ひとは、目の前の相手からの受け取られ方ひとつで、ガラッと変わる。
だから他者とのコミュニケーションの場面において、受け取り方は本当に大事だなと改めて思います。
そして、その受け取り方の節度が、こんなにも他者をガラッと変えてしまうのか!ということに、また自分自身が驚くこともある。
AIという聞き手が登場し、広く浸透してきたからこそ、今年はそれを本当に強く実感する年でした。
「情報だけに支えられているか、それとも生身の人間に支えられているかどうか」それが来年以降の大きな論点となりそうだなと思うので、今日はそんなお話を少しだけ。
ーーー
この点、最近、「男はつらいよ」シリーズを観始めたことをきっかけに、山田洋次監督が書かれた『映画をつくる(新装版)』という本を読みました。
ちょうど映画『TOKYOタクシー』が公開されるタイミングで、47年ぶりに復刊された本でもあって、これはいい機会だなと思って手に取ってみた次第です。
すると、これが本当にとてもいい本で、寅さんを観るなら、必ずこの本はセットでおすすめしたいと思える内容となっていました。
山田洋次監督が、若い頃から一体何を考えながら映画を撮っているのかがとてもわかりやすい平易な文章で書かれてあって、映画ファンは必読の一冊だと思います。
https://wasei.salon/books/9784272612482
ーーー
で、この本の中で、今年の学びと見事に通じる部分があるなと思いました。
それは「監督は懸命になって、俳優の美点、長所、魅力を発見することに努める」ことが大切だというお話です。
さっそく本書から少し引用してみたいと思います。
お世辞で俳優に自信をもたせようといったって、監督の下手な芝居ではとてもだましきれるものではありません。
しかし、自信をもたねば俳優は進歩しない。そこで監督は懸命になって、その俳優の美点、長所、魅力を発見することに努めるのです。それではどうしても魅力のない俳優はどうなるかと問われれば、そんな俳優はいないと答えるしかない。どんな俳優にもかならず人間としての魅力があるはずだと信じこむしかない。そう信じていれば必ずやそれを発見することができるはずだし、その魅力を俳優自身に教えてやって、そのことによって俳優は生まれ変わるのです。どんな無器用な俳優にだって、いやどちらかといえば無器用な俳優のほうに魅力があるものです。たとえば無器用であるということが、すでにその人の魅力なのですから。
このお話は、本当にそうなんだろうなあと思います。
寅さんを観ているとそれがよく分かる。ともすればネガティブになりそうな俳優の魅力を、本当に上手に引き出されているなあと感じる場面が映画の中にたくさん散りばめられています。
ーーー
この点、どうしても人は、自分の中に確固たる自分が存在すると思ってしまいがちです。
でも実際には、他者の目に映る自分自身を見て、自己を定義しているはず。
そして多くのひとは、周囲から「ダメなやつだ」と見られれば萎縮をしてしまい、「素晴らしい魅力がある」という眼差しで見つめられれば、その期待に応えるように魅力が自然と花開いていく場合が非常に多いわけですよね。
ーーー
ただ、山田洋次監督はこのような文脈のなかで「一方で絶対俳優に向かないひともいる」ともズバッと書かれていました。
その話も、また素晴らしい。
もう一度、先ほどの続きの部分から引用してみたいと思います。
ただ、まったく魅力のない俳優、絶対俳優には向かないといった種類の人もたまにはいる。それは自分がうまい役者だと思いこんでいる人です。こういう人は俳優をやめてもらうしかない。
これも本当にグサッとくる話ですよね。まさにそのとおりなんだろうなあと思います。
自分自身が、うまい役者だと思い込んで、実力もないのに独りよがりな役者、なおかつ周囲のアドバイスや、まわりに対しての配慮を持てない人間は、少なくとも俳優業には向いていないということなのだと思います。
ーーー
で、さらに本書には「女優を美しく写す秘訣」についても書かれていました。
ここのくだりは、特に気になるポイント。というのも、「男はつらいよ」シリーズを観ていると、女優陣がハッとするほどに美しい。
寅さんの妹・さくら役の倍賞千恵子はもちろんのこと、吉永小百合、八千草薫、宮本信子など、僕らでも知っているような、現代の「おばあちゃん」役で名演技をする女優陣たちの、若いころが本当に美しく残っているのです。
吉永小百合は、古い作品も僕は観たことがあって、たとえば最近だと谷崎潤一郎原作の映画『細雪』の主役のときも相当美しかったけれど、こちらはより一層、なんだかハッとするような美しさがありました。
うまくいえないのですが、とってもイキイキしているなと思うのです。
ーーー
で、その理由がわかる部分が、先ほどご紹介した部分に続いて、以下のように書かれていました。
女優を美しく写す秘訣は、その女優を美しいと思いこむことしかない、とカメラマンがよくいいます。大勢のスタッフがカメラの前の女優を見つめながら心から美しいな、と感じ、その思いが伝わって女優はますます美しくなるのです。このことはなにも女優についてではなく、男優であれ、子役であれ、あるいはただの風景を写すときにさえいえるのです。その風景を美しいな、と見惚れるスタッフの気持ちはそのままスクリーンに映しだされ、観客に伝わっていくものなのです。
この部分を読んだときに、まさにこれか!と思ったんですよね。
撮影技術以前に、まずつくり手たちが“美しいと思いこむ”こと。
映画に携わるスタッフみんなが心から美しいと感じ、その思いが現場の空気となり、結果としてスクリーンにも投影されていく。そして、それが見事に観客にも伝播していくということなんだろうなあと。
ーーー
さて、これらの話を踏まえて、最終的に山田洋次監督は「映画をつくるという仕事は、対象を愛すること、そのなかに美点を発見し、ほめたたえる気持ちにささえられているといい切ってもいい。」と書かれていました。
これこそまさに、受け取り方の節度そのものだなと思います。
そして映画自体がひとつの物語であり、その制作チームが「〇〇組」とよばれるように、ひとつのコミュニティでもあることを考えると、コミュニティ運営においても、まったく同じことだと思いました。
ーーー
どうしても、コミュニティ運営にまつわる悩みや相談会みたいな場所に行くと、メンバーの能力不足のようなものを嘆く話題になりがちです。
特に、企業の社員と比較されるときには余計にそのような話題が語られる場合が多いなと思う。
でも、そんな話を聴いていて僕がいつも思うのは、俳優として、美しくないひとなんていないように、こちらが有能だと思ってコミュニティメンバーに接していれば、必ずどこかでその人の“美点”は立ち上がってくると思うのです。
つまり、こちら側の受け取り方の節度の問題であって、そのひとの魅力を最大限に発揮して欲しいと願えば、必ず何かしら輝く部分はあるはずなんですよね。
ただ、コミュニティ運営においても、いちばん困るメンバーというのは「自分が一番優れているから、自分が注目されて当然だ」と思ってしまっているひと。
そういうひとは、コミュニティ活動には向いていないと思います。
少なくとも、僕らのコミュニティには、所属されると一番困るタイプのひとであって、まさにこの部分も映画とまったく同じだなと思いました。
ーーーー
そして、大事なことは、お互いにそうやって受け取り合うことだと思うんですよね。
それぞれが自分自身の心の持ちようひとつを変えるだけ。
そうやってただただ相手の魅力を受け取ろうと思うだけで、こんなにも相手を勇気づけ、励まし、ガラッと変えてしまうのかと、自らの受け取り方が持つ力にもぜひハッとしてみて欲しい。
みなさんにも、ぜひその受け取り方の節度を持ち合うことで場全体に宿る魔法みたいなものをぜひ味わってみて欲しいなと強く思います。
その構造や仕組みにさえ気づいてさえもらえれば、家庭や学校、仕事場や地域コミュニティなんかでも、その姿勢は必ず活かせるわけだから。
Wasei Salonも、その実践の場、体感できる場として活用して欲しい。
ーーー
もちろん、山田洋次監督が語るように「対象を愛し、美点を発見し、讃える」なんて、僕ひとりだけでは、決してできないことです。
コミュマネの若月さんや長田さんを含めた運営メンバーだけでも不可能。
メンバーさんが、また他のメンバーさんに対してそれぞれにそのスタンスを実践してくれるから、結果として“そういう場”が成立している。
本当に場というのは、ナマモノだし、一回性だなと思います。
だからこそ、この感覚をこれからも大事にしていきたい。そのための呼びかけや心がけを大事にしていきたいなと、本書を読んで強く思いました。
ーーー
冒頭にも書いたけれど、AIという「受け取り手」が出てきたからこそ、今年はそれを本当に強く実感する年でした。
言い換えると、AIが提供してきた情報だけに支えられているか、それとも生身の人間、自分以外の他者によって支えられているかどうか。
AIの情報がどれだけロジカルであっても、それは本当に勇気が求められる場面ではきっと脆くて弱い。
なぜなら、AIが本当に自分のことを思って言ってくれているということではない、AIにはその「想う」という気持ちや意識が存在しないことを、誰よりも自分がよく知っているわけだから。
山田洋次監督が語るような「無器用さすらも魅力として発見し、惚れ込む」という非合理で愛に満ちた飛躍のようなものは、生身の人間同士にしかできないこと。
ーーー
そのような非合理の飛躍によって支え合える関係性が、来年以降はもっともっと大切になっていくはず。それこそがコミュニティの差別化にもつながるだろうなと思っています。
AIのおかげで、受け取り方の節度、自らが先に敬意を持って、相手と向き合っていくことの重要性を本当の意味で理解できた一年でした。
実際に来年以降の自身の活動においても、この気付きを丁寧に活かしていきたいなと思います。
いつもこのブログを読んでくださっているみなさんにとっても、今日のお話が何かしらの参考となっていたら幸いです。
