先日、Wasei Salonの忘年会イベントが開催され、その前半はトークイベントでした。

僕も含めて3名の方が登壇して、本当に楽しいトークの時間となりました。

思い返してみると、久しぶりにリアルイベントで登壇する形となり、Voicyを始めてから初めてのトークイベントだったんですよね。

そこでハッとしたんです。

Voicyの以前と以後で、人前で話すときにまったく自分の心情が異っていて、この自分の変化がものすごくおもしろかったので、今日はそんなことについて少し備忘録的に書いておこうかなと。

具体的には、自分の話を一切したいとは思わなかったのです。

それよりも、相手の話を深堀りしたい、その一心だったということです。

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この点まずは、最近主流だったオンラインイベントとの違いを明確にしたほうがきっとわかりやすいと思うので、その整理からしてみたいと思います。

オンラインのトークイベントの場合、明確に自分のターンが回ってきます。

だから他の登壇者が話しているうちに、自分の考えも同時に整理しておくことができて、今この対話の場に投げかけると、最適なことを端的に話すということを非常にやりやすいんですよね。(※ここでも決して自分の話したいことではない)

一方で、リアルのトークイベントは明確に自分の番(ターン)があるわけではありません。

いくらでも、自分が主導権を握ることもできれば、いくらでも相手に主導権を渡すこともできてしまいます。

そうすると、ドンドン話を聞きながら、自分の中でアイディアも浮かんでくるため「こっちの話も、おもしろいから聞いて!」となりやすいんですよね。

相手の話を聞きながら「自分の場合はどうだったのか」をついつい話したくなってしまう。

つまり、主語がドンドン「自分」になっていくのです。

ちゃんと意識して相手の話を聞きつつ、会場の雰囲気の声も同時に聞かないと、気づけば無邪気な子供のように「ねえねえ聞いて!」を連発するようになっていく。

「いや、それがトークイベントの醍醐味だろ」って思うかもしれないですが、それはなんだか自分としてはあまり美しいとは思いません。もちろんこれはあくまで「美意識」の話です。

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でも、Voicyで毎日話していると、この「ねえねえ聞いて!」という感情がまったく浮かんでこなかったんです。

これには本当に自分でもビックリしました。

似たような話は以前、「ブログを毎朝書いていると、午後はゆっくりとひとの話を聞けるようになる」ということを考えたことがあります。

それが、Voicyで話していると、更にその感覚に拍車がかかってくるのです。

たぶん、実際に声に出して話しているからなのでしょうね。

これは僕にとっては完全に嬉しい誤算でした。

「自分の意見なんてどうだって良いから、あなたの話を聞かせて」や「お先にどうぞ」という感覚に思う存分浸れるのです。

もちろん、相手の話を聞きながら、新たなアイディアや意見もドンドン浮かんできます。楽しい話が自分の目の前で、繰り広げられているのだから当然ですよね。

でも「この場で絶対に話しておかないと!」という焦りのようなものがまったくない。

むしろ、それよりも自分のVoicyの中で話したいと思ってしまっている。その方がより多くの人に届きますし、時空を超える可能性もあるからです。

だとしたら、今は全力で一緒に登壇している方の神輿を担ぐ役割にまわり、相手のおもしろい話をたくさん聞かせてもらって、その旨味を最大限に引き出したうえで、その話を深堀りしていく時間にしていきたい。

そして「鳥井の話(意見)は、続きはウェブで」で十分だなあと。

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もちろん、それはある種の幻想であって、本当に当日観客としていらっしゃっていた方々が、自分のVoicyやブログを改めて読みに来てくださるとは限らない。

でも、そのための具体的な誘導となるような何か刺さる一言が、自分から発していることさえできていればいい。それはたぶん、本当に一言で十分なんです。

もしかしたら、言葉さえ必要ないのかもしれない。僕の聞き方の態度や、相づちひとつで十分伝わるかもしれない。

その「観点」の頭出しだけができていて、問いの共有さえできれば必ず聴きに来てくれる。

喩えるなら、本当に観たいと思う映画って、予告編の中に素晴らしいワンシーンが含まれていれば、必ず観に行きますよね。それとまったく同じような感覚です。

本当に、自分の話に興味を持ってくれる可能性が高いひとはちゃんとそれを感じ取って、自分のVoicyやブログにも来てくれる。

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毎日、淡々と「書く、話す」を繰り返していると、本当にものすごく疲れます。

それは、たぶん「祈りのような感覚」で書いたり話しているからです。この点、若松英輔さんのこのツイートは本当に同意です。
Voicyを収録するためのたった10分間であっても、1時間ぐらいぶっ通しでひとり話したような感覚になる。

これはもちろん嫌な疲労感ではなく、心地よい疲労感です。

そして、このように祈るように毎日淡々と話しておくからこそ、ひとの話をじっくりと聞けるようにもなるんだなあと。

素直に「お先にどうぞ」と思えるようになる。

相手の話をちゃんと聞きたいと願うひとほど、事前にちゃんと話し切っておくことが大切なのかもしれません。

言い換えると、自分が話す場所(意見を表明する場所)を淡々と、日々耕しておく。

そうすれば、他人の畑や共有の畑で、我田引水をするようなことはしなくなりますからね。

この循環が非常に心地よいものだなあと自分の実体験から得られた感覚だったので、今日のブログにも書いてみました。

いつもこのブログを読んでくださっているみなさんにとっても、今日のお話が何かしらの参考となったら幸いです。

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Voicyも毎日更新しています。合わせて聴いてみてもらえると嬉しいです。