先日、いつも髪を切ってもらっている、らふるの中村さんに、Voicyでお話を聞きました。

中村さんは美容師をしながら、古着に絵を描く制作活動も続けている方です。

で、その中村さんの作品が、Substackを通じて海外のひとたちに届き始めているらしくて驚きました。

髪を切ってもらいながらその話を聞いて、これはぜひ詳しく聞きたい!と思い、そのままVoicyでもお話してもらうことにしました。その配信がこちら。



最近、僕はSubstackに大きな魅力を感じて自分でも運用していますし、このブログでも何度かその可能性について書いてきました。

でも今回の話は、その中でも非常に夢のある具体的な話だなあと実感しています。

特に、これから日本でものをつくるひとや、発信を続けるひとにとって、です。

今日は、実際に中村さんの身に何が起きたのかを改めてテキストでもご紹介をしながら、そこから僕が感じた可能性について少し書いてみたいと思います。

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まず、中村さんの作品は、ヴィンテージの洋服に一着ずつ丁寧に、手描きで絵を施したものです。

一着を仕上げるのに、30〜40時間ほどかかることもあるそうです。しかも本業は美容師ですから、当然そんなにたくさんはつくれません。

その作品を、原宿のセレクトショップ「Maidens Shop」の企画で発表することになり、その告知を見た日本在住のファッションジャーナリストの外国人の方が取材を申し込んでくれたそうです。

そして、Substackのニュースレターで、中村さんのインタビュー記事を公開してくれた。


すごいのはここからで、その記事を読んだメンズウェアのインフルエンサー、Derek Guyさんが、今度は自ら中村さんのInstagramや過去の作品まで調べたうえで、ご自身の投稿で紹介してくれたそうなんです。


彼は海外ではかなり著名なファッション系のインフルエンサーらしく、Xのフォロワーは100万人超え。

そこから、これまでまったく接点のなかったひとたちがフォローしてくれたり、実際にオーダーをしてくれたりしたともいいます。

中村さんご本人は、あくまで「プチバズ」だと話していましたが、でも僕には、その広がり方自体が、ものすごく夢のある話に感じられたんですよね。

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で、実際の投稿を読みにいってみて、特に印象に残ったやり取りがあります。

作品を見たある読者の方が、日本の作り手がアメリカの美学に関心を持ってくれて、猟犬の持つ意味まで理解してくれていることが嬉しい、という趣旨のコメントをしていました。

それに対して中村さんは、描く対象の歴史や意味をできるだけ学んで、敬意と配慮を持って接するようにしている、その姿勢が作品を通じて伝わったことが嬉しい、と返していました。

これ、ものすごくいいやり取りだなあと思ったんですよね。

画像を見て、作品の見た目を気に入ってもらえるだけでも、もちろん嬉しいはずです。

でもここでは、中村さんが何を好きで、何を調べて、どんな姿勢でつくってきたのか、そこまで受け取ってくれるひとが、地球の裏側にいて、しかも本人に直接言葉を返してくれているわけです。

こんな経験があれば、次の一着にもまた同じように丁寧に時間をかけよう、と自然に思えるんじゃないかなあと。

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で、今回のこの話は、決して洋服に限ったことではないと思っています。

日本でものをつくったり、文章を書いたりしていると、自分の仕事を理解してくれる相手を、つい日本国内だけで考えてしまいがちです。

言葉の壁もあるし、海外の誰に、どう届ければいいのかもわからない。まずは国内で知られて、海外はその先にあるものだと、どこかでそんな順番を勝手に。前提にしているフシが僕らにはある。

だからこそ、国内で十分に売れなかったりすると、「もう少しわかりやすく、大衆受けを目指したほうがいいのかな…」と考え始めてしまうわけですよね。

もう少し親しみやすい表現にしようとか、手に取りやすい価格にしようとか。

自分が大切にしている部分を少し削ってでも、届く範囲を広げようとしてしまう。

実際、世の中で話題になっているインフルエンサーブランドの大半も、そうやって大衆受けを狙ったものばかりになりがちです。

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もちろん、そういう工夫が必要な場面もあると思います。

でも、自分の仕事を深く理解してくれるひとは、実は世界のいろいろな場所に、少しずつ散らばっているのかもしれない。

国内だけでは少数のひとにしか伝わらないことでも、世界まで視野を広げてみれば、十分な数の理解者がいるのかもしれません。

そして、そのひとたちと出会う道が実際にできてしまったら、自分の仕事に対する見方もガラッと変わってくると思うんです。

これはきっと、器や工芸品でも、アートでも、ある地域の仕事を丁寧に取材した文章でも、まったく同じことが言えるはずで。

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しかも今回おもしろいのは、中村さんが深く学んで作品にしていたのが、アメリカの文化だったということです。

海外に届けるというと、つい「日本らしさ」を前面に出さなきゃと考えてしまいがちですが、そうじゃなかった。

アメリカの文化を日本で受け取り、自分なりの表現を加えたところ、その文化に長く親しんできた本場のひとたちにまで、喜んでもらえたわけです。

つまり、自分がほんとうに好きで、長く向き合ってきたものがあること。そのこと自体が、遠くにいるひととつながる理由やきっかけになるんだなあと。

インターネットが出てきて以降、「ロングテール」や「1000人の忠実なファン」のように、理屈のうえではこういうことが起こるはずだと、何度も何度も繰り返し語られてきました。

でも、それを身近なひとの実例として目の当たりにすることは、なかなかなかったように思います。

Substackは、ほんとうにそれを現実として、つなげてしまうのかもしれないなあと。

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で、そう考えると、作り手の側のつくり方まで、ほんとうにガラッと変わってくるはずなんですよね。

中村さんのように一着に何十時間もかけるひとは、そもそも大量につくることができません。どれだけたくさんのひとに知ってもらえたとしても、つくれる量には限りがある。美容師のお仕事もあれば、ご自身の生活だってあるわけですから。

その中で、自分が納得できるものを無理のないペースでつくり続けて、その時間や技術に見合う対価をちゃんと受け取り、また次の制作へ向かっていく。

それを支えてくれるひとが世界のどこかにいるのなら、値付けも、一着への時間のかけ方も、まったく変わってきます。

価格を下げたり、制作時間を削ったりする前に、まずは今の仕事にそのまま価値を感じてくれるひとへ届けてみる、という選択肢が新たに生まれてくるわけです。

広く届けるために、泣く泣く削っていたものを、削らずに済むのかもしれない。むしろ、そんなこだわりを深めれば深めるほど、それが誰かに見つけてもらう理由になっていく。

まるで井戸掘りのようにローカリズムを突き詰めると、その反対側でむしろグローバリズムと見事につながる、そんな変化を地で行くような話です。

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そして、この話を聞いていて僕自身がいちばん興奮したのは、発信する側、つまり「伝える仕事」のほうも変わってくると感じたからです。

僕らも十年以上前から、ウェブメディアで記事をつくってきました。

そのときによく考えていたのは、「この内容のままなら1万PVぐらい。でも、もう少し噛み砕けば10万PVを狙えるかもしれないし、さらに入り口を広げれば100万PVまで届くかもしれない」というようなことです。

わかりやすくすることは、もちろん大切です。読んでもらうための工夫だって必要。

ただ、1万PVにしか届かなくても、そのひとの仕事や、その場所の文化を伝えるためにどうしても必要な記事って、やっぱりあるはずなんですよね。

省いてしまうと肝心なことが伝わらなくなる背景もあるし、少し時間をかけて読んでもらって、ようやく見えてくるおもしろさもある。複雑なことは複雑なまま伝えたほうが、むしろちゃと伝わる場面なんかも多いです。

でも、広告やPVを中心に事業を考えると、そういう記事だけで続けていくのは、なかなかに難しかった。そして、今のウェブメディア全般の煽り記事のようなものが、一般化してしまったわけです。

この両方をどう成り立たせるのかは、僕自身ずっと悩み続けてきたことでもあります。

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今回、海外ライターさんの記事の冒頭には、ほかでは出会えないひとや服を紹介していく、という趣旨のことが書かれていました。

中村さんを見つけ出し、本人に直接じっくり話を聞いて、その人柄や制作への姿勢まで伝える記事は、まさにその方針どおりのものだと思います。

日本にいると、身近な場所にも、おもしろい仕事をしているひとがほんとうにたくさんいます。

本人にとっては当たり前のことでも、話をよくよく聞いてみると、そのひとだからできる工夫や、長年続けてきた理由が次第に見えてきて、それこそがおもしろい。

そういう話を、ほんとうに興味があるひとたちに、まっすぐ届けることができるのがSubstackです。

そして、その書き手の視点をおもしろいと思い、「次の取材も読みたい」と思ってくれた読者が、有料購読というかたちで支えてくれるのだとしたら、国内の広告モデルだけでは続けるのが難しいと感じていた取材にも、まったく別の道がひらけてきます。

僕はそこに、いまものすごく大きな希望を感じています。

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もうひとつおもしろいなあと思ったのは、中村さんご自身は、Substackで記事を配信していないということです。

今回の紹介投稿のコメント欄には、ライターさんご本人が登場して、ご自身のインタビュー記事を直接案内していました。

短い紹介で気になったひとが、そこから記事を読んで人物や背景を知り、さらにInstagramへ行けば過去の作品までたどれる。

つまり、つくることに集中するひとがいて、その価値を見つけて言葉にすることに集中するひとがいて、さらにそれを自分の読者に紹介するひとがいる。

それぞれが自分の仕事を丁寧に深めることが、そのまま相手の仕事を支えることにもなっているんですよね。AIの登場によって、一気に翻訳の精度が上がったことも、そうした行き来を間違いなく後押ししてくれているはずです。

Substackの中に、そういうつながりが実際に見えたことが、なんだか純粋にとても嬉しかった。

僕自身がずっと観てみたかったインターネットの理想的な姿が、まさに今ここにあるなあと感じました。

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もちろん、今回の出来事からこの先どれだけ売れるのか、どんな仕事につながっていくのかは、まだ誰にもわかりません。

それでも、作品に関心を持ったひとが過去の仕事まで調べて紹介してくれて、遠くにいる読者が作品の中に敬意を感じ取り、それを本人に伝えてくれた。

そういう出会いが、Substack上では、現実にもう起きているわけです。

自分のまわりではまだ十分に理解されていないことでも、世界のどこかには、それをおもしろがってくれるひとがいるかもしれない。

だとすれば、自分が大切にしている仕事こそを大切にしながら淡々と続けて、誰かが見つけ、たどれるかたちで残しておくことには、やっぱり深い意味があるんだと思います。

日本で自分の仕事を続けているひとたちにとって、こんなに夢のある話もなかなかないよなあと。少なくとも僕は、中村さんに起きたこの小さな出来事から、そんな可能性を強く感じました。

Substackには、大きな大きな夢がある。

いつもこのブログを読んでくださっているみなさんにとっても、今日のお話が何かしらの参考となっていたら幸いです。