最近、少しずつフロイトの考え方に触れるようになってきました。

自らが読みたいと感じさせられる書籍の中で、至るところで何度も何度も引用(言及)されているため、いい加減ちゃんと理解しなければいけないなと思い、手に取るようになりました。

これまで、フロイトの考え方に触れるたび、何か突拍子もないことを言っているなあと感じてしまい、あまり真剣に向き合うことができなかったのです。

なぜなら、すべてが性的な話や難解なエディプス・コンプレックスのような話に回収されるため、あまりにも非現実的な話だなあと感じてしまっていたから。

でも、じつはこの「非現実的だ」と思ってしまう感覚こそカギだったのかもしれないなと。今日はそんな発見について少しだけ書いてみたいと思います。

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この点、フロイトは人間が不幸になる原因は3つあると言います。それは「自然(天災)、老衰、社会」の3つです。

このうち、社会だけは、人間が幸福になるために、人為的につくったものにも関わらず、それが反対に人間に不幸や苦悩をもたらしていると。

これは異常なことであり、それを考察する必要があると考えていたようです。

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この点、社会は個人に対して「欲動の放棄」を求めてきて、それが個人に対して抑圧を生むことにつながっているというのがフロイトの主張です。

でも、この抑圧の話が僕はいまひとつ理解できなかった。

でも、実はこうやって意味がわからないと感じてしまうことこそが、「大きな抑圧そのものである」あるのではないかと思うようになったのです。

自己に内在する漠然とした欲求不満や、将来に対する不安や恐れ、それらが一体何によって規定されているかさえも、現代を生きている私たちにはわからなくなってしまっている。

つまり、その行方不明な状態、それこそが社会が生んだ個人に対する抑圧そのものだったということなのでしょう。

歴史を丁寧に紐解きながら、そのことをしっかり解説してもらえると、なるほど少しずつそれが理解できるようになっていきます。

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フロイトに限らず、最近は読書をしながら、このような発見がドンドン増えてきました。

現代社会におけるあたりまえから、少しずつ距離を置いて、世界を探究してくれた著者たちの声にじっくりと耳を傾けていくと、あたりまえが決してあたりまえでないことに気付かされます。

プラトンの「洞窟の比喩」のような感覚にも近いのかもしれません。

遠くにあるものを発見しに行くというよりも、自分があまりにも無自覚だったことに自覚的になっていくようなイメージ。

それはまるで、人生の逆回転が始まるような感覚に近いのです。

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「はて、この人は一体何を言っているのだろう…?」と思う人物ほど、実はあなたにとっての世界の真理を語ってくれている可能性が高い。

いつも、私の視界を横切る意味不明な言説(及び人物)は、私たちに大事なメッセージを届けてくれているのかもしれません。

そんなことを考える今日このごろです。

いつもこのブログを読んでくださっているみなさんにとっても、今日のお話がきっかけで、理解できず避けてきたものに、改めて触れる機会になったら幸いです。