今日は前日に書いた記事の続きです。

この話は、これから起こる世の中の変化の中でも、とっても重要な変化だと思うから、もう少し詳しく書いてみます。前編はこちら↓

たとえば僕らは今、何かメッセージとして「言葉」をやり取りするときに、「手紙」という手段を用いることは一気に減ってしまいました。

でも昔は、何かのメッセージを他者に伝えるためのその手段として「物体としての手紙」を多用せざるを得なかったわけですよね。

しかも、そこに込められたメッセージは「情報」だけではなく、ものすごく高級な便箋を用いて書いてみたり、達筆な文字にこだわって書いてみたりしながら、さまざまな形で相手への「好意」や「敬意」を言葉にならない形で伝えていたわけです。

ここでむずかしいのは、華美すぎるものもダメだし、質素すぎてもダメ。まさに粋とか野暮とかの領域の話です。これこそがまさに「メタ・メッセージ」のひとつです。

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このように「手紙を送る」という行為ひとつとっても、その伝達したい情報のほかに、様々なメタ・メッセージがその行為に紐付けられていました。

でも今は、手紙を出す人は稀で、ほとんどのひとがLINEなどのメッセンジャーアプリを使って、そのスピード感(即レス)や表現手法などによって、自らの「好意」や「敬意」をそこに込めるはず。

もしくは、LINEスタンプなど言葉以外の「装飾」を送り合うことによっても、そのメタ・メッセージのやり取りをしていたりもするわけです。

だから高級な便箋を買うのと同じようなテンションで、有料のLINEのスタンプも購入するわけですよね。

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手紙に起きたこのような変化が、これから「仮想空間(メタバース)+所有権(NFT)」という概念が世間に広く普及していくことで、世界中のありとあらゆる場面で起きてくると思うのです。

それまで「物質」の中に一体化していた様々な「メッセージ」や「機能」がドンドン分離していくようなイメージです。

僕らは一つの行動に対して、ひとつのメッセージ(価値)を込めていると思っているけれど、実際のところは全然そうじゃない。

本当は、ものすごく多層的な意味合いを込めているのです。ミルフィーユのように何枚も何枚もレイヤーが重なっている状態です。

逆に言うと、そこに社会的なメタ・メッセージがあるから人は、一見すると他民族からは理解不能な「蕩尽」のような行動もしてしまうのです。(贈与論や文化人類学の中でも頻繁に出てくる話)

この点においては、まったく合理的じゃない。

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昨日も書いたように、男女の出会いの要素がなくなったクラブカルチャーが、これまでの慣習や既存の形を継続することができなくなるのと同じように、これから既存産業の多くは、その形が変わらざるを得ない。

この変化を避けられるひとは、まずいないと思います。

なぜなら、全員がリアル世界において多義的な意味が込められた世界の中で生きているから。

嗜好品と呼ばれるようなものほど、そのミルフィーユのレイヤーが多層的で複雑に絡み合っています。

そして今、嗜好品じゃない商品(サービス)の生業を探すほうが、むずかしいと思います。

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少なくとも今30代よりも下の世代においては絶対に避けては通れない道だと思います。

この変化になるべくはやく気がついて、本当の「価値」とは何か、を常に問い続けておくこと。

その上で、どんな「価値」や「機能」がリアルの空間に残り、どんな「価値」や「機能」がリアルから剥がされて、ネットに置き換わっていくのか。

それを冷静に見定めることが非常に重要になってくる。

いつもこのブログを読んでくださっているみなさんにとっても、今日のお話が何かしらの参考となったら幸いです。