僕らは何か対象物の理解を深めたいと願うとき、どうしても対象物ばかりを真剣に眺めてしまいがち。

でも、そうすると、必ずどこかで煮詰まってきてしまいます…。

そんな時、思い切って「背景」を変えてみることが重要なのかもしれません。今日はそんなお話を少しだけ。

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そもそも、人はなぜ、写真を撮るときなどに異様に背景にこだわるのでしょうか。

それは、背景が変われば、対象物が同じであったとしても、その写真の意味するところが大きく変わってくるからですよね。

だからこそ、Instagramでは同じ人物がひたすら背景を変えて、何枚も似たような写真を投稿し続ける。

それは、YouTubeのような動画コンテンツであっても同じこと。

最近では、zoomでさえも背景が重要だと語られるようになってきましたよね。

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この点、哲学者のマルクス・ガブリエルが「芸術」と「美術館」を例にして、とてもわかりやすいお話を語ってくれています。

彼の著書『なぜ世界は存在しないのか (講談社選書メチエ)』から少し引用してみましょう。

ー引用開始ー

芸術の意味とは何かという問いに、また別の視点からアプローチしてみましょう。

わたしたちが美術館に行くのは、美術館では、あらゆるものにたいして違った見方をするという経験ができるからです。わたしたちが芸術に触れるなかで学んでいくのは、「確固とした世界秩序のなかで、わたしたちはたんに受動的な鑑賞者にすぎない」という想定から自らを解放することにほかなりません。

じっさい美術館では、受動的な観察者のままでは何も理解できません。訳のわからない、無意味にすら見える芸術作品を解釈することに努めなければなりません。何の解釈もしなければ、塗りたくられた絵の具が見えるにすぎません。それはポロックだけでなく、ミケランジェロでも同じことです。

(中略)

かくして芸術の意味は、通常であれば自明にすぎない物ごとを、注目するほかない奇妙な光のもとに置くことにあります。芸術は、行為を舞台に上げ、映画に撮影し、額縁に収め、以前には思いも寄らなかった仕方で和音から交響曲を展開し、優れた詩作品において思いも寄らない言語表現を見せる。つまり芸術は、新たな意味でわたしたちを驚かせ、日常とは違った角度から対象を照らしてくれるわけです。

ー引用終了ー

「美術館」という空間や、「芸術」という表現手法によってその背景を変えることで、普段見慣れているものでさえも、私たちは「新たな意味」に直面せざるを得なくなる。

つまり、背景を変えるだけで、それまでとは異なった思考が勝手に自らの中で動き出してしまうというわけです。

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さて、そうであるならば、ここからはもう一歩踏み込んで、具体的な背景だけではなく「抽象的な背景」についても少し考えてみたい。

たとえば、歴史を学ぶこと。

たとえば、形而上学的に考えてみること。

このような「学び」の中から生まれてくる思考の変化も、実は抽象的な「思考の背景」を変えていることに他ならないのではないかと、僕は思うのです。

さまざまな読書体験を通じて、自己の中に生まれてくる諸々の発見もきっと、この「思考の背景」を変えたことに由来しているはず。

他者との対話も、言い方をかえれば「他者の背景」を借りて、対象物を眺めている行為に過ぎないわけですよね。

このように、さまざまな背景をあてがってみながら自己の見方を変えてみることで、新たな問いが自然と自己の中に立ち現れてくるわけです。

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対象は、対象だけでは絶対に認識することはできません。

必ずなんらかの背景が存在しなければ、その対象は前景化してくれない。つまり、背景と対象物とは密接不可分の関係なのです。

であるならば、人間に与えられた唯一の自由とは、背景を積極的に変えてみることなのかもしれません。

いま何かしらで行き詰まりを感じているひとにとって、今日のお話が少しでも考えるきっかけにつながったら幸いです。

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