自分の中で、ずっと答えのわからない問いのひとつに「境界線は明確にするべきか、曖昧にするべきか」という問いがあります。
一般的に西洋的な考え方で行くと、境界線はなるべく明確にしたほうがいい。
そのほうがルールの適用範囲が明確になるからです。人々が判断に迷わなくなる。
一方で日本的な考え方で行くと、境界線はできるだけ曖昧にしたほうがいい。
里山や縁側に代表されるように、境界線を曖昧にした空間に人間だけでなく動植物も入り混じり、多様な生態系を構築することができるから、です。
そして僕はなるべく、その境界線を曖昧にしたいと思う派でした。
でも、この考え方も一筋縄ではいかないよなあと最近は思っています。今日はそんな悩みのようなものをこのブログに書いてみたいと思います。
あらかじめ明言しておきますが、今日何か明確な答えがあるようなブログではありません。
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まず、なぜ境界線を明確にすることがいけないのか。
それは、境界線を引くと「必ずその境界線からあふれるひとが出てくるから」です。
そして、その外側にいるひとたち、福祉など救おうとするときにも、そこに「区別」の概念が生まれて、ときには「差別」まで助長してしまうことになりかねません。
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この点、「障害者アート」のようなものを無邪気に尊ぶ危うさというのも、ここにあるなあと僕は感じています。
これは『創造と狂気の歴史 プラトンからドゥルーズまで』という本から引用すると、きっとわかりやすいかと思うので、少し本書から引用してみたいと思います。
人類史における統合失調症の出現と、芸術をうみだす創造とは、どのように関係しているのでしょうか。それを論じたのが、ミシェル・フーコー(一九二六─八四年) の『狂気の歴史』(一九六一年) という本です。フーコーによれば、狂気という現象は昔からあったけれども、一七世紀の中頃までは、西欧の社会は狂気に対して驚くほど寛容だったといいます。つまり、当時の狂人たちは社会の周辺に追いやられてはいたけれども、社会の機能のなかに組み込まれていたのです。しかし、それ以降、狂人たちは施設(今日の精神病院の起源です) に監禁されるようになります。すると、狂気は社会から排除され、不可視化され、沈黙させられるようになる。
『狂気の歴史』でフーコーが強調しているもうひとつの点は、近代以降、ひとびとが狂気のなかに真理をみるようになったということです。どういうことでしょうか。 一七世紀以降の社会は、まず狂気を、狂人を疎外します。「疎外する」というのは、この場合、狂人たちを社会のなかで共に暮らすことができない人々であると判断し、施設や精神病院に閉じ込めることを指します。そして、そのように疎外したあとに、彼らの狂気のなかには実は「真理」が隠れているのだと考え、その真理を「人間の真理」として健常者の側に引き受けなおすという作業が行われます。フーコーはこういう態度をとる人間を「弁証法的人間(homo dialecticus)」と呼んでいます。どういうことかというと、このような態度は、自分たちに対する否定性(=理性をもつ人間ではないもの) として狂気をいったんは疎外するけれども、その否定性のなかに肯定的なもの(=真理) をみてとり、それを正常の側から引き受けなおして、人間の新しい真理として位置づけるのです。
さていかがでしょうか。
隔てた先から、健常だと思っている人たちにとって、都合の良い形で「人間性の真理」を抽出すればするほど、その境界線は明確になり、僕らは何かしらの安心感を感じさせてもらえる。
そして、相手の立場も尊重し、金銭的な対価を支払ったりしながら保障しようとしているのだから「実際に、みんなハッピーだよね」となる。
でも、果たして本当にそれって良いことなんだっけ?と疑問に感じずにはいられない。
それが、実は一番「区別」や「差別」の構造の再生産に加担しているなあと思うのです。
喩えるなら、近年話題によくあがる、資本主義という仕組みの中で「成長」を追い求めることによって生じている問題点、その解決策を「さらなる成長」に求めているような違和感をここに感じずにはいられないわけです。
言い換えると、根本問題の解決には全くつながっていないと思うのですよね。あくまで、問題を先送りしているに過ぎないよなあと。
金メッキで上塗りをしているだけのように、僕には見える。
それぞれの時代における、みんなに納得感のある金メッキで上塗りしているだけで、「疎外」自体は何も変わっていません。
最近だとさらに、「境界知能」という言葉が一部の新自由主義的な発想を好む人達に好まれて使われていて、これによりまた新しい境界線が引かれようとしていますし、その境界知能の人々が作り出す「人間の真理」のようなものを抽出しようという社会運動のようなものもすでに始まりつつある。
これを好意的に捉えてしまうと、それまでの社会の中では「健常者」とみなされていたひとたちがある種の「知能障害」のようなレッテルを貼られて、境界線の外側に追いやられてしまうことを見過ごすことにもなるわけですよね。
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だから、僕は、なるべく境界線を曖昧にする方向に向かいたいなあと思うわけです。
その境界線を曖昧にする方法というのが、ひとつは柳宗悦が提唱した「民藝」運動のようなものだと思っていたのです。
それは過去に何度もこのブログ内で、民藝について言及して説明してきたとおりです。
でも、なぜ過去形なのかと言えば、実は「民藝」でさえも似たような構造に囚われているという風に言えなくないのではないか?と語る、ハッとさせられる文章を読んだからです。
今度は、モリス・バーマン氏が書かれた『神経症的な美しさ』という本から引用してみたいと思います。
朝鮮の工芸に関する柳の著述は、モノを通して文化の本質を規定することによって「他者」の概念をつくり出す、逆オリエンタリズムでもあれば東洋的オリエンタリズムであった。
ラフカディオ・ハーンやバーナード・リーチが日本にしたこと──西洋人としてノスタルジーと共感をもって眺めること──を、柳は朝鮮や植民地、日本の周縁部に対して行ったのである。しかしこの「共感に満ちた」歩み寄りこそが植民地主義的なのだ。支配的文化は劣った文化を助ける義務がある──だがその劣った文化は精神的には優れている、という発想である。
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さて、いかがでしょうか。
「共感に満ちた」歩み寄りこそが植民地主義的なのだ、という言葉は本当にズドンとくるパンチラインだなあと思います。
このように言われてしまうと、たしかに柳宗悦自身が一番忌み嫌っていた構造自体を、彼が無意識のうちに転用していたと言えなくもない。
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強きものが弱きものを支配し、そして明確に境界線を引いて隔てたうえで、その弱きものから「真理」を見出し、彼らに相当な対価を支払い、包摂したつもりになることの危うさ。
そのように振る舞う健常者や常識人の無意識こそが問題なのだと指摘されたような気分です。そこに明確な悪意がある・なしに関わらず、です。
これは、「障害者アート」に取り組んでいる人や、柳宗悦の民藝運動を批判したいわけではなく、虐げられている人々や、本当はものすごく価値のある行動を行っていると感じるひとたちをどうにか助けようと、資本主義の中でもがき、論理構成をしようとすると、そうならざるを得ない現実問題について、もっともっと正しく見定めたいということでもあります。
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これは現代においても、十数年前に「社会起業家」という言葉が日本で流行ってから、ずっと今日まで続いている流れでもあると思います。
みなさん本当に、純粋に「優しさ」から社会的弱者を救済しようとしている。
誰ひとりとして、隠れた悪意を持って行っているような人々など決して存在しない。それよりも自らの私生活を犠牲にして、身を粉にして毎日働かれているように、僕には見えます。
でも、そうやって「善意」の心持ちで問題解決に取り組めば取り組むほど、境界線の溝は深まり、隔たりがさらに強調されていくようなジレンマがあるのです。
最初の「優しさ」がより一層、問題を複雑化させてしまう。
きっと、しばらくの間は人類はこの複雑さから生まれるしがらみからは逃れることができないのだろうなあと感じます。
だからといって、弱者救済せず、問題を放置すれば良いのかと言えば、それは絶対に違う。
僕がここで強調したい大事なことは、構造を再生産してしまうジレンマにも同時に常に自覚的でありたいということなのだと思っています。
でもこれは、本当にむずかしいこと。
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たぶん、この起源は日本だと親鸞あたりにあるように感じています。世界の場合であればイエス・キリスト。
つまり階級社会が誕生したあと、どうにかそれに抗おうとする宗教性や宗教的概念を用いた言説の限界でもあるように、僕には思える。
「じゃあ、これ以外の方法で現代の世の中において、この問題を解決するためには、どうすれば良いのだろうか?」
それが、今の僕にはまったくわからない。
「自力」と「他力」の存在に言及して、救うための論理構成を明確にすればするほど、言葉や言語の権威性のようなものが際立つわけです。
みなさんは、どうすればいいと思いますか。
何かいいアイディアがあれば、ぜひ僕に教えてください。
これは、いろいろなひとの考え方を実際に聞いてこれからも問い自体を深めながら、一生涯かけて考えていきたいことのひとつです。
いつもこのブログを読んでくださっているみなさんにとっても、今日のお話が何かしらの参考となったら幸いです。