同じ街に1ヶ月以上住むのは、久しぶりだ。
なんだか、落ち着くような、戸惑うような気分だ。

暮らしているラ・コルーニャという街は、スペイン北西部のガリシア州に位置する。ポルトガルに近く、大西洋に面している港町である。隣の街は、巡礼で有名なサンティアゴ・デ・コンポステーラだ。

この街へ来たのは偶然だった。たまたま、この街の宿(Airbnb)に空きがあったからだ。ラ・コルーニャについて知っていることは、デポルティーボ・ラ・コルーニャという、かつてはスーペル(スーパー)・デポルと言われていたが、現在は3部リーグに所属するほど低迷しているサッカークラブがあることだけだった。

ラ・コルーニャに到着して数日後、家のホストに車で街を案内してもらった。街の中心や街を見下ろす高台の展望台、そして少し離れた場所にある海沿いのウォーキングコースを見てまわった。なんだか、街の情景と森の質感が合っているようで良いなと思った。

そして、いつも通り1ヶ月間だった滞在予定を2ヶ月間へと変更した。ラ・コルーニャの街が直感的に好きだと思ったからだ。もうすぐ滞在が終わる今、その直感は合っていたと、しみじみ思っている。

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木々が生い茂る森を見て、「森が良い」と感じたのは初めてだった。森が良いとはどういうことなのか、自分でもわからない。田舎で生まれ育ったが、特に自然に詳しいわけでもない。わからないが、緑が印象的というか、日本の自然に似て潤沢というか、なんだか良いと思ったのは確かだった。

ラ・コルーニャはどちらかと言えば、森よりも海の街だと多くの人は語るだろう。街の中心地には三日月型のビーチがあり、その周りをぐるりと建物が囲むような特徴的な地形をしている。ガレリアと呼ばれる、白いガラス張りのバルコニーがあり、建築的にも美しい街なのだと思う。だけど、自分にとっては、緑も印象的だったのだ。

調べてみると、ガリシア州は雨が多く、緑豊かな土地らしい。豊か、潤沢、濃密。そうだ、そういったしっとりと濃い印象を受ける緑がここにはある気がする。実際に、ラ・コルーニャも雨が多い。

スペインでは都市と都市の間は、真っ平な何もない大地が続く乾燥地帯が広がっていたり、雨が少ないエリアも多かったりする。だからなのか、晴れが続くのは気分的には嬉しいけど、どこか街や自然の雰囲気に物足りなさを覚えていた。

たとえば、バルセロナではほとんど雨に打たれたことはなかった。雨が降らないことで、出掛けるときの気分も軽やかになる。だけど、あるとき、雨が降らないことで、街には汚れが溢れて、街の環境が淀んでいくのではないかと思った。

いつまでも空中に留まる汚れた空気や道に溜まる汚れは、いくら清掃車が忙しなく動いていても、消し去ることはできない。そういった汚れを洗い流し、街に蔓延る淀みを綺麗にするものは水であり、雨なのではないか。それがこの街にはない。バルセロナという街のカオスさに惹かれる一方で、代償として、そういった淀みはどこか土地も人も蝕んでいくような気がした。

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日本にいたとき、今のような梅雨の時期が嫌いだった。出掛けるのが億劫になるし、毎年きっちり雨が降り続く日々が来るのは、なんだか自然のバグのようで、いつか修正してほしいと思っていた。

だが、バルセロナで雨を求めたように、雨が降らないことは、単に晴れが続いて気分がいいだけのことではないかもしれない。

雨は街を洗い流すが、同時に植物が生きるための水をもたらす。だからこそ、木々は育ち、濃密な森を形成していく。雨がなければ、森は育たない。恵みの雨とはまさにそういうことだったりするんだろう。

もし梅雨がなくなってしまうと、今ある自然は成り立たないのではないか。雨が降らなくて、毎日快晴で億劫さはなかったとしても、歩いていく道が薄く乏しい自然になってしまうのであれば、それは嬉しいことなのだろうか。

雨がある分、自然は豊かな緑を形成していくならば、ラ・コルーニャも、日本も、雨があることで、今の自然を成り立たせている。だとすると、雨はなくてはならないものだ。

そう思うと、自分にとって、ただ気分を下げるだけだった雨が、豊かなものであると受け入れられつつある。同時に、メタファーとしても、雨がもたらす豊かな自然をというものをじっくりと見つめていきたいとも思った。きっと自分が生き延びていくための余地が、そこにはあるような気がする。

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雨による湿度の高さは、"じめじめ"と表現される。湿度の高さによる煩わしさ。では、"しっとり"という言葉ではどうだろうか。湿度の高さは乾燥を防ぎ、淀みを洗い流した上で、内側を濃密で熟成されたものへと育て上げる。それは豊かなことだ。

豊かであればいいとは限らない。だが、ラ・コルーニャで感じた、そのような"しっとり"とした緑を見つめてみると、「森が良い」と感じたことは、自然を通して、自身が生き延びる環境を見つめる機会であったのかもしれない。

まさか、スペインで最もお気に入りの街が、こんな辺境のラ・コルーニャになるとは思わなかった。まだ他の都市に滞在する予定だが、このラ・コルーニャで暮らしたことは、きっと遠い未来でも思い出すことになるんだろうと思う。

恐れは想定外に陥ったとき、自身の素直さを覆い隠そうとする。だけど、いつだって、ままならないまま、時間は流れ、はたらき、ぐるりと旋回するように生きていく。人々は螺旋のような軌跡を辿る。孤独も同じではないか。孤独という螺旋を巡って生まれた言葉は、剥がれ落ちるように書きつけることで、恐れや人々と共存していく道を紡いでいくのだと思う。「ままならず螺旋する」は、はたらくことと書くことを繋げる自身の試みであり、恐れや人々と共に生きていくための探求の記録である。


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このぐるりとしたビーチと街の風景は、最初見たときは衝撃を受けた。圧倒されるというか。建築への興味は薄かったけど、そういった目線で見るとおもしろい街だろうなと思う。海岸沿いはウォーキングコースとなっていて、ひたすら遠くまで歩ける。散歩が楽しい街すぎて、たくさん歩いてしまう。