今年一番大きく変わったことは、間違いなく「旅や旅行、観光」の分野だと思います。
実際、国内のインバウンドの観光客の数は11月の段階で3300万人を超えて、過去最多を記録しているそうです。
僕も1年前から東京に定住し始め、京都にも数ヶ月に一度のペースで足を運んできましたが、明らかにインバウンド観光客の人々が増えたなあと思います。
当然、都内を中心に、有名な観光地周辺の宿代は軒並み高くなりました。僕自身、ちょうど1年前まで4年間の無拠点生活をしていましたが、その変化を強く感じています。
コロナ禍では1泊4〜5千円で泊まれていたホテルが、軒並みその3倍から4倍ぐらいになっているのです。つまり大体同じ宿が1.5−2万円というのは、当たり前の状況です。
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で、そのような急激な変化を受けて、いま旅行や観光、旅について「もう有名観光地は混みすぎ。これからは地方の穴場スポットを巡る時代だ」という意見をよく耳にします。
人混みが苦手な僕も、この意見にはとても強く同意します。
でも一方で、この意見を鵜呑みにしすぎて、短絡的に騙されないで欲しいなあとも同時に思うんですよね。
誰がどう考えても、現代に合った合理的な提案だと思うからこそ、かなり注意が必要だなと思います。
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じゃあ、それは一体どういうことなのか。
やっぱり僕は、旅というのは中心や王道から行くべきであって、最初から辺境に行くべきではないと思っています。
その主従関係は、決して忘れてはいけないこと。
この点、旅というジャンルにおいても、他のジャンルの趣味などと同様に、定番と量をこなさないと見えてこないものが間違いなくあります。
逆に言うと、僕も含めて「地方の穴場がいい」と言っているひとたちは、もう既に散々メジャーな場所に行ったことのある人たちなんですよね。
しかも、大抵の場合は、仕事で各地方を飛び回っているような人たちだったりもします。
そのひとたちが、わかりやすい観光地よりも、人出が少なくて、価格も比較的安価なエリアに行って「意外と、いいじゃん!」と言うのは、ある意味当然なのです。
喩えるなら、散々ハリウッドや古典的な映画を見てきた人が、「今はネットフリックスや単館系にもいい映画はいっぱいある」と言っているのと同じことです。
それを堂々と言えるのも、ある程度自分の中で、その基準が確立しているから言えることなんですよね。
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自らの軸や基準のない状態で、最初から辺境から始めるのは、変なクセが付くリスクがある。
これは最初から偏ったネットフリックス的な動画ばかり観ているようなものです。あるいは、youtubeやTikTokで、無料コンテンツだけを見ているのと同じようなもの。
そりゃあ、安価で簡単に時間も潰せるのは間違いないけれど、それはどこかで本質を見誤る可能性もある。
たとえば、僕らが若いころには、世界一周旅行が流行りに流行り、ウユニ塩湖などが爆発的に人気になりました。言わずもがな、Instagramの影響です。
確かにあの空間は、写真映えする絶景スポットだと思いますが、その体験はかなり一時的な流行に過ぎないわけです。
似たようなSNSに特化した観光地が国内にも山ほどありますが、それは本当にただSNSの流行に乗るための「背景」に過ぎないわけですよね。
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そうではなく、国内ならまずは京都に行き、奈良の大仏を見に行き、伊勢神宮に参拝するみたいなド定番が、めちゃくちゃ大事。
これらの場所は、少なくとも江戸時代から続いている観光地であって、歴史が証明している価値がそこにあるわけですから。
観光というわかりやすく浮き沈みが激しい業界において、今も変わらずに残り続けているものには、やっぱりそれだけの理由がある。逆に言うと、王道に行ってガッカリするのも大事。
つまり辺境は、書籍でいうところの新刊みたいなものなんですよね。初心者だからこそまず、基本となるような古典から読み始めるべきだというのが、僕の提案です。
そうやって、なんとか中心や王道を見ようとする努力は、必要だなと思います。
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特にいま、大学生〜30歳ぐらいまでのひとには、この視点が非常に重要だと感じます。
確かに、メジャーな観光地は混雑し、費用も高額になっている。でも、それを乗り越えるための知恵を働かせることも、旅の醍醐味の一つだと思うのです。
それは、今の自分が持っている限られたカード(時間と予算と体力)の中で、中心や王道をどうすれば味わえるのかを考えること。
今から約10年ほど前、僕らの学生時代にはそれがSNSやブログでした。あとは、LCCやカウチサーフィン、Airbnbの活用。そして、そのすべてを司るスマートフォン。
当然、当時は日本がバブル景気で湧いていた時のような贅沢な旅はできません。それでも中心や王道を味わうために、様々な工夫を重ねる。その試行錯誤や創意工夫こそが、実は旅で得られる一番の強みかもしれないとさえ、僕は思います。
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バックパッカーの安宿巡りからでもなんでも良い。大事なのは、ちゃんと中心や王道から始めること。
特に、お金はないけれど時間はあるという若い人には、ぜひともそういう創意工夫を繰り返してみて欲しいなあと思います。
安易に、よくわからない地方自治体の、よくわからないお試し移住の補助金制度なんかに飛びつかないほうがいい。
それで待っているのは、その地域のスナックに集まるような人達にほだされて、そのエリアの地域おこし協力隊なんかになってしまうという顛末。
どの地方自治体も、若い移住者を探している中で、自治体側からすればそれは「海老で鯛を釣る」ようなものですからね。
若いときには、自己の若さに内包されている「資本」には無関心だと思うのですが、それぐらい若さというのは、過疎地域からすれば価値のあるものに感じられているわけですから。
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でも、「そもそも自分は、人混みが嫌なんだ」というひともいるでしょう。
ただ最近は、一般観光客が入れないような時間帯、早朝や深夜に観光施設に入れるというようなプランなんかも増えてきました。
人混みですら、避ける方法はいくらでもあるわけですよね。旅をする際に、頭を使うことが本当に大事になってきているなあと思います。
ダイナミックプライシングのようなもので価格差があるということは、そこにありとあらゆる「ハックの余白」もあるということです。
この体験がそのまま、自分が将来的にビジネスをやるうえでも参考になる。正規料金みたいなものに騙されない頭を養うことにもつながっていくと思います。
観光なんて一番正規料金みたいなものがあるようでないに等しい、現代ではかなり珍しい「ボッタクリ商売」でもあるわけです。でも、そのボッタクリから学べることは山ほどある。若いうちなら特に、です。
逆に言うと、何でもお金で解決できてしまう旅は、それはそれでつまらない。
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今日の内容において、決して誤解されたくないのですが、僕は辺境自体を否定しているわけではありません。
僕自身もそういう旅は大好きです。なんなら大好物です。
でも、繰り返しになってしまいますが、辺境を正しく評価できるのは、先に中心や王道をちゃんと見てきた人たちだと思います。
もっと言うと、その差分、つまり中心と辺境の間に立ち現れてくる「ヒト・モノ・コト・文化」を考えることこそが、真の意味での旅の本質だと僕は考えます。
具体的には両者の「同じところ」と「違うところ」それを頭だけではなく、匂いや湿度など、身体感覚全体を通して実感できることが、本当に旅の大事な第一歩だなあと思います。
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今、インバウンド観光客が中心となって、海外の人々に日本のメインと王道を「奪われた」と感じている人々に対して「地方の穴場に行けば、外国人観光客を避けられる」という甘い誘いの声が、多方面から聞こえてきます。
繰り返しますが、これはまさに呼びかける側の思うツボなのです。ふるさと納税が現代の「パンとサーカス」であるという話と、まったく同じ構図です。
逆に言えば、そういう甘い誘惑、自分で考えなくても旅気分を味わえるという誘い文句にすぐになびいてくるような若い人たちこそが、ずる賢い観光業者たちや移住促進課のひとたち、もしくはカルト的な熱狂を作りたい人たちの一番の狙い目だったりもするわけです。
その安易な選択が、体験価値においても「安物買いの銭失い」につながっていく。
本当に価値のある、何年経過しても、自らの血肉になってくれる資産となるような旅の経験を若いうちにしておくことが、とても大事だと思います。
この視点は、来年以降もさらに重要になってくるだろうなあと強く実感しています。
いつもこのブログを読んでくださっているみなさんにとっても、今日のお話が何かしらの参考となっていたら幸いです。
2024/12/28 20:54