先週、取材で京都の伊根町に行ってきました。

伊根町は京都の日本海側、天橋立の近くで、古くから漁業が盛んな土地です。船屋が立ち並ぶ景色でも、有名な地域。

みなさんご存知の民話「浦島太郎」を祀った神社なんかもある場所です。

実際に訪れてみると、いわゆる「過疎化する漁村」にありがちなドンヨリとした雰囲気とは全く異なり、何かがスコンと通り抜けるようなとても気持ちのいい開かれた町に感じられました。

これは、何かあるなあと。自分が完全に見落としてきてしまったことが、この西側の日本海側の漁村にはある。そんな直感が自分の中で芽生えました。

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早速、京都市内に戻ってきてから、ずっと読みたいと思っていた歴史学者である網野善彦さんの『海民と日本社会』読み始めています。

以下の引用部分は本書の主張が明確に書かれている部分です。

ー引用開始ー

私は日本列島の社会像、日本史像は、現在根本的な再検討を迫られていると思っています。今は無人の島になり、土砂に覆われている場所、こういう場所を我々はこれまで日本の社会の発展の中で取り残された、遅れた場所ととらえがちでした。また、農業が発展していない所、水田の少ない所は遅れた地域であり、そこには田畠を開き、農業を発展させなくてはならないと考えてきました。確かに、人類社会全体の中で見れば、農業の出現はもちろん大変に重要なことだと思います。

しかし、具体的に日本列島の社会の実態を考える場合に、農業だけを主にして社会を見ていますと、非常に大きな間違いを犯すことになると思います。遅れた漁撈をやっている人たちには農業をやらせなければならないということで、明治政府はアイヌに農業を強制して、アイヌの民族生活を全く破壊してしまったのですが、こういう過ちは今後あってはならないし、そういう見方で我々は日本史を見るべきではないと思うのです。

ー引用終了ー

自分自身が北海道函館市出身だから、なおさらこの網野善彦さんの主張に引き込まれてしまうのかもしれません。

函館も日本を代表する港町で、漁業も盛んな土地です。自分の父親も水産加工の工場を経営していました。

西の内陸部を訪れれば、見飽きるほど広がっている田んぼの景色も、函館を出るまではちゃんと見たことがなかったように記憶しています。

小さなころは、富や豊かさの多くは「海」から訪れるものだと素直に信じていました。

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また、数年前に北海道の小さな漁村である鹿部町に訪れたときに出会ったおじいさんの顔も非常に強く印象に残っています。

そのおじいさんは、倉庫で昆布の出荷作業をしながら海をずっと眺めているのですが、その目がとってもキラキラしていました。

奥さん曰く、いつもこの窓から海を眺めていて、波が少しでも落ち着いたら、すぐ海に出ていっちゃうのだそう。

漁師のひとにとっては、海にお金が落ちているようなものだからこのような態度になるのだと批判的に語られることもありますが、あんなにキラキラした目は、都会ではまずお目にかかることができません。

お金のためだけではなく、海から訪れる何かに対して素直に浪漫を感じていなければ、あのような無邪気な表情には絶対にならない。

今思い出してみれば、このおじいさんに出会ってしまったときから、何か大事なものを見落としているのかもしれないという感覚が自分の中に徐々に生まれてきていたのかもしれません。

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これまで自分自身が西の文化の中で「正史」とされてきたことに対して、勝手に強いコンプレックスを抱いて生きてきた。

でも本当は海民的な資質も、農民的な資質と同じぐらい、日本人の気質や文化に強い影響を与えているのかもしれない。

鉄道や自動車、飛行機が一般化したことで、海とのつながりが希薄な現代だからこそ、これからも正史とは異なる視点に対して敏感になりつつ、海民的な歴史の解釈にも意識を振り向けていきたいなあと。

そんなことを考える今日このごろです。