「日本の株価や不動産価格が上がっても、結局トリクルダウンは起きなかった」

「富裕層が自分たちの富だけを増やし、企業の内部留保が増えただけだった」

これらの批判は、ここ数年で一気に格差社会が進行したことにより、その事実を批判される際に必ず言及されるような事柄です。

そして、為政者側もこれはさすがにやりすぎたということを反省してなのか、来年から、新NISAのようなものも始まろうとしているわけですよね。

具体的には、非課税枠を増やし、一般人やサラリーマンであっても儲かりやすくしましょう、と。

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一見すると、一般庶民に対して優遇された施策のようであり、実際にインデックス投資を含む株価がドンドン上がっていけば、みんなにとってWin-Winだろうというように感じられる。

とはいえ、そうやってサラリーマンや一般人が、新しい制度のおかげで数百万〜数千万円儲かって喜んでいるうちに、富裕層はその何十倍から何百倍、何千倍の資産を株式市場で増やし、より一層富める者が富む世界が現実なわけです。

労働者側の資産も増えているから、格差は縮小していくように見せかけて、実はむしろより一層格差は広がるばかり。これが複利の力なんだと思います。

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でも、一般の人々は自分たちのお財布の中身や、自分の証券会社の数字しか興味がなく誰もが一様に儲かっているから、全員がさらなる経済的な発展を一緒に望むことになる。

そうやって、資本家から労働者までみんなが市場でポジションを取れば、自然とみんなが資本主義の発展を望むことになるわけですよね。

つまり、やっていることは日本単位や世界単位でのマルチ商法とそこまで変わらない。

有権者みんなが納得してくれて、世論や政治を味方につけ、資本主義経済に有利な方向に向かえば、胴元の人間、資産の多い人間が一番儲かる仕組みになることは変わりないのだから。

結局は、有権者の一票を資本の論理に飲み込もう、懐柔しようとしているわけですよね。

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だからこそ、脱成長論者のひとたちは、ここを強く批判するわけですよね。

この構造自体を指摘してダウト!って声高に叫ぶ。

そして、僕もそのような主張も正しい主張だとは思っています。新NISAのような仕組みは、子供だまし、まやかしにすぎないというのは、ごもっともです。

でも、一方でここで難しいのは、だからって「その資本のゲームに参加しない」という選択肢は、今のところ存在しないということです。

ここに参加しないこと、それすなわち「世界に参加しない」ということに等しいわけですから。

世の中は、すでにその仕組みの中で動いてしまっている。

そこに参加しないということは必然的に、自らが金融資本的に劣位な状況に置かれてしまうことは間違いないわけです。

それが、本当に嫌だったら田舎に引っ越して、文字通りの自給自足の暮らしをするしかない。

それ以上の自由や選択肢は存在しなくなってしまう。

つまり、それというのは能動的に選んでいるようで、選ばされているだけ、口うるさく面倒くさいやつは、単純に人里は離れた場所に追いやられているだけ、とも言えそうです。

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で、今度は一匹狼思考が強いひと、個人主義の思考が強い人々は「それが嫌だったら、自己投資をしろ!」と語るわけです。

僕もどちらかといえば、こちらに近い感覚でこれまで生きてきました。

ただし、ここにも大きな弱点があるなあと思います。

それは何かと言えば、みんながみんなその自己投資に見合った恩恵が必ずしも得られるわけではないということです。

まさに「投資は自己責任だ」となってしまうわけで、それは自己投資においても全く同じです。

自己投資をした結果、自らの内側に溜め込まれた知識やスキルがしっかりと報われればいいけれども、現代は報われない可能性も圧倒的に高い。

長い時間をかけて、勉強などの自己投資をした結果、そのスキルが紙くず同様になりましたということだって、大いにあり得るわけです。

明日には何がリスキリングの対象になるのか、今みたいにAIも出てきた世の中であれば、もう完全に予測不可能なわけですよね。

だから、自己投資を選んだ人々は、毎日ひたすらに新しいことを学び続けるしかない。絶対に自己投資の手を止めてはいけないのです。

学べない期間が出てきた時点で、それは市場に置いていかれることが確実となるからです。

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つまり、完全に体力勝負になるわけですよね。

だからこそ、この一匹狼タイプのひとたちは、必ず体力や健康を一番の重要な要素に掲げるわけです。

でもそれは、逆にいえば健康が一度でもおぼつかなくなったら、その時点でアウトだということでもある。

常に自己投資に多数のお金を割いてきて、何年間も療養に専念できるだけの資産を築いているわけじゃないから、自己投資で鍛えたスキルで報酬を得て、そのお金をつかって再度自己投資をしていくというサイクルが崩れ去った時点で、もう他に頼るものがなくなるわけです。

実際、身体を壊してしまい、労働市場から脱落するひとも本当に多い。自己投資に専念した人たちがそうやって身体を壊したり、鬱に陥ったりする場面を過去にたくさん見てきました。

健康面ばっかりは、どこまで気をつけていたとしても、最終的には運によるところが大きいですからね。

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で、金融資本に対して投資する派のひとたちは、そんな人達の屍を指さしながら「だから言わんこっちゃない」ということで、結局また安定的に投資して資産を築いた人間が有利になると言い募る。

その見せしめのように使われて、だから、ドンドン安定志向のひとびとが投資サイドに流れていって、税制的にも更に優遇されると言いくるめられて、金融資産に投資していくわけですよね。

その結果として、市場に流通する金額もドンドン増えて、より資本主義の論理が加速していく。

このスパイラルがまさに今、ということだと思います。

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この点、個人でリスクヘッジをしておくことが、まずは何よりも大事であることは間違いないかと思います。

つまり、ポートフォリオの組み方の問題です。一側面に、振り切りすぎないこと。

でも、さらにそのうえで、コミュニティや共同体がここで大切になってくることは、間違いないはずなんですよね。

一人ではどうしようもできない瞬間が、必ず訪れるわけですから。その時に、どんなコミュニティが存在すると理想的なのか。

ここが今、僕の一番の関心事なんです。

どうやったらこの富裕層のマッチポンプ、そんな戦いの螺旋を本当の意味で降りられるのか。

ありとあらゆる社会問題や、政治的なイシューは完全にここに紐づいてしまっているわけですから。それは今、海の向こうで行われている戦争から環境問題まで、ありとあらゆるすべての事柄がここに集約されている。本当に世の中、金次第なんです。

独立した共同体をつくらないと、話が始まらない。

こればかりはなかなかにむずかしい問題だなあと思います。もちろん、答えがあるような話でもありません。

でも、答えがないからと言って諦めたくはなくて、ここを考えないと何事も始まらないなあと思っています。

右派も左派も、資本家も労働者も、老若男女関わらず、みんなが自由意志で参加しているような共同体、共に助け合う空間をつくらないといけないなあと真剣に思います。

これからの時代において、共同体での最適なリスクヘッジとは一体どのような在り方なのか。

そんなことを考える今日このごろです。

いつもこのブログを読んでくださっているみなさんにとっても、今日のお話が何かしらの参考となっていたら幸いです。