こんにちは。

木津です。巷ではムハンマドと呼ばれています。



少し前から、僕自身の「個人のビジョン」について改めて考え直しています。


所属している組織のビジョンとはまた別に、個人としての自分が掲げるビジョン。


詳細は、以前書いたこちらの記事(以下「ビジョン①の記事」)をご覧ください。


参考:



今日は、この話を少し。


そもそもここで考えようとしている「個人のビジョン」とは、一体どんなものなのか、という話です。



▼「自らの好奇心に忠実であること」はビジョン?


ビジョン①の記事でも書いた通り、僕はここ数年で何度か自分の主要な取り組みを変化させているのですが、まだ言語化されていない「個人のビジョン」が一貫しているという感覚はあります。


そんな訳で、今回改めてビジョンを考えるに当たっては、まずは「この数年間自分が大事にしてきたことはなんだろう?」と考えてみることにしました。



そこでまず出てきたのは、「自らの好奇心に忠実であること」。


この数年間何を始めるにあたっても、「なぜやりたいのか?」という問いを立てる前に、「(やったことがないから/わからないから)やってみたい!」という自分自身の気持ちを大切にしてきた自負があるからです。


そこは、一貫しているだろうなと思う。



ただ一方で、「自らの好奇心に忠実であること」は、ビジョンではないだろうなとも思っています。


「ビジョン」というより、「行動指針」と言った方が適切だろうと思う。



そんな文脈から、「じゃあビジョンってなんだろう?」ということを改めて考えてるのが、今です。



▼ビジョンは、達成時点が遠くにある。


ビジョン①の記事では、「個人のビジョン」の例として、友人の森くん(https://twitter.com/moririful)が掲げる「社会に自由と寛容をつくる」を挙げました。


彼のビジョン、あるいは彼の取り組みに僕が惹きつけられたのは、一見バラバラに見える彼の取り組みが全て、彼の掲げる「社会に自由と寛容をつくる」というビジョンに繋がっていたからです。



一方、先に僕が挙げた「自らの好奇心に忠実であること」も、僕が関わる一つ一つの取り組みに繋がっているのは確かです。


じゃあ森くん掲げるビジョンと何が違うのかと考えてみたら、達成点が近くにあるのか、遠くにあるのか、という違いだと気が付きました。



僕が掲げた「自らの好奇心に忠実であること」は、僕がやったことがない取り組みを始めた時点で、ある意味では目的を達成できてしまうことになる。


いくつかの取り組みを重ねてジリジリと近づいていけるのが(ここで導き出そうとしている)ビジョンであるようで、「個人のビジョン」の定義として、「達成時点が遠くにある」は1つ挙げられるだろうと思いました。



▼ビジョンは、社会との接続の方法を示唆している。


それからもう1つ。


ここで考えようとしている「ビジョン」は、社会との接続の方法を示唆するものであるだろうと思っています。



例えば「億万長者になること」は、先の話でいうところの達成時点は確かに遠くにあります。


ただそのための方法、どう社会と関わっていくかが示唆されておらず、これは今考えようとしているビジョンではなさそうだなと思っています。


同様に、「幸せな家庭を築くこと」も、今ここで考えようとしているビジョンではありません(もちろん、素晴らしい目標であることは一切否定しない)。



ここは正直上手く言語化しきれていないのですが、少なくとも僕が「個人のビジョン」を明確に持っていると感じる人たちのビジョンは、例外なく社会との接続の仕方を示唆しています。



▼終わりに


以上です。


なんだか当たり前の話を長々としてしまいましたが、この連載で考えようとしているビジョンは、


①達成時点が遠くにある

②社会との接続の方法を示唆している


の2点を満たすものになるのだろうと思っています。


参考:



また来てね!