子供のころ、あんなにも物申したいことがたくさんあったのに、大人になると多くのひとが口を閉ざしてしまうようになる不思議。

自分にとって都合の悪い変化に常に怯えて生きるようになってしまうのは、なぜなのでしょうか。

さまざまな人々を観察してきて、僕がいま思うのは、多くの大人は単純に「やること」が多すぎるのだと思います。

予定調和的に進まないと、次の予定に支障を来たしてしまう。

だからこそ、その予定を乱すような言動が取れなくなってしまうのではないでしょうか。

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とはいえ、「忙しいひとほど仕事ができる」といった話も一方では真実だと思います。

上述した「やることが多すぎる」の「やること」とは、「ノルマ」のことであり、言い換えれば「ノルマが多すぎる」ということでもある。

そして、そのノルマが達成できないと、社会的にも金銭的にも首が回らなくなってしまう、そんな制約が多いのです。

自分が何者であるかではなく、どんな立場から何を粛々と実行するかでその報酬が支払われ、その報酬を頼りにローンなどを組んでしまっている。つまり、予定調和を前提に、人生設計が先に存在してしまっている状態なのです。

だからこそ、予定調和を崩せなくなってしまうのでしょう。波風立てた瞬間に、自分の人生設計が音を立てて崩れてしまいますからね。

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でも「真に忙しいひと(変な日本語ですが)」は、どんな決定事項であっても、自らの意志で朝令暮改することができる。

都度、自分の裁量で判断し、その判断の責任もすべて自ら背負うと覚悟しているからこそ可能となる所業です。

逆に言えば、ここの「自由」さえ手放さなければ、ひとはいつだって今この瞬間から自由になれる。

予定調和が崩れてしまわないかどうか、波風立てないように怯える人生を歩まなくても済むようになるはずなのです。

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そうすると、周囲と異なる意見を主張することに対して、徐々にためらいがなくなってくる。自らの直感も自然と信じられるようになってきます。

そして、そのように振る舞える人間が、本当の意味で世間から信頼されるようにもなる。当然ですよね、いつだって本音を話してくれるわけですから。

また、自己の保身のために必要なノルマが限りなくゼロに近い状態だからこそ、他者の利益を優先させて「お先にどうぞ」と気持ちよく道を譲ることもできるようになる。

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予定通りに物事が進まなくとも、たとえどちらに転んだとしても、常に首が回るようにしておくこと。

目の前に不意に訪れる不確実性を楽しむ人生の余白を持ち合わせておくことが、健やかに「はたらく」秘訣だと僕は思います。

いつもこのブログを読んでくださっているみなさんにとっても今日のお話が何かしらの参考となったら幸いです。