最近、「『対話』に興味を持ったのでプラトンを読んでいます」という話をすると、「えっ、なんで?」と聞かれる機会が増えてきました。

僕は、「対話」について研究している最新のビジネス本を読むよりも、いちばん最初に「対話」の重要性を主張したひと、その創始者に立ち返るほうが重要だと思っています。

ではなぜ、そのように感じるのか。

今日はそんな理由を少しだけ書いてみたいと思います。

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この点、現在公開中の「マトリックス」の新作は、(ネタバレになるのであまり詳しくは書けませんが)作中にあえてマトリックスのフィギュアやグッズなどを映し出し、「ファンの危うさ」を見事に表現していました。

また、同じ映画の文脈で言えば、日本の場合、ジブリ作品がとても分かりやすいかもしれません。

近年、ジブリはLOEWEのようなハイブランドや有名カバンメーカーと積極的にコラボを行なっています。

しかし、あのようなグッズを買い漁っているひとたちが、本当の意味で宮崎駿さんや高畑勲さんの思想を理解しているとは到底思えません。

ただし、僕らは彼らのような「作品をすべて繰り返し観ています」「聖地巡礼をしました」「ハイブランドとのコラボのグッズまで全て持っています」というひとを見かけると、どうしても自分よりも圧倒的に詳しいひとなのだと誤解してしまう。

しかし、その実態は、そうやって近寄れば近寄るほど、作品の本来の主張から遠くかけ離れていく可能性が高い。

マトリックスやジブリのような熱狂的なファンがいる作品は、そのようなことを僕らに強く教えてくれています。

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そして、これと全く同様の構造が、歴史上の偉人たち(及び彼らが主張したテーマ)にも言えると僕は思うのです。

「大学院で研究しています」「解説本を何冊も書いています」と言われると、その偉人や思想について非常に詳しいひとなのだと思ってしまう。

でも、必ずしもそうとは限りません。(もちろん、ちゃんとした解説本も世の中には山ほどあります)

むしろ、必死でそのテーマにすがりたいがゆえに、完全に魂を売ってしまっているひとも、商業出版の世界には多く存在しています。

また、これは現代に生きている者同士の間でも、頻繁に起こり得ることだったりします。

たとえば、企業の創業者の近くにいるひとたちが、その創業者の発想や思想をちゃんと理解しているかといえば、決してそうとは言い切れない。

でも僕らは、そんな創業者と毎日一緒に過ごしている副社長や秘書やマネージャーに、本人の人柄を聞いてしまってなんだか分かった気になってしまう。

「このひとが言っているんだから間違いないだろう」と。実はそれがいちばんの誤りです。

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だからこそ、何かひとつのテーマに興味を持ったら、ちゃんと創始者の発した言葉に立ち戻り、自ら積極的に耳を傾けてみる必要がある。

過去の偉人であれば、本人が書いた原著にもちゃんと目を通してみる。

あと、逆説的ではありますが、少し距離をとっていたほうが、むしろ冷静に分析(理解)できる可能性が高いということも、同時に頭の片隅に置いておきたい。

同化しようすればするほど、大きくズレていく。

一番近い人間が、一番誤解している。

僕らのバイアスをうまく利用したメディアの宣伝に騙されることなく、常に意識しておきたいことです。

今日のお話がいつもこのブログを読んでくださっているみなさんにとっても何かしらの参考となったら幸いです。