こんにちは。
木津です。巷ではムハンマドと呼ばれています。


少し前から、僕自身の「個人のビジョン」について改めて考え直しています。

所属している組織のビジョンとはまた別に、個人としての自分が掲げるビジョン。

参考:個人のビジョンを考えるイントロ。
https://wasei.salon/blogs/ec57a09551d2


個人のビジョンを改めて考えるにあたって、「個人のビジョンに向けた過去の棚卸し」と題し、これまでの自分の人生を簡単に振り返ってみています。

今回は、その第2回。


大学を卒業して、社会人として働くようになってからのことを書きます。



生まれてから大学を卒業するまでのことは、前回の記事をご覧ください。


参考:個人のビジョンに向けた過去の棚卸し①

https://wasei.salon/blogs/69637272cd74


(以下、前回記事からの続き)

▼就活時代


就職活動を経て、僕はいわゆる「住宅メーカー」と呼ばれる会社から内定をもらい、そこに就職をすることにしました。



ちなみにこの会社に就職することを決めたのは、大学院を出ていなくても建築設計の仕事ができる住宅業界の中で、もっとも給料が高い会社だったからです。


高校時代から「目的からの逆算」を強く意識しており、また建築学科で幾多のプレゼンテーションの機会に揉まれた僕は、「帳尻を合わせる力」と「面接力」に秀でていたようで、就活が得意でした。


5社あった志望企業のうち3社から内定をもらい、1社から最終面接の案内がきた頃に、就活を終えました。



そんな「上手くいった」という背景もあり、また学生時代は部活動にそれほど身を入れていなかったことも相まって、会社に入ってからの"不適合"は、僕にとって人生で初めての明確な挫折でした。



▼新卒時代


新卒で入社した会社では、初めの一ヶ月は同期100名強で共同生活をしながらの研修を行いました。


「人事から常に見られている」というプレッシャーと、慣れない共同生活によるストレスで、僕は研修が始めって最初の1週間でメンタルの調子を崩してしまい、人がたくさんいる空間で上手く声が出せなくなりました。


心身の不調は研修が終わって支店に配属されてからも続き、しばらくはメンタルクリニックに通いながらなんとか出社をしていました。


就職活動は上手くいったからこそ余計に、「せっかくいい会社に入れたのに不甲斐ない、悔しい」という気持ちに毎日押し潰されそうになっていたことを、今でもよく覚えています。



入社から半年ほどが経った頃には、職場の環境にも慣れ、心身の調子もだいぶ良くなっていました。


ただ、ちょうど僕が入った年に支店が全国一位の売上成績を叩き出したこともあり、労働環境はなかなかに過酷で、仕事が終わらず会社に泊まったり、「1時間だけでも寝よう」と会社近くの漫画喫茶やラブホテルに泊まる日もありました。


でも、この時期はもうメンタルの不調を乗り越えたあとだったので、辛いながらもそんな状況をどこか楽しんでいる自分もいました。



そんな嵐のような社会人生活を1年半ほど過ごした頃に、25歳前後の多くの人が抱くのと同じように、「このままでいいのかな…?」と考えるようになります。


学生時代の友達と酒を飲むたびに、「いつか会社辞めてやろうぜ」と勇み合うのにも飽きてしまい、一級建築士の受験資格を得られる「実務経験2年」を節目に、会社を辞めることにしました。



【補足】仕事をあっさり辞めた理由


僕がこの時あっさりと会社を辞めてしまった理由について、時々人から尋ねられるので、少し補足をしておきます。



まずは、一級建築士の受験資格を得られる「実務経験2年」という明確な区切りがあったこと。


この区切りがあったからこそ、「2年は頑張ろう」「逆に2年以上は頑張る理由がない」と考えていました。



それから、高校時代から続く「目的からの逆算主義」に限界を感じたこと。


高校時代は「良い大学に入ろう」、大学時代は「良い会社に入ろう」と思っていた僕は、実際会社に入るまではこれといった大きな失敗はしませんでした。


大きな失敗をしていない状態で、その時の自分の人生に100点満点を出せないのであれば、何か根本からアプローチの方法を変える必要があるんじゃないか、と考えました。



あとは、「会社を辞めた」先駆者が身近に2人いたこと。


中学時代よく遊んでいた高島聖也(https://twitter.com/seiyatakashima)は、僕が仕事を辞める前に東京の会社を辞め、茨城県稲敷市の地域おこし協力隊として活躍していました。


また、高校時代の同級生である土田凌(https://twitter.com/Ryotsuchida)は、仕事を辞めてフリーのカメラマンとして仕事を増やし始めている時でした。


2人の活躍は僕が仕事をしている時からSNSでよく見ていて、「仕事辞めても何とかなるな」という根拠のない自信が僕の中で培われました。



僕は仕事を辞めてからのことを決める前に、いわば"勘で辞めた"クチなのですが、それにはこんな背景がありました。



▼終わりに


以上です。


今日はもともと1社目だけでなく2社目のことまで書いてしまおうと思っていたのですが、やはり思いの他長くなってしまったので、ここまでとします。



先ほども書いた通り、新卒で入った会社の労働環境はなかなかに過酷で、その後書いたブログでは「死にたくなるほどつらかった」という記述もしているのですが(実際つらかったんだと思うけど)、この2年間で教えていただいた「仕事の基礎」は、ずっと僕の基盤になっています。


特に当時設計課の主任だった方には随分面倒を見てもらい、その後僕が『hyphen,』というチームを作った際に後輩(?)ができたり、『田舎フリーランス養成講座』で講師を務めたりする中で、彼がいかに僕のことを考えて指導にあたって下さったかがわかりました。



次回は、会社を辞めてフラフラしていた時のことや、シェアハウス『モテアマス三軒茶屋』でのこと、それから建築設計事務所で勤めていた時のことを書く予定です。


またきてね!