最近、「知性とは何か」について、よく考えてしまいます。

というのも以前、シラスの動画の中で哲学者・東浩紀さんが「『結局〜』で切り捨てないのが知性であって、結局という言葉で切り捨ててしまったら、それは知性ではない」というような話をしていて、この話を聞いたときに、本当にこれは大切な視点だなあと思ったから。

もうだいぶ前に聞いた話なのに、今でも毎日のように反芻してしまいます。

この点、僕らは、目の前の相手の頭が悪いとか、理解力が低いとか、宗教が違うとか、民族が違うとか、そもそもの問いさえ共有できないとか、そういう類いの絶望に打ちひしがれて、「結局、理解し合うことは不可能だった」と決めつけてしまいがちです。

その結果として、両者の間に壁を築いたり、国交を断絶したり、武力行使で相手を殲滅してしまおうとしてしまうわけですよね。

これは、国家間の問題だけではなくて、個人間の問題でもまったく一緒だと思います。

でも、そういった類いのわかりあえなさの絶望を経てもなお、そして普通だったら完全に諦めてしまうような場面を経てもなお、どうにかお互いのあいだに必死に「橋」をかけようとしてみようとすることが、「知性」ということなんだろうなと思います。

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で、ここでは「橋をかける=わかりあえる」だと思わないようにすることが、非常に大事な部分だなあとも同時に強く思うわけです。

この点、どうしても僕らは「橋をかける=和解、国交正常化」みたいなことを考えてしまいがち。

でも、別に橋がかかっていたからといって、そのうえをお互いに往来する必要もなければ、必ずしもそれを効果的に活用しようとする必要も、本来はないはずなんですよね。

本当に大事なことは、ただそこに橋がかかっているという現実であり、むしろその事実こそが重要な気がするのです。

そして僕は、まさにこれこそが文明(知性)の力だなとも思います。

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「結局、人間同士はわかりあえない」というのは圧倒的な真実であり、真理です。

これ以上に、真理めいたことも、この世界にはなかなかに存在しないかと思います。

でも、そんな真理に直面したからといって、橋をかけることを諦めて完全にお互いに断絶すれば良いというわけでは決してないはずなんですよね。

そのような関係性や間柄であっても「橋」をかけること自体はできるんだという事実のほうがきっと大切で。

で、ここが先日の「やせ我慢」の話にもつながっていく部分なのかなあと。

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無思想性から生まれてくる無邪気な理想論や、頭の中が完全にお花畑であることは論外であったとしても、現実を正しく見定めたうえで、そこから更に、もう一度ぐいっと踏み込むこと、それが何よりも重要で。

こちらに関しての橋をかけようとする試みというのは、もはやただの理想論やお花畑ではないと僕は思っています。

そこに対して自覚的であれるかどうか、現実を直視してもなお、架け橋をさらにかけ続けようとするか否か、ということが今の僕らに強く求められているような気がします。

繰り返しになりますが、国家間に限らず、個人間においても、です。

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あと、「橋」というのは、空間的把握だけではなくて、それが未来に残るものでもあるというのも、非常に良いところだなあと僕は思うんですよね。

つまり、空間的なつながりを飛び越えて、時間的なつながりでさえも引き伸ばせるのも、「橋」という実在のいいところ。

つまり、自分たちの代では無理だったしても、もしかしたら、次世代にはこの「橋」が役に立つかもしれないという「祈り」みたいな状態につながるなあと同時に強く感じています。

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この点に関連して、いつも思い出してしまうのは、鄧小平の日本に対する棚上げ発言です。

賛否両論ありますが、僕はあの話が結構大好きで、尖閣諸島問題において、「われわれの世代では知恵が足りなくて解決できないかもしれないが、次の世代は、われわれよりももっと知恵があり、この問題を解決できるだろう。」というのは、まさに橋をかける行為そのものだなと。

そして、このような「時間」を味方につける知性みたいなものが、今の僕らには本当に必要だと思うのです。

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さて、ここで話が少し逸れてしまいますが、僕がはじめて働いた会社の社長は単身で中国・北京に乗り込んで起業された方でした。

そして、そんな彼が書いた本を読んで学生時代の僕は、彼のもとで働いてみたいと思うようになるわけなんですが、一番感銘を受けたのは「日本と中国の架け橋になりたい」ということが明確にその本の中に書かれてあったことです。

とはいえ、僕がその会社に勤めている最中に、過去最大級の反日デモが繰り広げられて、チャイナリスクは顕在化し、今のように中国経済も崩壊してきて、ここから台湾有事のようなことが本当に起きる可能性も高い。すると、また日本と中国の関係性は悪化の一途をたどることは間違いありません。

「結局、ダメだったじゃないか」というのはいつだって言えることですし、実際に今の日中関係もそう見えなくはないと思います。

でも、それでも、未来に託すことは諦めたくないなあと思う。いま、僕自身がこのような思考法にたどり着いた原因は、間違いなく元上司のそんな強い意志があったからこそであり、その社長のおかげなのです。

だとすれば、やっぱり橋をかけようとすること、それは紛れもない知性だと僕は思う。

次の世代に、その姿勢は僕と同じように必ず伝わっていくはずですから。

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さて、ここまでの話をまとめると、何でもかんでも自分たちの世代でわかり合おうとしなくてもいいし、かといって「結局わかりあえないじゃないか」として国交を、断絶する必要もない。

その間として、次世代に託せばいいじゃないか、みたいな感覚も同時に常に持ち合わせたい。

にも関わらず、現代の多くの人々は、自分たちの世代でうまくいかなかったことによって、自分たちが国家の犠牲にさせられたとして、すぐに被害者面をしてしまう。

もうすべてが終わったかのように捉えて、完全に批判する方向へと向かってしまうわけです。

でもうまくいかなかったのは、あなた達の世代や集団内での話であって、次世代にはまったく関係がないことじゃないですか、と僕はいつも思うんですよね。

そこで、足を引っ張るんじゃないと強く思う。

でも、こういう話をするとすぐに「私達は、置いてけぼりか!」みたいな批判が飛んでくるんだけれども、苦しんだ当事者の精神的救済と、集団の維持継続のための施策というのを一緒くたに捉えるのはきっと誤りで。

それらを同じレイヤーで語ってしまうと、結局のところ誰も幸せにならない。

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ちなみに僕自身は、昭和と平成の架け橋になりたいと思い、自ら起業した会社をWaseiという会社名にしました。

この意味付けは、間違いなく前職の社長から受け継いでいる。もちろん、幸運にも平成から令和の架け橋という意味合いが込めらえるのもそうです。

「みんなが幸せでありますように」という理想というのは、本当にその通りなんだけれども、その幸せというのは、やせ我慢できるひとたちによって支えられていることでもあったりする。

だとすれば、その「やせ我慢こそが幸せである」と思えるひとたちが、徐々に増えることによって、ほんとうの意味で、世界全体の幸福につながるのだろうなあと。

つまり、知性を身につけて、成熟した態度で世の中に向き合えるひとたちが増えること。

なかなかに難しいことだとは思うけれども、そうしないと次の世代につながっていかない。

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実際、戦後焼け野原からの復興を行い、今の日本をつくりだしてくれたのは、そんなやせ我慢をして、次の時代に祈りを託すように、日本中で橋をかけ続けてくれた先人たちがいてくれたからこそ、今があるはずなんですよね。

彼らが、敗戦という事実を突きつけられて、国家から裏切られたと拗ねて卑屈になっていたら、僕らはもっともっと悲惨な日本に暮らすことになっていたかもしれない。

そういう人たちがいてくれたからこそ、僕らが学べることっていっぱいあるなあと思います。その感謝を絶対に忘れたくない。

いつもこのブログを読んでくださっているみなさんにとっても、今日のお話が何かしらの参考となっていたら幸いです。