仕事において泣いたり怒ったり、感情的になるひとたちが一定数存在します。

よくよく考えると、これは不思議な行動です。

そのことによって、あまり長期的なメリットはなさそうだからです。

でも、感情的になることで、ひとつだけ相手に確実に伝わるメッセージがある。

それは「私はいま真剣である、真面目である」というメッセージです。

つまり、感情的になるひとは、「こんなにも私は真剣なのに、なぜあなたはそれに応えてくれないのか?」というメッセージを送り続けていることになる。

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この点、軍隊の例なんかはとてもわかりやすいかと思います。

今年は、太平洋戦争開戦から80年、さまざまなドキュメンタリー番組や書籍が生み出されていて、それらを観ながら僕が強く思うのは、軍隊がスパルタ式で感情的に動いていたことには、一定の合理性があったということです。

私たち人間は、どれだけ拙く無能であったとしても、相手の真剣さ、その真面目さに対しては報わなきゃいけないと、心のどこかで感じている。

それはたぶん「子供に対してそう感じるから」だと思います。

子供は、いまだ未熟なゆえに、自らがいかに真剣に取り組んでいるか、真面目であるかを感情的になって大人に訴えていくしかない。

そして、その子供の真剣さ、真面目さに対して親をはじめ大人たちはちゃんと応えなければいけない、そう信じ込まされ宿命づけられています。

さもなければ、大人は子供をいくらでも放置できてしまうことになるからです。

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逆に、私たちはいつもニコニコしている人間に対しては、なんだか真面目に取り組んでいない印象を受けてしまう。

わかりやすい例だと、ワンピースのルフィや、ハンターハンターのパリストンのように、相手に対してなんだか不真面目な印象を与えてしまう。

それよりも、ナミやチードルのように感情の揺れがあればあるほど、目のまえの出来事にド真剣に向き合っているように見えてくる。

「自分の機嫌は自分で取る」や「いつもご機嫌であること」を推奨するひとが増える現代の中で、

私たちは一方で、そんな相手こそ怪しむ対象だと心のどこかで感じ取ってしまっているわけです。

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じゃあ、「相手が感情的であることは、真剣さや真面目さを伝えるためのメッセージだとお互いが認識しているのであれば、感情的になってもいいのだろうか?」という問いが浮かんでくる。

それでも、やっぱりあまりオススメできないなあと僕は思います。

なぜなら、サンクコストを冷静に判断できなくなるからです。

先の大戦の例でも、これまでの日中戦争などで犠牲となり死んでいった人々に、申し訳が立たないという深刻さを全面に押し出した結果、日本は太平洋戦争に突入していきます。

つまり、感情の重みの方に自然と引っ張られていく。より深刻で真面目そうな方を人間を重視するようになってしまう。

つまり、それぞれのデメリットをしっかりと合理的に勘案した結果、軍人や国民の感情の重みのほうを重視したというわけです。

撤退してアメリカと戦わないという決断をすることよりも、一奥玉砕したほうが真剣で真面目な人々の感情が報われるのだと信じてしまった。

そのほうがよっぽど合理的だ(みんなの感情が報われるのだから)という判断に至っている。

たとえその先にどんな悲惨な状況が待っているとわかっていても、です。

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このことから私たちが学べることは、まず感情によって自分の意見や考えに対して無理やり体重を乗っけようとしないこと。

なぜなら自分自身も、自らが生み出したその感情に飲み込まれてしまい、冷静な判断ができなくなってしまうから。

そして、相手が感情的になっていても、そこから無意識的に感じ取ってしまう「真剣さ」や「真面目さ」を、しっかりと差し引いて天秤にかけること。

さもなければ、相手の無謀な考え方に、自らも巻き込まれてしまうからです。

80年越しに、僕らが先人たちの失敗から学べることのひとつだと思います。

いつもこのブログを読んでくださっているみなさんにとっても今日のお話が何かしらの考えるきっかけとなったら幸いです。