今朝こんなツイートをしてみました。

https://twitter.com/hirofumi21/status/1234631892684554241

素晴らしい環境の中で、素晴らしい講師(上司)に囲まれて、毎日楽しく豊かに過ごしていれば、ひとは成長する。

僕もずっと、そう信じていました。

でも、それは全くの幻想で、そんな場に自分を置けば、どんどん主体性がなくなっていってしまう。

具体的には、自分で考えることを放棄し始める。

さらに、恵まれた環境にいる自分に酔いしれて、態度もドンドン横柄になっていく…。

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大学生の頃の自分は、まさにそんな状態でした。

振り返ってみれば、あの4年間で僕は人間的に全く成長していない。

卒業後に、頼れるひとが誰一人いない状況の中で、単身中国に渡った時の方がよっぽど成長していたなあと思うのです。

その後、会社を起業してみて「来年もちゃんと会社が存続しているのか不安…」そんな状況の中で、毎日必死に過ごしていた起業当初も、同じぐらい成長できていたように思います。

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では、なぜこのような「必死さ」が成長に必要になってくるのでしょうか。

思うに、必死さは「今ここを生きる」ということに直結するからなんだと思うのです。

漫画『バガボンド』の中で、とても印象的なシーンがあります。

有名な「一乗寺下り松の決闘」が描かれるとき、

吉岡一門の門下生(1人対70人のうちの1人)が「今夜食べよう」と楽しみにしながら大福を戸棚に閉まってから、武蔵との戦いに訪れます。

一方、武蔵は「今日、自分が死ぬかもしれない」という漠然とした不安を抱えながらも、静かに山を拝み、一言「有難う」と呟いてから戦場に向かう。神頼みさえしない。

この「何気ない慢心があるか否か」が生死を分けてしまうということなのでしょう。

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これは、仕事においても、全く同じことだと思います。

日々安心して暮らしたいひとには不向きかもしれませんが、成長したいひとは「成長しているかどうか不安になるほど、ジタバタしなければ溺れてしまうような環境」に身を置いてみる。

そうやって常に「今ここを生きる」状況に身を置くことによって、将来振り返ったときに「あの頃の自分は成長していたんだなあ」と思える瞬間が必ずやってくるのだと思います。

いつもこのブログを読んでくださっているみなさんにとっても、今日のお話が何かしらの参考になったら幸いです。