いてほしくないなあ、届いた場合にもちゃんと説明させてもらえる機会(コンテキストの共有)がなければ、きっと誤解を生む余地もあるだろうなあと思うものは、サロン内のみで書いています。

これが僕にとっては、ものすごく心地よい書き分けになっているんですよね。

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現代におけるエゴサというのは、喩えると、漫画を途中の巻から読み始めて、何かしらのやんごとなき理由で主人公が仲間に悪態をついているところだけを読んで、前後の文脈を完全に無視した状態で「けしからん」と言えてしまえること。

そうやって、自分に言及されている箇所だけをつまみ読みできてしまうのが、現代のエゴサ文化の負の側面だと思います。

でも、発言者には発言者の文脈(コンテキスト)が必ず存在している。

相手のその前後の文脈を理解できていれば、決して批判したい意図で言っているわけではないという場合がほとんどです。

他にも、たまたま会社で上司に罵倒されて、むしゃくしゃしていたタイミングだったのかもしれないし、何か圧倒的に不条理な状況に追い詰められていたときにふと書いてしまった言葉なのかもしれない。

そのようなコンテキストをすべて無視して、言葉の意味する部分(一側面)だけを捉えて「批判された」とか「傷ついた」とか言えてしまえるのが、今のネットなのだと思います。


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最後に話は少し逸れますが、少し前に木津さんがとっても素晴らしいツイートをしていました。

まさにこの感覚なのですよね。

著者の主張にしっかりと向き合うために、一度自分の中のモヤモヤを言語化する場所が、今の僕らには必要なんだろうなあと。

これは、10年前には想像もしなかったようなものすごく贅沢な悩みだと思います。

でも、そうすることで、無意識な「忖度」によって自己の感情を押し殺してしまわずに、より豊かな関係性をお互いに生み出していくことができることにもつながっていく。

いつもこのブログを読んでくださっているみなさんにとっても今日のお話が何かしらの参考となったら幸いです。