これは、結構いろいろな本の中で紹介されている研究結果なので、既にご存知の方も多いと思うのですが、

SNSを巡る人間の幸福感の研究において、ただタイムラインを眺めているだけのひとと、自分でも実際に投稿するひととでは、ただ眺めるだけの人のほうが、自分でも実際に投稿するひとよりも、不幸だと感じる割合がかなり高いらしいです。

なぜなら、他人の幸福そうな投稿と自らの現実を常に比較してしまうから。

そして、大抵の場合は、自分のリアルの生活のほうがみすぼらしく見えてしまうのは仕方のないことです。

自分のすべての生活というのは、キレイな部分だけではなく汚なく疎かな部分も自分では完全に理解しているわけですからね。

一方で、自分でも投稿している場合は、そうじゃないのだと。

もちろん、他者と比較するように幸福自慢しても何の意味もないかとは思いますが、自分は自分で、そのあり方を肯定できるように投稿するというのも、一方で真実だと思います。

他者に自らの暮らしや仕事を説明できるように言語化も行うわけですから、その過程を通じて、自らの自己肯定感のようなものが向上するのは、当然といえば当然のこと。

僕自身も、自分の活動や仕事に納得感を持って取り組んでいられるのも、日々こうやって毎日ブログで発信していることは間違いなくかなり大きな要因だと思います。

そこにある種の自己暗示というか、その意味するところを自ら毎日見つけ出し、発見し続けているような状態とも言えますからね。

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以上のような理由から、SNSに対しての向き合い方というのは、完全に二択だと思います。

それは「一切やらない」or「自分も積極的に投稿してみる」この二択なんだろうなあと。

どちらにせよ「ただ他人の投稿を眺めているだけ」という受動的な選択肢が、実は一番身体には悪い。

だったら一切やらないほうがいいということは、きっと多くの方に理解してもらえるかと思います。

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では、なぜ唐突にこんな話を始めたのか。

この話で一番お伝えしたい肝の部分というのは、大体のひとが「ただ眺める」ということが一番の中道の道であり、いちばん真ん中の選択肢の「普通」だと思っているフシがあるよなあと思ったからです。

実際、ただの「不作為」なのだからそのように思われるのも、何の不思議もありません。

いや、自らのスマホでアプリを開いて能動的に眺めているわけだから、広義の意味では能動的なんだけれども、なんだか時代にも過度に逆らっておらずに、受動的にも思える行為だという意味で、です。

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そして、そのような動作を繰り返す中で、あの炎上している人たちよりも自分はまだマシだとも思えてしまったりもする。

また、そのただ眺めるだけという作業によって、情報収集や世の中の動向もチェックできているから、一切SNSに触っていない人たちよりもマシだとも思えてしまう。

でも、無意識下において、そこはかとなく貯まっていくやり場のない不幸な感覚はドンドン募っていくばかり。

結局のところ、実際は、この三択のなかで一番自らに悪影響を及ぼすことだったりするわけですよね。

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で、僕が今日ここで主張したいのは、こういう構造って、世の中には意外とかなり多いよなあということなんです。

具体的には、良くも悪くも一番被害が少なそうな選択肢として「真ん中」を選び取っているつもりが、実は一番選んじゃいけない選択肢を選んでいる状態です。

さらにもっと具体的に言い換えると、一見すると「安全」または「普通」に見える選択肢が、実際にはいちばんリスクが高いか、望ましくない結果を自らにもたらしてしまう、というような事例です。

たとえば、いまは空前の投資ブームが到来しているので、誰にでもわかりやすく、これを「お金」の例で考えてみると、

①得られた給与を、インデックス投資など金融資産に投資をしているひとと、②一切投資はせず淡々と日本円で貯金しているひと、そして、③「宵越しの銭は持たない」というスタンスで、得られたお金は全て自己投資や友人や家族に投資して信用貯金を増やしているひとの3パターンがあるとします。

この3つのパターンがあれば、一番リスクが高く、自らに望ましくない結果を及ぼすのは(望んでいる結果と、実際に訪れる結果のズレが一番大きいのは)、間違いなく②一切投資はせずに、淡々とそれを日本円で貯金しているひとなんですよね。

でも、きっと、②がまだまだ日本人全体でいえば、一番それがリスクの低い行動であると思っている人が多く、大多数の人たちが選んでいる道なんじゃないでしょうか。

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投資で失敗して、元手のお金を溶かしているひとや、自己投資と言いながら失敗ばかりしているひとを見ながら「かわいそう…自分はあんなふうには絶対にならない」と言いながら、毎月自分の銀行口座に数万円ずつだけ現金が増えるだけというような。

そうやって次第に、家族もできて、年齢を重ねて、何もリスクも取れない状況になって、ふと気づいたら、インフレによって資産が大きく目減りしていました、今までの苦労がすべて水の泡となってしまいました、という状態にも陥りかねない。

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このように、SNSに関してもお金に関しても、リスクを取らず、とはいえ、全くそこに対して無関心になるわけでもなく、安全策を狙ったことが、望まぬ結果に陥るきっかけになると思います。

本当は、それが一番リスクが高いのかもしれない。

何事も疑える思考の癖を普段から身に着けておかないと、大事なものを見落とすことにもなるのかもしれないななと。

もちろん、このようなブログ記事に触発されて「リスク取らねば!」と思って、空回りしてしまうことや、焦って何かに手を出してしまい、大炎上したりすることが一番良くないことだと思います。

自分に合わないことをするのは、絶対に良くない。

ただ、なんとなく両方とも不安だから、一番リスクが低そうなものを選んでおけば大丈夫だ、自分はビビりだから仕方ないし、これなら大きなリターンは得られないかもしれないけれど、それゆえ一番安全だよね、みたいに思っていると本当に足元をすくわれることになる。

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僕は、SNSをやれ!とも、やめろ!とも思わない。ただ、眺めるだけは良くないとは思う。

また、お金に関しても、インデックス投資をしろ!いやいや自己投資だ!も、どちらも好きにすれば良いと思う。ただ、現金で貯金はするなとは思う。

これが、今日のタイトルにもあるとおり、二項対立で語られる世の中にありがちで、見落としがちな落とし穴だなあと思ったというお話です。

二項対立で煽られがちな世の中だからこそ、そしてどっちを選べば良いのかわらないからこそ、身体が硬直化し、結果的に一番選んじゃないけない真ん中を選んでいる状態に陥ってしまう。

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最悪な状態、起きるリスクも正しく理解して、何かあったらそのときはその時だと楽観的に対応できるぐらいの気軽な気持ちを持てるほうが、人生楽しく生きられるような気がします。

世の中には意外と慎重な人が多いなと思いつつ、でもそれが一番リスク高いはずなのになあと思う機会が最近は多かったので、今日のこのブログにも書いてみました。

いつもこのブログを読んでくださっているみなさんにとっても、今日のお話が何かしらの参考となったら幸いです。