最近、少しずつ話題になりつつある、コミュニティマーケティングのお話。
2010年代から続いていたプラットフォームによる圧倒的な求心力の時代がついに終わりを告げようとしていて、従来的なプラットフォームの支配から逃れられる能力を持ち合わせているコミュニティが増えてきている、というような内容です。
そこで代表されるのが、主にPodcast番組やNFTコミュニティ。
彼らは自らのリスナーやコミュニティメンバーに対して、非常に強いエンゲージメント力を持つため、そのプラットフォームさえも自由自在に乗り換えられて、今後はこちらのコミュニティ、つまりコンテンツクリエイターを中心とした集団のほうがプラットフォームよりも力を持つようになっていくんじゃないか、というお話です。
僕も、この潮目の変化への洞察に対しては本当に同意です。
まさにそのような変化がいま、実際にインターネット上では起きつつあるよなあと思っています。
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で、僕がこの話を聞いて最初に思い出したのは、日本の生成AIの第一人者である松尾豊さんがよく言及しているお話です。
具体的には、サム・アルトマンがOpenAIから解雇されそうになったとき、そこで働いていたひとたちも解雇されるサム・アルトマンについて行き、一緒にOpenAIを辞めてしまうんじゃないかという騒動において「これは、工場の中の機械に足がついて、機械が勝手に出ていってしまうような状態」と喩えていて、言い得て妙だなと思いました。
従来の産業においては、資本家は機械(や機会)を提供し、その会社の中でなければ「労働者」は価値を持たなかったわけですよね。
これが産業革命が起こした「労働」の変化であり、そこで生まれた資本家(ブルジョワ)と、労働者(プロレタリアート)の非対称性を強く批判したのが、カール・マルクスです。
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でも、この松尾豊さんがよく例に出す話は、もはやそうじゃないわけですよね。
技術者やクリエイターが持つスキルやコミュニティといった「人的資本」が、物理的な資本(工場や機械など)と同じか、それ以上に価値を持つようになってきたのです。
サム・アルトマンと彼の思想や価値観に共感している人々、つまり彼の部下やコミュニティこそが、産業を生み出す機械そのものと、言い換えても良いかもしれません。
それぐらい今は、「価値そのもの」を生み出す労働において、機械と人間が一体化しているといういうことですよね。
もちろんそこには機械(PCなど)も未だ必要なわけですが、それさえも誰でも比較的安価に調達できるような時代に入ってきているわけですから。
コミュニティマーケティングというのは、この話と似たような変化の話だなあと思って僕は眺めています。
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そしてさらに、ビジネスの構造自体も大きく変化してきていることが大きな要因のひとつです。
これまでのプラットフォームビジネス(主にコンテンツビジネス)を用いた場合、運営側もクリエイター側も、どこまでいってもあくまで「広告」というものによって、間接的に収益を得るしかなかったです。
でも今は、物販やクラウドファンディング、サブスクなどなどユーザーからの直接課金が可能となったことは非常に大きな変化だと思います。
さらに「見てもらう、聞いてもらう、注目してもらう」そのアテンション自体に、価値が生まれてきていて、それにより「価値そのもの」を生み出せるようにもなってしまったわけですよね。それは、トークンエコノミーによって、です。
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実際、今のFiNANCiEなどを見れば、それは一目瞭然かと思います。
そして、このタイミングでVoicyが一部の配信者の方々から批判されるようになってきたのも、同じような力学の変化に寄るところが大きいのだろうなと思います。
また、フィナンシェとVoicyの両社の対応の違いが非常におもしろくて、今のこの現象を見事にあらわしているなあと思います。
具体的には、Voicyの緒方さんとフィナンシェの國光さん、そのプラットフォーム運営側におけるトップの身の振り方の違いみたいなものを観ていると、ものすごくわかりやすい。
まさに、対局的ですよね。
言い換えると、それぞれのコンテンツクリエイターに対しての歩み寄り方の違いが、まさにWeb2的とweb3的の大きな違いでもあるのかなあと。
プラットフォームビジネスのオーナーが自らが、労働組合のリーダーと直接交渉しているような感じと言えばわかりやすいでしょうか。
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つまり、現代というのは、コミュニティの主宰者のほうがパワーを持ち始めていて、彼らがこっちと言ったら、次のプラットフォームに簡単に移動できる世の中になってきた。
これは、飲食店などは、Web2のタイミングで似たような変化が起きていましたよね。
それまでは、目抜き通りや目立つモールの中に出店しないと、集客ができなかった時代が長かったにもかかわらず、今はInstagramやGoogleマップ、食べログなどの登場により、無理やりそのような場所に高いお金を出してお店を出さなくても良くなったわけです。
つまり、あくどい不動産屋にもう足元を観られなくても良くなったわけですよね。
腕のいい料理人ほど、地方の環境や景色が良い場所にディスティネーションストアをつくって、さらにそこに一泊宿泊できるような施設まで併設していたりもします。
これもすべて、Web2の進化によって、お客さん側から勝手に訪れてくれるようになったからこそ起きたこと。
それと似たようなことが、次はコンテンツビジネス、コミュニティビジネスにも起きてくる。
これは本当に、ものすごく大きな変化だなと僕も思います。
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プラットフォーム側からすれば、ものすごく都合の良い労働者、そのデジタル小作人のような存在が自分たちのユーザーだったはずなのに、いつの間にか、そのユーザー同士がお互いに結託し、勝手にお互いを扇動できるようになったわけですから。
では、なぜそんな変化が起きてきたのか。
資本家たちがプラットフォームという名の工場を整えて、彼らにそこで発信力という名の道具を与え続けて、そこに広告をくっつけて私腹を肥やしていたからですよね。
そんな数十年のうちに、いつの間にか、ただの「デジタル小作人」だと思っていた労働者たちが実は、地方豪族に進化してしまった。しかも皮肉にも、資本家たちが無料で与えていた、その拡声器(発信力)を用いることによって、です。
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つまり、荘園領主の台頭みたいな話にもとても良く似ている。
小さな荘園同士がお互いのデジタル小作人を束ねて、自らの力を持つようになったわけですよね。
その地方豪族化してきた人々同士がまた、似たような小さな荘園を束ねていって、その荘園ごと存在しているデジタル小作人が持つ小さな力をエンパワメントしていった結果、朝廷と並ぶような権力を得てしまい、もしかしたら権力構造をひっくり返すんじゃないか、というのがまさに今です。
ちなみに、平安時代末期から鎌倉時代の初期にかけて貴族から武士に政権がかわった大きな時代の変化というのも、このような力学の変化が大きかったのだと思います。
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僕自身は、この構造変化自体は、基本的には賛成です。
プラットフォームに牛耳られなくなったという意味では大変素晴らしいことだと思いますし、個人の力のエンパワメントという意味でも、非常に素晴らしい出来事だなあと思います。
これまでのWeb2は、全員がフラットという関係性を生み出してくれて、それこそ「フラット化する社会」みたいなものを目指していたわけだけれども、
実際に蓋を開けてみると、その中で個々人の発信力がドンドンと高まり、そこにインフルエンサーが生まれ、あまりにも広告ビジネスに偏り過ぎて、プラットフォームが私腹を肥やしすぎてしまった結果、その広告自体が完全に嫌われ者となってしまった。
だからこそ、広告を打たない人々が、いま表舞台に登場してきて、彼らがコミュニティという広告とは無縁の場をつくって力を持とうとしている状態につながっているわけですよね。
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これは、Web2の構造に溺れた資本家たちの自業自得といえばそのとおりではある一方で、とはいえ、この流れは「プロレタリアートよ、団結せよ!」みたいなことでもあるわけだから、ここからきな臭いこともここから起きてくることもきっと間違いない。
今後はさらに、強烈なヒエラルキー構造も再び台頭してくることにもなっていくのかなとも思います。
ただの拡散力(発信力)だけではなく、そこに経済圏さえも自分たちのちからで創り出すことができるようになってきたわけですからね。
まさに、NFTコミュニティなんかはわかりやすいけれど、各コミュニティのファウンダー、その主要人物たちの動向によって、プラットフォームとの直接交渉なども始まっている様子です。
それは、数千人から数万人単位のユーザーの動向が、その人達のディール(取引)によって決まるという意味でもある。歴史を振り返れば、そのときに利権の構造に陥らないわけがない。
インフルエンサーのステマ問題なんかは比じゃないぐらいに、大きな問題も同時に起きてくるんだろうなあと思います。
ゆえに、きっと良くも悪くも、このコミュニティマーケティングが次のインターネットの世界線のカギを握っているのは間違いないと思います。
だからこそ、早くから内側に入り込むことによって、自その実態を自ら体験しておくことがいま本当に大事だなあと思っています。
いつもこのブログを読んでくださっているみなさんにとっても、今日のお話が何かしらの参考となっていたら幸いです。
2024/02/11 21:13