僕らは、幼いころから「有用性の有無」で何事も評価するように教わって育ってきました。
人類の長い歴史の中で、どうやら万人に共通する「絶対的な真理」なんてものは存在しないらしいということがわかり、
それよりも、いま目の前に立ちはだかる各人の問題意識や課題に対して、直接解決に導いてくれる実用的なものこそが、ひとりひとりにとっての真理なのだと。
僕らが「人それぞれだよねー」というような考え方を採用したり、「実用的であるものが正義」だと判断したりしてしまうのはそのためです。
いわゆるプラグマティズムや功利主義のような考え方だと思います。
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この点、たしかに世の中にはたくさんの実用的なヒト・モノ・コトが溢れています。
それが、社会をここまで発展させてきてくれた。
でも一方で、この考え方を繰り返し突き詰めていくと、そこに危うさも生まれてくる。
例えば寄付文化において、アフリカの貧しい子供たちの命を救おうとした場合、
その有用性だけで判断しようとなったら「100人救える」ことよりも、「1000人救える」ことのほうが間違いなく有用的なことになる。
1000人助けるためであれば、そのお金の出どころ(稼ぎ方)は、ほとんど重要視されません。(犯罪じゃない限り)
100人救った人間よりも、1000人救った人間のほうが、世の中的には圧倒的に正しいわけです。
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しかし、そもそも、ひとりの人間の稼ぎによって1000人の子供たちが救えてしまうこと自体がおかしいと考えることもできる。
その産業構造自体が、アフリカを根本的に貧しくしてしまっている元凶でもある、と言えそうです。
でも、社会課題に対して有用的でありさえすれば、そんなことは考えなくても良いことになる。
「結果が出ているのだから、こっちのほうが正義だろ!」という大きな声に対して抗えなくなってしまい、即効性のないものはどんどん背後に追いやられてしまいます。
その結果、全員が「われ先に!」「遅れてなるものか!」と実用的なものばかりを追求するようになる。
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この有用性の罠は、何も社会構造だけに限らず、人間の健康管理などでも全く同様のことが起きていると思います。
例えば、「痩せたい!」という喫緊の課題に対して、カロリーオフや糖質ゼロの商品ばかりを摂取するようになる。
他にも「疲労回復したい!」という目的のために、栄養ドリンクやエナジードリンクばかり摂取するようになる。
テレビCMでは、そんな「実用的な商品」が毎日ひっきりなしに宣伝されていますよね。
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たしかに、それによって太ってしまう原因や、疲労の直接の原因は消滅するかもしれない。
もちろん、わかりやすく数字としての結果も出ることでしょう。つまり、とっても実用的です。
しかし、腸内環境の悪化や血糖値の乱高下などによる精神へのストレスなど、人体全体のバランスは徐々に崩れていく。
それが明確な副作用として「数字」に表れてこないだけです。
そうなると、結果が出ることだけが最優先されてしまい、微細な変化はすべて有用性の論理の中に絡め取られてしまう。
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このように、有用性の厄介なところは、常に結果が出てしまうところなのです。
そうすると、「もっともっと有用性を高めよう!」と有用性の論理がドンドン加速度的に増してきて、自己増殖を止められなくなってしまう。
しかし、人体でも社会でも、本来は色々な要素が複雑に絡み合って成り立っている。
そして、戦後76年を経過した今、有用性だけを追い求めてきた歪みが至るところに出てきてしまっていて、もう後戻りできない状況まできているのではないか思います。
あとは、何かが大きく破綻するまで、各人がそれぞれの判断で自己防衛するしかない。
そんなことを考える今日このごろです。
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2021/07/14 11:44