東京に戻ってきて、既にたくさんのひとにお会いをしていて、昼も夜も含めた「飲まない東京探索」が個人的に今、すごくおもしろいです。

これまで、しばらくのあいだ会ってなかったようなひとたちとも積極的に交流してみながら今思うのは、東京は完全に局所的にバブってきているなあということ。

業界ごとの差が本当にすごい。もう「東京」というふうに一括りにはできないなと強く思います。

数年前までの「西高東低」みたいなエリア単位でもくくれない。西側と東側、さらに都心では全くその景気が異なることは言わずもがななんですが、それ以上にもっとリキッド化している印象です。

Twitterやテレビや新聞のニュースだけで漠然と「東京」というふうに見ているだけだと、完全に見誤るなあと感じます。

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また、東京に戻ってきてから、よく聞くのが「副業」の話です。

ここ3年ぐらいで、東京で副業しているひとたちが一気に増えたなあと思う。

久しぶりに会う人は、みんな必ずと言っていいほど副業の話をしてくれます。これは、古くからあるような大企業に属している人であっても、例外ではなくなってきている。

世の中のホワイト企業への流れも、それを後押ししている感じのようです。具体的には、残業がまったく許されなくなった。そうすると、平日の退社後、あとは土日、そしてリモートワークが可能なひとは業務と業務の間の時間帯も、自由に副業に使えるわけですよね。

これが、今の東京の消費を拡大させている大きな原因のひとつだとも思います。

具体的には、統計のデータ上、個人の本業の給与がそれほど増加していないから、消費が拡大していかないという話もある一方で、副業で毎月数万円から数十万円程度の収入が増えたというひとが、東京にはじわじわと増えていることで、実質的には個人の所得が年間で数百万円ぐらい増えているひともかなり多い印象です。

確かに従来のように、個人の一社からもらっている給与をベースで計算していたら、横ばいにも見えるんだけれども、実際のお金の流れはそうじゃない。

夫婦ではなく、事実婚や長く同棲しているカップルであっても、どちらも本業と副業があったりするから、収入源が複数あって、統計には載らないパワーカップル化のような状態にもなっている。

たぶん、それゆえに個々人の可処分所得みたいなものは、かなり増えてきているんじゃないでしょうか。

ただし、この流れもいつまで続くかはわからないから、今はまだ、あぶく銭のような感覚なのだと思います。

古くからある大企業に務めつつ、副業もしているような方は自らを成金だと称していました。

それゆえに、このお金の使い方には個人差も出やすい。

堅実なひとは、せっせと貯蓄や投資に回しているし、宵越しの銭は持たないという江戸っ子気質のひとは、ドンドン使っている印象。これが、局所的にバブルになっていく理由でもあると思います。

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で、ここからは完全に一般的な認識とは真逆だと思うのですが、このような東京の変化なども受けて最近強く思うのは、ローカルのほうが「前時代的な市場経済」が未だに残っているなあと思うことです。

東京は格差も広がりやすいのだけれども、東京のほうが副業を含めたスキルの物々交換など、急速的に人間関係において「田舎化」してきているように思う。

それは観念としての「田舎化」ではあるのだけれども、東京のほうが人情味あるなと思う瞬間は増えてきました。

それは、そうしないと家賃も生活費も教育費も高すぎて、この街ではひとりでは生きていけないからなんだろうなとも思います。20代など若いひとは特に、です。

必要に駆られて、なんとか助け合って生きていこうとすると、必然的に田舎化せざるを得ないということなんだろうなあとも思います。

東京は人口数の多さゆえに、それぞれの生きづらさや、辛さに寄り添えるひとが必ず存在している。それが人口の数や多様性の強みだなあと思います。

もちろん、生活に苦しんでいるという人たちだけでなく、富裕層には富裕層特有の悩みが存在し、それを理解してくれるひともいるし、貧困層には貧困層の悩みを理解してくれる人が、必ず存在しているのが東京の強みです。

「東京は孤立しやすそう」という一般的なイメージでは思うんだけれど、助けを求めて外に出かけてみて、多様な人々と交流してみようという意欲を持てば、自らの「生きづらさ」にハマるコミュニティはちゃんとあるなあという印象です。

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これも、ここ数年で一気に変化したことな気がしています。NPOなどに限らず、若手のベンチャーなんかも含めて、草の根運動がものすごく増えましたからね。そのような団体に助成金なども含めたお金が、流れやすくもなった。

そして、結果として本音と建前みたいなものをちゃんと使い分けられている。言い換えると、本人確認をしっかりとされる場所と、匿名性が担保できている場所を、別々に持つこともできる。

たとえるなら、摩天楼と下町、高級レストランと赤ちょうちんのような使い分けみたいなものが可能なのが東京で、戦後復興の闇市なんかも、きっとこんな感じだったんだろうなあと感じます。まるで「おしん」のような世界観。

そして、そのような場所で、副業などによって潤っている個人も増えてきているので、その個人単位での自由裁量で使えるお金も増えた結果として、草の根運動のような場所で、仕事の受発注なども盛んに行われていて、東京砂漠の中で、みんなで助け合って生き抜こうとしている。

これを田舎化と呼ばずして、一体何と呼ぶのでしょうか。

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逆にローカルは、家賃も生活費もまったく高くないがゆえに、そこまで生活に困っているわけでもないから、数十年前ぐらいまでの市場経済の名残がまだ続いている印象です。

特に地方都市と呼ばれるような場所だと、それが顕著だなあと。

なんというか、とても殺伐としている。また、ローカルの最大の弱みは、生活や暮らしにまつわるすべての事柄を常に同じ人間関係のなかですべてを賄わないといけないことだなあと感じます。

つまり、東京のような「本音と建前」の使い分けが、まったく通用しない。

それでも昔は、同じ人間同士であっても、昼と夜、会議室と居酒屋みたいで見せる顔が違うということもあったのかもしれないけれど、今の若い人たちはそもそも居酒屋には行かないし、そういう話が一切通用しない。

会議室のリベラリズム的な価値観だけで、駆動するとどうしても、どこかで必ず行き詰まってくるはずです。それは「べき論」や、観念の世界の対立になってしまうからです。次第に居場所もなくなっていく。

そうするともう、町から出るしかなくなってしまう。

もし、そこでコミュニティごとに、別々の人間関係の中で本音と建前をそれぞれに使い分けることができていたら、ガス抜きをしながら付き合っていられたら、一緒に居続けることもできたかもしれないのに、です。

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ゆえに、ローカルのひと、特に結婚していたり、子どもがいる人たちで暮らしの悩みがあって、入用のお金が多いひとたちほうが、オンラインコミュニティやNFTコミュニティに流れやすいというのも、きっとそういうことで。

だからこそ、そういうひとたちをカモにしたビジネスも東京発で生まれている。ここには明確に、情報の非対称性のようなものが未だに存在しているなあと思います。

僕も久しぶりに東京に住み始めてみて、その温度感や副業まわりの変わり様には本当に結構びっくりしています。まさに浦島太郎現象のような感じ。

ゆえに、お金に余裕があるひとは、どちらの温度感もちゃんと把握できる東京とローカルの二拠点居住をしようとするひとも、多いということなのでしょうね。

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最後に、こればかりは本当に一長一短で、どちらが良い悪いではない。

二者択一ではなくて、各人が自の生活に合わせたカスタマイズをするしかない。「みんなと同じ」のライフスタイルは、もう不可能です。

ひとりひとりが自分で考えて、自分で実行していくしかないんだろうなあと思います。

ただ、今日お話したように、世間一般的に語られている東京と田舎の印象、その世界像と、実際の世界像は大きく異なってきているということは、僕が自分の目と耳で聞いて、2023年の年末の今、強く思うことです。

2024年以降は、このあたりの流れは更に加速すると思います。

来年は、これまでとは違った意味でまた「東京の盤石さ」みたいなものを見せつけられるようになるんだと思います。

いつもこのブログを読んでくださっているみなさんにとっても、今日のお話が何かしらの参考となったら幸いです。