価値とは、それを受け取り、「これには価値がある」と思った人が現れて初めて、そこに価値が生まれる。

これは、内田樹さんが「贈与」の文脈でよく書かれていることです。

だから「あなたに贈られたものが何か」それ対して自覚的になることで、自分が受け取った価値の反対給付義務も同時に見えてきて、次世代に贈っていくべきものも自然と見えてくる。

このことを僕に教えてくれたのは、最近聴いた『世界は「贈与」でできている』という本でした。

いや、僕が本書から受け取った「贈与」そのものだったのだと思います。

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しかし、僕らはなかなかこの「自分に与えられた贈与」に気がつくことができない。

生まれた瞬間に既に、自分の目の前であたりまえのように存在するものだからです。

でも、目の前にあるものどれひとつをとっても、あたりまえに存在したものなんてありません。

先人たちが努力して獲得し、どれだけ大変な思いをしたうえで勝ち取ってきたものなのか、僕らはそれを知る由もあまりません。

だからこそ、まずはその贈与にきがつくことが人生の前半戦におけるいちばん大きな命題なのだと思います。

そのために歴史を学ぶし、教養も身につけようとする。

自分に既に与えられたかけがえのない「贈り物」が何なのかを知り、その反対給付義務に対して自覚的になるために。

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そういえば以前、Netflixの番組で嵐の櫻井翔さんがご自身が取り組んできたラップ文化の話をしている時に、こんなことを語っていました。

「今の若い子たちに、『何言っているんだろう、あのおじさんたち。普通じゃんそれ』っていわれたら勝ち。本当に浸透したんだなあって思う。」

この言葉を聞いた瞬間、なんだかガツンと頭を殴られたような気持ちになって、すぐにメモに書き留め今日まで放置してきたのですが、

いま考えてみると、これこそが「贈与」の本質なのだと思います。

そして、僕らが日々「働く」うえで見落としてしまいがちな視点でもある。

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時々僕は「なぜ無料で文章を書き続けるんですか?(ネット上に無料で公開し続けるのか)」と聞かれることがあります。

今はもう、このWasei Salon内でブログを書いていますが、それでもクローズドな空間には書かずに、基本的には誰でも読むことができるように無料で公開しています。

それは、いつか必要とする誰かもとに届けばいいなあと願っている、僕からのそんな宛先のない「贈り物」だからなのだと思います。

僕らはそれを「置き手紙」と呼んできたりもしたけれど、基本的にはこの「贈与」の感覚と近いのだろうなあと。

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このブログを、ネット上でたまたま読んでくれた人、それを受け取ってくれた人が価値を感じてくれた瞬間に初めて、僕の「働く」に価値が帯び始める。

そして、そのひとが次の誰かにその受け取った価値を、また次のひとに贈与していって欲しい、心からそう願っています。

Wasei Salonというこの空間も、その贈与の連鎖を産むための一つの実験装置のような場として運用しているつもりです。

それぞれが他のメンバーの「贈与」に価値を感じ、それをまた別のメンバー(もしくは社会)に向けて「ペイ・フォワード」していく。

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その連鎖の先にどんな世界が待っているのか、それはまだ僕にもわからないですが、少しずつそんな空間が現実化してきていることに、僕はとてもワクワクしています。


そして、それを自然と実行してくださっているメンバーのみなさんに対しては感謝の気持ちでいっぱいです。

本当にいつもどうもありがとうございます。

このブログを読んでくださっているみなさんにとっても、今日のお話が何かしらの考えるきっかけとなったら幸いです。