一般的に、手取り足取り導いてくれる上司、何かあったら部下のことを守ってくれて、責任もすべて取ってくれる上司が、いい上司だと言われています。

たしかに、そのような上司のもとで働いて、毎月の給料がしっかりと支払われ、社会的な地位も安定するのであれば「安心安全」な環境と思えるかもしれません。

だから、多くのひとがそのような「強いリーダー」を求めてしまうのでしょう。

しかし、何でもかんでも他人に責任を取ってもらう環境に浸っていると、そのうち自分自身で意思決定ができない人間となってしまう。

今日はそんなお話を少しだけ書いてみたいと思います。

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この点、僕が思ういい上司とは、自分で自分の責任を取れることに気づかせてくれて「私のリーダーは私である」と心から理解させてくれる上司です。

具体的には、私が担う仕事において、これから何が起こりそうなのかを一緒に考えてくれて、その中で私が負うかもしれない責任のリスクの範囲も明確に伝えてくれる。そして、すべてを私に任せてくれること。

この時の「任せる」とは、決して放任するわけではなく、いつでも協力する準備があることも一緒に伝えてくれることを指します。

そして、こちらから応援を頼まない限りは、決して口は出してこない。

実際に、もし何か問題が起きたときには、ちゃんと最初から最後まで私に責任を取らせてくれるのが、本当にいい上司だと思います。

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もちろん、このように任せられれば、大抵のひとは必ず失敗するでしょう。

その瞬間は「なんでこんな上司のもとで働いてしまったのだろう…」と一瞬は後悔するはずです。

しかし、イヤイヤながらも自分で自分の責任をしっかりと取ってみて、自分ひとりでも後始末ができのだとわかると、「私には自分の責任を取れるだけの力量があったのだ」と自らの経験を通じて理解することができるようになるはずです。

このときに多くのひとは、初めて気がつきます。「あれ…?自分で自分の責任を取れるということは、自分の人生も自分の責任で決めてもいいのかもしれないぞ」と。

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このように「自分の人生は自分で決められる。私のリーダーは私自身だ」そんな人生の本質を失敗する経験から学ばせてくれるのが、会社や学校という組織の本来の役割だったはずなのです。

しかし、現代の会社や学校は、まるで過保護の母親のように、何でもかんでも手取り足取り決めくれてしまう。

人間なら誰しもが「自分で責任が取るのが怖い。自分で意思決定するのが怖い。」と感じています。

だからこそ、手を差し伸べると言いつつ、実際にはその弱みに漬け込んで「それらのリスクは、こちらですべて巻き取ってあげますよ。だからこちらの言う通りに黙って働いてね」というのが、現代社会の大きな誘惑です。

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それが私の求める本当の「安心安全」だと思うことができれば、そちらの輪に粛々と加わればいいと思います。

しかし、それこそが私の「決定挑戦」を妨げるものだと思うのであれば、なるべく早く上述したような上司を見つけて、弟子入りしてみることをオススメします。

親は選べなくても、上司は自分の意志で選べるのだから。

いつもこのブログを読んでくださっているみなさんにとっても、今日のお話が自らの上司選びを考えるきっかけとなったら幸いです。

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