昨夜、Wasei Salonで「大人の自由研究  テーマ発表会」が開催されました。

自分なりに色々とテーマを考えてみた結果、僕は今回、文字通り「自由に研究しよう」と思っています。

参照:夏休みも近いし、みんなで「大人の自由研究」やりませんか? | Wasei Salon

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「自由に研究する」とは、言い換えれば、テーマ性はあえて持たせずに、自分の興味関心がおもむくままに、芋づる式に辿っていこうということです。

そして、最終報告会が行われる2ヶ月後、自分がどこにいて、誰の何の影を追っているのか?それを純粋に調べてみたい。

あえて、自分を泳がせることで、どこに辿り着くのかが知りたいのです。

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僕はここ最近、ずっと奈良に滞在しています。

いま興味を持って追っているのは、「仏教」と「この国の成り立ち」。

参照:学びの娯楽化とは何か?現地にただ滞在することの重要性。 | Wasei Salon

なぜここに至ったのか、そこには様々な理由が複雑に絡み合っているので、一概には言えませんが、

やはり「100分de名著」の配信回を全て見終えたことは、とても大きな影響を受けていると思います。

古今東西あらゆる多様な価値観に触れてきたことによって、自分自身の価値観も大きく変化しました。

そして、国家とか宗教とか社会通念とか、僕らが無意識のうちに信じ(込まされ)ているもの、それを根本から見直していきたいなあと思ったのです。

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そんなことを漠然と考えていたら、今月の「100分de名著」で取り上げられていた吉本隆明著『共同幻想論』も、まさにそのような内容でした。

吉本は、「国家」という共同幻想を理解するときに、『古事記』と『遠野物語』にその起源を求めて研究したそうです。

本の内容はとても難解で、僕がここで説明することは不可能なので、気になる方はぜひ本編を観てみてください。

参照:100分de名著 吉本隆明“共同幻想論” (1)「焼け跡から生まれた思想」 -NHKオンデマンド

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さて、今回あえて研究テーマを定めずに「自分の興味関心がどこに向かうのか」それを試してみたいと上述しました。

それは言い換えると、2ヶ月後の自分は、歴史の時間を遡っているのか、それとも歴史の時間を進めているのか、ということでもあり、

この奈良の地から東へ向かっているのか、西へ向かっているのか、ということでもあります。

それさえまだ明確に定まっていません。自分がこれから何を選択していくのかが、今からとっても楽しみです。


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最後に、これは至極個人的な体験なのですが、

昨年までの僕は生きること、それすなわち「塗り絵をやっているような感覚」に近かったです。

「何か大きな結果を残したい、まわりに認められたい」その一心で、「現代における成功」という枠に沿って、うまく色を塗ることだけを考えて、そのことに必死でした。

でも今年に入り、塗り絵のための補助線が目の前からフッと消え去り、真っ白なキャンバスだけが自分の前に存在していました。

そして、ここには何を描いても良いんだと気づいたのです。

そして今は、そのキャンバスさえ存在しない。

ここはただの更地になのだという考えに至ったのです。だとしたら、自分はこの更地に何を創造するのか。そのための基礎として、何を用いるのか。


あとは、自分の直感がおもむくままに、少し自由に取り組んでみようと思います。

いつもこのブログを読んでくださっている方にとっても、コロナ以降の生き方を考えるうえで、何かしらの参考のひとつとなったら幸いです。