先日、投資家・藤野英人さんの『「日経平均10万円」時代が来る!』という本を読みました。

とても納得感のある主張が書かれており、実際に10年後に本当に日経平均株価がどうなるか神のみぞ知るとしても、しっかりと理解しておく必要のある経済トレンドの話だなあと思いながら、読み終えました。

で、経済的な指標に関してはビジネス系の人々に譲るとして、この本の中で「働き方
」という文脈において、とても印象的なお話があったので、このブログではそのお話をご紹介してみたいなと思います。

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それが具体的にどんな話だったのかと言えば、インフレの社会においては、労働者の賃金を据え置くことで、「実質的な賃下げ」となっていて、労働基準法を遵守しながらもドンドン賃下げすることが可能となる、というお話です。

以下本書から少し引用してみたいと思います。

働き方についていえば、ここからの 10 年で賃金の扱われ方が変わるのではないかと思います。インフレ時代を知らない人にはピンと来ないかもしれませんが、かつては物価上昇の負担を吸収できるよう、労働組合は一律に基本給を上げる「ベースアップ」や定期昇給を目指して企業と交渉していました。しかしデフレ下では給料を維持するだけで賃金の価値を保つことができたため、この 30 年、労働組合は賃上げのために頑張る必要がなかったと言えるでしょう。     
ここでインフレに転換することで何が起きるのかというと、「実質的な賃下げ」 です。 最近、経営者と話す中で話題になるのが「これからは給料に差をつけることが経営の選択肢になる」という話です。     
優秀な人材、手放したくない人材にはインフレを上回る給料の引き上げを行う一方、評価が低い人材は給料を据え置くだけで、労働基準法を遵守しながら実質的な賃下げをすることが可能になります。 


もちろん、このような局面になったら労働者も絶対に黙っていない。

労働者側もベースアップを目指して、交渉も行われることも間違いないでしょう。

実際、大企業の場合は、労働組合みたいなものもしっかりと整備されているため、今年も賃金はベースアップされていく可能性が高く、実際既にそうなりつつあるけれども、中小企業の場合は、果たしてどうでしょうか。

日本人はこういう場合において、交渉する手立てをほとんど持たない。あとは、フリーランスで働く人たちも個々人で活動しているため、一体どうやって団結するのか。

「交渉するなら、他の外注先を切り替えます」と言われたときにどうやってそれに対抗するのか。

40代に入って、子供の教育費もかかってきて一番お金が必要なときにであっても、20代の若者でその仕事をAIを駆使しながら半額で似たような成果物を生み出してくれる仕事をやってくれるひとがいるなら、企業は当たり前のようにそちらに外注の仕事を回すに決まっています。

ゆえに、フリーランスの方々は、これからかなり不利な立場に置かれるのではないのかなあとも思います。だからこそ、自分の事業をつくりだすことはめちゃくちゃ大事になってくるだろうなと。

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また、さらに厄介なことは、今はよく「人手不足だ!」と言われるけれど、それが好景気によって「人手不足」であるわけではないという点もあげられるかと思います。

何よりも、日本の圧倒的な人口減少による「労働人口の減少」が、その一番の要因なわけですよね。

結果として、「人手不足」と「人手余り」ということが同時に起きているという歪な構造も起きている。だからこそ、賃上げ自体も局所的になっていくわけです。

つまり、昔の行動経済成長期のインフレ時代の日本みたいに全国民が似たような割合で賃上げがなされるわけではない、ということです。

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そして、日銀の黒田元総裁が過去10年間なんとか必死で努力したわけだけれども、この物価と賃金を緩やかに上昇させていくそのコントロールは国家にその舵取りは不可能だったバレてしまった。

「国はもう舵取りはできません!各人がそれぞれの小型の脱出用ボートでどうにか生き抜いてください。」それがある意味では、新NISAのような仕組みでもあるわけで。

このときに大事なことは、円というひとつの価値で、ものごとのあらゆる価値を測るのではなく、相対的な「価値」をちゃんと把握をしておくことが、いま本当に大事だなあと思います。

言い換えると、日本円というものさしだけで、ものごとを把握しているような状態だと完全にその「価値」自体を見誤る。

なぜなら、実質的な賃下げと同様、円をベースにした判断した場合には変動していないから、です。

でも、物価が2倍になって給与が据え置きなら、実質的には賃下げをなされていることと同じなわけです。単純計算で、給与が2分の1になったのと同じこと。

価値においても、そのようなメタ視点をもたないといけない。

ものさしを複数持っておくこととは、つまりはそういうことです。

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たぶん、こんな言い方で語っているひとはあまりいないと思うので、あえてこのブログの普段から読んでくれている方々にとってわかりやすい例で喩えてみると、きっとここ10年間ぐらいの「価値観」の多様性と比較して考えるとこれはわかりやすいはず。

この点、15年ぐらい前まではテレビ(マスメディア)がつくり出していた世の中の「空気」だけを知っていれば、それで良かった時代が長く続いていました。暮らしや仕事がそれで成り立たないということは、まずなかった。

でも、ここ10年間ぐらいは、テレビの内容だけでは明らかに不十分です。むしろ、それだと逆に時代の空気を理解できずに、ずぐに足元をすくわれるという状態が続いてきたわけですよね。

そして、同時に、あれだけテレビという業界の中で盤石だったはずのジャニーズや吉本が、大炎上しているような時代でもある。

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それは「価値観」のものさし自体が相対化されて、その尺度が大きく変わったからです。

グローバルの基準や、マイノリティや少数者の方々の声など「複数のものさし」を持つことの重要性が、本当に頻繁に叫ばれるようになりました。

さらに、それらがあまりにバラバラなゆえに「本質的な価値観とは何か」に対して疑問を持つ人も一気に増えた。

その結果として、現代における多様性だけではなく、古今東西ありとあらゆる人間の価値観や人格を定める「倫理」とは一体何なのかを探求しようとするひとが今ものすごく増えている。

それが、昨今の哲学や教養のブームにもつながっているわけです。

この話はきっと多くのひとが納得し共感してくれる部分だと思います。

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これと全く同じようなことが、感情的な「価値観」だけではなく、「価値そのもの」にも起きてくるはずなんですよね。

ここが今日一番強く強調したいポイントです。

だから、「投資」なんてものは自分には関係ないというスタンスではきっと間違いです。もう、そういうことは言っていられなくなってくる。

それは、哲学や教養なんて自分には関係ない、と現代で言っているのと同様です。

現代を生きている以上は「そもそも価値って、なんだろう?」と、全員が考えないといけないフェーズに入ってきた。

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これが、ありとあらゆるものや資産の価格が変動し、インフレと新NISA制度を皮切りに始まった、今の広義の「投資ブーム」を生み出している本当の理由だと僕は思います。

まさに、哲学ブームと一緒です。

テレビ(マスメディア)の凋落による「価値観」の多様性が哲学ブームを生んだように、円(通貨)の凋落により「価値そのもの」の多様性が投資ブームを生んでいる。

更に現代は、ここに無形資産の価値なんかも新たに生まれ始めています。NFTや仮想通貨のトークンのように、まったく価値がなかったようなものにまで、なぜか価値が生まれてくるようにもなっている。

従来的な価値基準だけで理解していると、このような無形資産にも価値がつく意味も全然理解できないはずで。だから、あんなのは宗教だ!マルチだ!って言って見過ごすことになる。

でも、どっちが本当に宗教でマルチなのかといえば、むしろ給与を据え置きで、ただ黙っている経営者と、それを受け入れている中小企業の従業員たちのほうだと僕は思います。

ここに座って、昨日と変わらない毎日を粛々とおくっていれば、神(お上)が救ってくれると言っているようなものですから。

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最後に、ローカルは、今年も間違いなく賃上げには消極的だと思います。ということは、都心の大企業とローカルの格差は、より一層大きく広がっていく。

僕らは「価値観」というもので、ローカルの年功序列・男尊女卑という一つの価値基準だけに支配されること、その危うさをここ十数年で強く体感してきたはずです。

そして、ついにローカルも変わらざるを得ない状況に、この数年でやっと追い込まれてきた。

今回の賃金格差もきっとまた、似たような事が起こる。だから、個々人が自己防衛のためにも、今から「価値そのものとは、一体何なのか」その相対的な基準、ものさしの多様性を持ち合わせる必要があるかと思います。

何も日経平均株価のような経済指標を毎日眺めろと言うわけではないです。他人がつくり出した指標、そしてそこから生み出される他人の良し悪しの基準を鵜呑みにしていてはダメだよねということが言いたい。自分で考えることが必要だということです。

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なによりもきっと、その一番の被害を受けるのは、今このブログを読んでいるひとたちご本人ではなく、その子どもたちなんです。

子供が中高生になり始めたときに、受けさせてあげられる教育や体験、その機会の質も親が「価値観」と「価値そのもの」を見誤ると、まるっきり変わってくる。

子どもがいるひとたちほど、しっかりと様々なものさしに触れてみて、その多様な視点を勉強をしておいたほうがいいと思います。親の不勉強がそのまま、子どもたちの世代にのしかかるわけだから。

このインフレ社会の中で「価値そのもの」について何も学ぼうとしない不作為というのは、子供に対して借金や負の遺産を残すことと、ほぼ同義だと僕は思います。

いつもこのブログを読んでいるみなさんにとっても今日のブログが何かしらの参考となったら幸いです。