インターネット上には、いつも新しいアイディアがたくさん転がっています。

ただ、そのアイディアにたどり着くために用いられた「考え方」においては、玉石混交の状態。

それが優れた考え方によって導かれたものなのかは、見分けることが困難でしょう。

また、たとえ本質的には素晴らしい考え方のもと生まれたアイディアだとしても、Twitterなどでは、その要点だけが語られてしまうことが多いため(つまり結果だけが語られる)、受け手側が誤解してしまうことも多い。

参照:素人は結果から知ろうとする。 | Wasei Salon https://wasei.salon/blogs/961147ac5ebb

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一方、歴史的な名著や、物語のなかに登場するアイディアは古めかしいものばかりです。

昔のお話だから、当然といえば当然ですよね。

ただし、考え方においては全く古びておらず、洗練されているものも多い。

誰もが発信できてしまうインターネットとは異なり、何十年、何百年、何千年と受け継がれてきた過程において洗練されてきたのでしょう。

語り継がれてきた時間軸の長さと、長年語り継いできた人々の数の多さがそれを担保し物語っています。

また、語り継がれる間に、多くの研究者によってその背景に存在する「考え方」まで丁寧に考察されることによって、その想いや意図もわかりやすく理解することができます。

インターネットのように簡略化されてしまうことがないため、読み手側が誤解する可能性も少ないわけです。

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思うに「考え方」は、それぞれの時代における社会背景やテクノロジー(技術)に当てはめて、「アイディア」や「結果」として現れたときに初めて、そこに新旧の概念が登場するのだと思います。

考え方それ自体には、新旧の概念は存在しない。

この事実に気づくまで、僕はとても長い長い時間をかけてしまいました。

ネット上に落ちている新しいアイディアに飛びついてばかりいた頃の自分を、今はとても反省しています。

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だからこそ、これからは常によりよい考え方を見つけるように努めたいと思います。

昨日の自分より、今日の自分の方がよりよい考え方を知り得て、それを実際に習得することができれば、自然と行動も変化してくる。

ものすごく単純な話です。

そのために過去の人々が残した作品や教えに、しっかりと立ち返ろうと思います。

丁寧に解説してくれる書籍やオーディオブックなどを通じて、よりよい考え方を常に探究し続けたい。

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以前もこのブログに書きましたが、今は、何十年、何百年、何千年と変わっていない人間の本質に触れられるたびにワクワクしている自分がいます。

参照:大切なのは、手段ではなく考え方。 | Wasei Salon https://wasei.salon/blogs/7b975c4b5531

遠回りのようで、これが一番の近道だと思います。

いつもこのブログを読んでくださってるみなさんにとっても今日のお話が何かしらの参考となったら幸いです。