昨日、コミュニティマネージャーの若月さんが「数字でふりかえるWasei Salon 2024」というコンテンツを投稿してくれました。


これは、若月さんが毎年定期的に集計してくれているWasei Salon内におけるコンテンツです。

運営メンバーがオシロさんから託されているダッシュボードから、分析できる内容から作成してくれている形になります。

毎年、この記事の項目の中のひとつに「ポイント交換機能の流通ポイント量」も集計もしてくれていて、2024年のWasei Salon内ポイント流通総量は、2024年はなんと147万ポイント。

2022年が合計46万ポイントで、2023年が合計120万ポイントなので、右肩上がりで上昇していることが見て取れます。

さらに驚いたのは、上位のおふたりの数字。三浦さんとかあいさんは、4万ポイント以上を他者に送りつつ、自分の持ち分は5,000ポイント前後でしかないこと。(このあたりは後半で言及します)

ということで今日は、このポイント機能において、今感じていること、これからどうしていきたいのか?も含めて書いてみたいと思います。

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この点、Wasei Salonがポイント機能を導入してからきっと、既に5年以上は経過しているはずです。

何年もずーっとこのポイントがサロン内でゆるやかに流通していると、決して法定通貨に変えることができなくても、明確にそれは「価値」があるもの、体重や体温がのっかるものとして存在するようになっているから、不思議です。

そして、僕自身はこのポイント交換機能を用いて、普段から交流があり尊敬している企業やお店さんの商品やサービスとも交換できるようにしていたりもします。

僕だけでなく、他のメンバーのみなさんも、それぞれの得意やスキルを活かして、何かしらの交換企画を実施していてくれていたりもする。

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で、こうやって緩やかにポイントを送り合い、コミュニティ内にそれが日常的に流通していると、参加者全員が「これには明確に価値がある」と思えるようになること自体がおもしろいなと感じます。

そのためには、コミュニティの中で日々当たり前のように循環していることに意味があるんだろうなあと。

言い換えると、いつも語ってきたような「価値があるから交換する」のではなくて「交換するから価値がある」と思い合っていけるような「円環」をつくり出すことが大事なんだろうなあと。

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この点、最近読んでいる社会学者・橋爪大三郎さんの『権力』という本の中に、非常におもしろい記述がありました。

ちなみにこの本は、権力とは何かという話を根本的に問い直してくれていて、その思考の過程を追うこと自体が、とってもおもしろい本になります。

で、本書で語られていて、この場でご紹介したい問いは「法律がなぜ効力があるものとして、存在するのか」という問いです。

そこには、以下のような記述がありました。

”円環(サークル)の場合は、終端がないので、法と法がぐるぐると旋回する。法だけで(権力なしで)完結しているようにもみえる。だが、ほかならぬこの法の円環はなぜ、効力のあるものとしてここに存在するのか。そして、人びとをそこにつなぎとめているのだろうか。
この円環は、貨幣が流通するところと似ている。人びとがそれを貨幣だと思うのは、それが貨幣の効力をもつからだが、それが貨幣の効力をもつのは、人びとがそれを貨幣だと思うからだ。
法の場合も、人びとがそれを法だと思うのは、効力をもつからだが、それが効力をもつのは、人びとがそれを法だと思うからだ。この円環は、なぜか事実として成り立っている。”


この部分を読みながら、僕は強く膝を打ちました。

法律にはなぜ法律としてその権力が内在しているのかといえば、それは法律として皆が従い、それで実際に社会がグルグルと回っているから。

「この事実は、法の効力には回収できない。そして逆に、この事実が、法に根拠を与えている。」と橋爪さんは書かれていましたが、まさにそのような循環論法がここには存在している。

そして、この論理は、ポイントやコミュニティ内での価値にも当てはめることができるよなと感じるのです。

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とはいえ一方で「それに価値がある」と思いすぎて、蓄財してしまうことには注意が必要なんだと思います。

ここも非常に重要な点です。

貨幣と同様の機能だと思い込み、蓄財が進むと、贈与や交換の循環が途端に崩壊してしまう。誰かが我田引水しようと企み始めてしまうわけですから、当然ですよね。

そして、僕が最近の仮想通貨やトークンまわりの取り組みが、あまりにも悲惨で距離を取ってしまいたくなると感じるのは、この円環を自分たちで積極的「失望」に変えてしまっていると感じるからです。

ミームだなんだと言いながら、目先の利益に目がくらみ「蓄財」や「マーケット」の格好のおもちゃにしてしまっていること。

より大きな「市場経済」と接続したらどうなるのか、その誘惑に一番足元を救われてしまっている。

一方で、コミュニティの中ではほとんど流通していない。一方的に運営側から降ってくるのを待っているだけ。そのようなトークンやポイントには、本質的な価値を生み出すものとはならない。これは僕が一貫してずっと主張し続けていることでもあります。

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先ほどもご紹介した書籍『権力』の中でも「蓄財」において言及されていました。

改めて本書から引用してみると、

”贈与と交換しかしない社会は、農業がないか、あってもごく素朴な段階だ。財を蓄積することは、贈与と交換を脅かす。財を蓄積するよりも、贈与し、蕩尽することに価値が置かれる。贈与すれば、財は失われる。けれども、威信(名誉)がえられる。
威信は、本人の満足であり、周囲の称賛である。一箇所に集中するとしても、蓄積できず危険でもない。人びとは、どうやって贈与し、威信を獲得しようか知恵をしぼる。結局、余剰の財はすべて蕩尽され、社会の平和な現状は維持される。”


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昨日もご紹介した 『平等について、いま話したいこと 』の中でも、ピケティはサンデルからルソーの『不平等起源論』の中に書かれてある「私有財産制」の話について聞かれたときに、「私有財産を際限なく蓄積することこそが問題だ」と答えていました。

「少数の手に財産が極端に集中し、それに伴って権力が集中することが問題」なのだと。

もちろん、現代社会において、農耕社会以前の原始的な社会に戻ることはもう不可能です。それは間違いない。

でも、特定のコミュニティ内で、擬似的に蓄財が起きにくい、贈与と交換だけが巡っている状態をつくり出すことはきっと可能だし、その復興がいま大事なのだろうなと思います。

その循環が続いているときに、参加している人々の間に立ち上がってくるものが「信頼」であり、「威信や名誉、称賛」だと思うんですよね。

言い換えると、このコミュニティ内に立ちあらわれてくる副産物のために本来は、贈与や交換の機能があったはずで。

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実際、三浦さんやかあいさんは、まさにこれを実践してくれた結果、コミュニティ内での一定の威信、名誉、称賛をしっかりと獲得している。

保有しているポイント数は、他のメンバーから圧倒的に劣るけれど、それ以上のものを手にしている。

それはWasei Salonメンバーであれば誰もが納得してもらえると思います。そして、直感やイメージだけではなく、彼らが流通させた数字でもそれがしっかりと現われているわけです。

この威信を獲得したひとは、コミュニティ内では、ある意味では安泰というか、そうすると、余計にまたポイントが集まってくるし、余計にまた次に回しても大丈夫な状態が生まれてくる。

流れが生まれて、結果的に円環が強化されていくし、「保険」のような価値も生まれて、徐々に広がっていく。

大事なことは、このあたりにあるんだろうなあと僕は思っています。

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 『平等について、いま話したいこと 』の本の最後、サンデルとピケティは平等の三つの側面について語っていました。

ひとつは、経済における所得と富の再分配について。

ふたつ目は、政治における発言権、権限、参加について。

そして三つ目が尊厳、身分、尊重、承認、敬意、"尊敬について。

そして、おふたりとも、この第三の側面が、政治的にも、おそらく倫理的にも、最も影響が大きい気がしていると語っていました。

僕もこの点には非常に同意します。

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で、だとすれば、大事なことはポイントやトークンをグルグルと回すことにより、第三の視点を耕すためのポイントやトークンでなければ何の意味もない。

でも、web3やトークンエコノミーが大々的に語られるときには、どうしても、ひとつめとふたつめの話しかなされない。つまり、経済における所得と富の再分配、もしくは政治における発言権、参加の話です。

そのうちに、どうやってこの話を大衆にも聞き入れてもらうかと規模の話になり、市場と接続してギャンブル場を作りだし、なんとか一般人のアテンションを集めるんだ!となってしまう。

そして、最初に理想としていた世界観も蓄財ゲームの餌食になってしまう。

そして、現状はトークンや仮想通貨自体も、ただの情弱からの資金集めの手段になりさがってしまっている。それでは、本当に元の木阿弥です。

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だから、これからもWasei Salonのポイント機能は、ぐるぐると意味もなくコミュニティ内でまわりつづけているものにしていきたいと思っています。

外から見たら、そんな金銭的にも無価値な数字をグルグル回して「えっ、一体何やってんの?」と思われるはずなんだけれども、それを積極的に行っていって、そこの円環や循環の副産物として宿る「尊重、承認、敬意」の価値をコミュニティ内で生み出し、それらをお互いに高め合っていきたい。

ポイントやトークンというのは、そのための入れ物であり、手段だと思うから。決してマネーゲームやギャンブルのためではないはずです。

ゆえに、ポイント交換は本当に想いが込められた商品やサービス、体験の交換のみに留めることが、きっと目指すべき方向性なんだろうなあと思っています。

ぜひみなさんも、また何かしらポイント交換に出品してみてください。

いつもこのブログを読んでくださっているみなさんにとっても、今日のブログが何かしらの参考となっていたら幸いです。