本日更新したVoicyのプレミアム配信は、先週に引き続き、最所あさみさんをゲストにお迎えしました。

テーマは、直球ど真ん中で「ファッションと読書、あるいはブッククラブの話」について。

いま、女性ファッション誌、特に「フィガロ ジャポン」や「SPUR」のような女性モード誌がこぞって読書特集を行っていること、

そして、徐々に海外からやってきているブッククラブの潮流について、ふたりで丁寧に対話しながら、その理由について一緒に考えてみました。


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今回のテーマについては、その功罪、どちらの側面からも語りたいと思い、表立って言えないことも山ほどあるなと思い、プレミアム配信になっていますが、その分お互いに、思いっきり言いたいことを言えたと思っています。

「なぜ、いま読書のトレンド、それは読むだけでなく、書く方も含めた文フリのようの自費出版をしたがるトレンドが盛り上がっているのか」

そして、「なぜそれは、女性たちが中心なのか」そのような問いの答えの片鱗が見えてくるかと思います。

プレミアム配信で有料ではありますが、ぜひ直接聴いてみて欲しいなあと思います。

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で、今日はこの対話を通して、僕が気がついたことを改めてこのブログの中で深めて考えてみたいなと思います。

それは「読書がファッションに寄っているのではなく、ファッションこそが読書に寄っているのではないか」という仮説です。

この点、どうしても、ファッション誌の巻頭特集で本や読書が扱われると「なぜ読書が今トレンドになっているのか」ということを考えてしまいたくなる。

つまりファッションの立ち位置はそのままに、読書のほうがトレンドになっているのだと捉えてしまいがち。

それは実際にその通りでもあるのだけれど、でも実は、ファッションのほうが読書に対して寄ってきているような気もします。

具体的には「私はファストなものに流されるような人間ではありません」といういちばんわかりやすい「記号消費」、そのファッション的な記号がまさに本であり、読書なんだろうなあと。

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人気YouTuberたちがつくり出すようなYouTubeコンテンツや、ショート動画のような、あけすけなファストコンテンツに対するアンチテーゼ。

わかりやすいところだと、恋愛リアリティ・ショーや格闘技系のコンテンツ、それに類する音楽系のオーディション系の番組などもそうだと思います。

そんな「『本音』をさらけ出して、人間同士がお互いにぶつかり合ってます」系のわかりやすいファストコンテンツに対するアンチテーゼ。

そうではなく、もっと胆力が求められる、複雑なものを消化していると思われたいという願望。

それが、今のファッションの気分、特に雑誌を読んでいるような層の中には、一定数存在しているんだろうなあと思います。

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思うに、ファッションはやっぱり、どこまでいっても記号消費的なんですよね。記号消費として、掲げられるものを貪欲に吸収していく構造にある。

有名YouTuberたちを筆頭に、半で押したようにラグジュアリーブランドのロゴやタグが入った洋服を着たがる中、

そんなロゴドンに対するアンチテーゼが数年前から話題になり始めてきたクワイエット・ラグジュアリーの潮流でもあったはずなんです。

でも、それだとなかなかに伝わらない。わかりづらい。

クワイエット・ラグジュアリーとして有名なブランドの服なのか、それを真似をしただけのファストファッションの洋服なのか、スマホ上の加工された写真や動画だと見分けがつきにくいわけです。

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じゃあどうすれば、そんなふうにお互いの記号を見せびらかし合うときに、アンチテーゼのスタンスをわかりやすく伝えられるのか。

そのために、用いられているのが、「本」や「読書」という記号なのだと思ったんですよね。

「アレと一緒にされたくない」という欲望が、結果的に人々を本という媒体に向かわせた。

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で、従来であれば、ここが「映画」だったはずなんです。

もともと、ファッションと映画の相性は非常に良くて、蜜月関係を繰り返してきた。ファッション誌において、ある意味では手垢がつきまくりな特集が映画です。

でも、今回は映画じゃないんですよね。映画だと、もう時代的に弱いんだと思います。

なぜなら、映画は「ファスト映画」として消費することができてしまうから。

Netflixなどを通じて倍速再生もできてしまう。

ただし、本の場合はそうじゃない。本は、自分で読まないと進まない。

Kindleやオーディオブックならまだしも、紙の本は必ず、能動的に読まないと読めないわけです。

だから逆に言えば、これだけ「本」や「読書」が叫ばれていても、意外とその特集のなかで、オーディオブックや電子書籍が同じトレンドとしては語られないわけですよね。

現代ではデジタルコンテンツ、そのすべてがファストになっていて、「紙の本」の読書だけは最後の砦、最後の記号になっているということだと思います。

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配信内でも話題になりましたが、これは「ジムに通っている」とSNS上で明言したり、そのトレーニング中の写真を載せる感覚にも近いと思います。

日々の食べ物や日々の習慣、交流している人々、能動的に接種している情報こそが、そのひとを形づくっているものであり、自らのステータスや階級を暗に象徴するものにもなる。

複雑さに対する胆力を記号的に発信したいときに、紙の本が非常に相性が良かったということは、決して偶然ではないのだと思います。

読書のマッチングアプリなんかも出てきていることなんかも、それを象徴しているなあと思わされます。

マッチングアプリはそもそも、記号同士をマッチさせるためのサービスなわけですから。

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実際、いまこうやってWasei Salonに入ってこのブログを読んでいるひとたちも、僕のVoicyを日々聞いてくれているひとたちも、今日語ってきているような感覚は間違いなくあると思います。

もちろんそれを主宰し、配信している僕自身もそう。というか、おまえ自身が一番そうだろうと言われても、決して言い逃れはできない。

じゃあ、それがファッションになってしまっていいのか、という危機感なんかも同時にあるわけです。

結局は、記号消費という、いらぬマウント合戦、見栄の張り合いのためだけに用いられて、ロゴドンやファストコンテンツ消費と同じ構造の中に飲み込まれるだけでは?という危うさが、そこにあるわけですよね。

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で、そこに読書会、つまりブッククラブの価値があると僕は思うんですよね。言い換えると、コミュニティの価値。

そもそも、不安だから、ひとはファッション(記号消費)に頼るわけですから。

ファッションの入口はいつの時代だって、人々の「世間」からのみられ方の「不安」です。その今の時代における「正解」を知りたいという欲望。

だから、大抵のひとは流行に流されてしまう。

最所さんのような生粋の読書家で、ひとりでも流されない胆力を持ち合わせているという人は、なかなかに珍しい。

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だとすれば、こういうことを対話ができること、考えられること、自分たちが構造的に陥っている盲点とは一体何かを自覚し合い、指摘し合える関係性をつくることは、非常に大事だなと思います。

常に、共に「問い続ける」ようなスタンスが大事なんだろうなあと思います。

あと、最所さんに「読書会の価値ってなんですか?」と聞かれて少し困ってしまったので、最近、岩波新書から出ている『読書会という幸福』という本を読み終えました。

この本の冒頭に、読書会の価値が見事に言語化されていました。

この本の著者は、「本は自分の人生を映しだす鏡でもある」と語ります。そして、本について語りながら、読書会を通じて、わたしたち自身の人生を語り合っているのではないか、と語るのです。

読書会を通して、同じ本を読みながら、ともに年齢を重ねてきたという信頼感はとてつもなく大きくて、その経験はなにものにも代えがたい大切なものである、と。

これは本当に共感します。

また、村上春樹さんも以前ご紹介したことのある『若い読者のための短編小説案内』という本の中で、似たようなことを書かれていました。

再び本書から引用をしておきます。 

僕はいつも思うのだけれど、本の読み方というのは、 人の生き方と同じである。この世界にひとつとして同 じ人の生き方はなく、ひとつとして同じ本の読み方は ない。それはある意味では孤独な厳しい作業でもある 一生きることも、読むことも。でもその違いを含め た上で、あるいはその違いを含めるがゆえに、ある場 合に僕らは、まわりにいる人々のうちの何人かと、と ても奥深く理解しあうことができる。気に入った本に ついて、思いを同じくする誰かと心ゆくまで語り合え ることは、人生のもっとも大きな喜びのひとつであ る。とりわけ若いときはそうだ。皆さんにもおそらくそういう経験があるのではないだろうか。


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このように、本当の人生や生き方を語り合い、真の「共同性」に到達できること。

もちろん、群れる必要なんかないし「群れずに、群れたい」を引き続き推奨していきたい。

大切なことは易きに流されず、胆力を持って一歩ずつでも構わないから、自分の足で歩むこと。

それぞれの一歩を励まし合える関係性を構築することができるのが読書会であり、それを恒常的に行い続けるコミュニティの価値だと思います。

このあたりの価値を、これからも淡々と耕していきたい。

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最初のうちは、ファッションでもいい。その入口も大変素晴らしいし、その入口こそが「嘘も方便」だと僕は思います。

本質的な価値を常に見つめながら、止まった時計のように、淡々とこのコミュニティを続けてきて本当に良かったなあと思います。

これからも、引き続き、読書会や対話会を起点にしながら、時代や記号に流されず、淡々と続けていきたい。

興味がある方々には、ぜひWasei Salonの読書会にも参加してみて欲しいです。

いつもこのブログを読んでくださっているみなさんにとっても、今日のお話が何かしらの参考となっていたら幸いです。