最近強く思うことがあります。

それがタイトルにもあるように「ハックしようとした経験があるからこそ、人は悟れる」ということです。

「悟り」という書き方をすると、大袈裟だと思われるかもしれないですが、

つまり執着を手放し、煩悩に振り回されなくなるということです。

人生の一定期間、思いっきり煩悩に振り回されて、執着させられた体験があるからこそ、その確固たる自分の中にある体験が、「小さな悟り」を得るための仕組みとして機能する。

今日はそんなお話です。

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たとえば子供のころ、絶対に手に入れたいと思っていたおもちゃだったり、学校という狭い社会の中で必死で獲得しようとした地位だったり、煩悩に振り回された経験って誰にでもありますよね。

他にもたとえば、初恋相手の存在や部活動での結果など、夢中で追い求めて、どうしても手に入れたくて必死にもがいた経験って必ず誰しもあるかと思います。

それらは、大人になって振り返ってみるとすべて若かりし頃のいい思い出となっているはず。

そして、そんな風に大人になってから冷静に振り返ってみると、ひとつ大きな真実に気付くと思うのです。

それは、そこに「価値」を見出して、その「価値」によって大いに喜んだり苦しんだりしていたのは、他でもない自分自身であり、その原因をつくり出していたのも自分自身だったということを。

もし仮に、それらに価値を見出さず、その価値を追い求めようとしなければ、そのような苦悩は絶対に訪れなかったはずなのですから。

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このように、過去に無我夢中になってハックしようとした体験を通して初めて、僕らは自分自身の当時の心の動きを客観的に認識することができるようになる。

「あの頃は若かった」と、冷静な気持ちで今の自分と切り離して振り返ることができるようになります。

そして、そうやって一通り振り返ったあとに、現在に意識を戻してみると、今もまったく同じ状況であることに気づけるはずなのです。

その対象が「仕事」や「お金」、「時間」や「健康」に変わっただけで、 そこに何かしらの価値を見出して、その価値に振り回されている状況は何一つ変わっていないと。

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そんな自分自身に気づけるかどうか。

自分の煩悩に振り回されて、執着させられてきた体験はそんな時に初めて役に立ち、機能するのだと思います。

その気づきが、今の自分が無意識のうちに「価値」を見出し、その煩悩に振り回されているものをひとつずつ手放していくきっかけとなる。

そんなことを考える今日この頃。

いつもこのブログを読んでくださっているみなさんにとっても、今日のお話が何かしらの参考となったら幸いです。