IKEUCHI ORGANICさんのオープンハウスに参加したあと、愛媛県今治から同じく愛媛県の松山に移動してしばらく滞在してきました。

前泊なども含めると合計5日間ほど、特に予定もなく松山に滞在していたことになります。

滞在中に訪れた観光地は、道後温泉周辺と俳人・正岡子規の記念館。そして「坂の上の雲」ミュージアムと、そこに隣接している国の重要文化財「萬翠荘」など。

この萬翠荘が、意外にもとても風情ある建物で、映画のロケ地などにもよく使われているらしいです。

僕の地元、北海道函館市にも洋館がいくつも建ち並んでいるのだけれど、あちらはあまりにも見慣れてしまっているせいか、僕にとっては完全に地元の自然風景と一体化してしまっている。

でも、確かに観光した先に、明らかに趣の異なる洋風の建物があるとテンションが上がる気持ちは今回でよく分かったなあと。

周囲の鬱蒼とした木々とも相まって、とても魅惑的な建物でした。

ーーー

で、そのほかの時間に関しては、松山の町並みの中をひたすら歩いていました。

個人的にはやっぱり観光地化したエリアよりも、人々が暮らすリアルな街のほうが楽しく感じられる。

まちなかを歩いている最中は何度目かの夏目漱石の『坊っちゃん』をオーディオブックもまた聴き返していました。

愛媛県松山を舞台にした物語で、実際に街の中にも夏目漱石や「坊っちゃん」に関連する商品や建物が至るところに存在してる。

あと、以前、ちきりんさんがVoicyの中で絶賛していた、三越の「坊ちゃんフードホール」にも行ってきました。

古くから続く三越百貨店のなかにある比較的新しいエリアで、百貨店のクオリティの食事がフードコート形式で楽しめるなかなかに珍しい場所です。

日本全国で行く先々の百貨店に足を運んできたけれど、本来であれば、百貨店の顔となるような化粧品売り場が並ぶような 1階の半分ぐらいのスペースがすべてフードコートになっているんです。

そのフードコートをグルッと囲むように、愛媛県のお土産売り場がキレイに並んでいるような感じ。

そうすることで、外国人の団体観光客がそれぞれに好きな料理を楽しめる。確かに、これはちきりんさんがおっしゃるように、これまでにはない優れた仕組みだなあと思いました。

三越の5階には、ジュンク堂書店も入っていたので、滞在期間中は毎日のように通っていたけれど、何度行っても外国人観光客の方々がたむろしていました。

松山空港には、直通の国際線が飛んでいるためなのか、特に韓国人の方々がすごく多かったのが印象的でした。

百貨店の新しい形だなあと思うので、松山に行った際には、ぜひ訪れてみて欲しい場所です。

ーーー

で、この5日間の滞在を通して、なんだか、やっぱり松山って不思議な街だなあと思いました。

規模としては、比較的小さめ。50万人程度の都市だそうです。

街の中も銀天街と大街道というふたつの商店街があって、そこが主に街の中心地という感じです。

街の中には百貨店以外のファッションビルやモールのようなものも存在しない。

いわゆるビームスやアローズみたいなセレクトショップも、なぜかANAクラウンプラザホテルの2階と3階に入っています。このあたりもなんだか変な感じだなと思った。

他のエリアでこのような場所に、ファッションのセレクトショップが入っているような場所ってなかなかないです。一体どういう経緯で、あのような場所にビームスなどのテナントが入ることになったのか、本当に不思議だなあと思わされます。

ーーー

そして何よりも滞在中に僕が一番気になっていたのは「どうしてこんなにも、漱石と正岡子規にこだわるんだろう…?」ということです。

漱石に至っては、松山が出身地というわけでもないですからね。

漱石自身が、若いころに松山にある中学校に英語の先生として赴任をして、その経験をもとにして描いた作品が『坊っちゃん』であるというだけ。

そして、その『坊っちゃん』の中では、本当にひたすらに松山の悪口を主人公に言わせているような作品でもある。

ーーー

一方、正岡子規も、松山に対して何か直接的に貢献をしたわけではないんですよね。そもそも、34歳という若さで亡くなっているわけですから。

だからこそ、どうしてここまでこの二人にこだわるの?と疑問に思う。

もちろん、松山の中心街にあった愚陀仏庵という建物で、50日近くふたりが共に暮らすぐらいには仲が良かったからというのもあるとは思いつつ、「それだけが理由なの…?」と疑問を感じずにはいられない。

ーーー

みなさんが想像しやすくわかりやすいところだと、鹿児島の西郷隆盛や高知の坂本龍馬ぐらいに、このふたりを街として、全力で推している。

イメージとしては、石川の金沢的な町並みと、鹿児島と高知、この3つのエリアを足して、3で割った感じが松山だといえばわかりやすいかもしれません。

道後温泉や松山城など、古き良き町並みを活かしながら、そこに歴史的偉人を強く推し出した感じは、典型的と言えば典型的ですし、特殊と言えばかなり特殊な感じもする。

ーーー

ちなみに、漱石と正岡子規に関して、松山の現地に訪れたからといって、何かこれといった新しい情報があるわけでもないんです。

にも関わらず、記念館はかなりの広さで、ここまで大きな展示にする必要があるのかなあと思わされる。

一通り見てまわってみて、確かにおもしろいんだけれども、現地に来たからこそ気付けるような展示があるわけでもない。

最初はそれも不思議だったのですが、そこから徐々に気づきはじめたのは、正岡子規も「司馬遼太郎の目線から描かれる正岡子規」が中心だからなのだろうなあと気づきました。

言い換えると『坂の上の雲』の世界観を理想としていることが、とてもよく伝わってくる。

そしてこの作品のドラマに先に触れていると、大体そこで描かれている正岡子規像がすべてなんです。

だから、明治の偉人ふたりを掲げつつも、どこか昭和後期から平成初期の感じもするんですよね。

そこから時間が止まっているような感じがしてしまうのも、なんだかおもしろいなあと思いました。

漠然とではありますが、司馬遼太郎が活躍していた時の日本の風景ってこんな感じだったんだろうなと思わせてくれる雰囲気が、そこかしこに漂っているイメージ。

全国規模の百貨店が、この小さな街に、未だに2つも健在であることもソレを象徴しているなと思います。

ーーー

つまり松山は、小説家である夏目漱石や司馬遼太郎が描きたかったものを大事にしている土地なんだろうなあと。

そう考えると、文化の街というよりも「作家の街」というか、小説の街だなあとも思いました。もっというと「物語の街」なんだと思いました。

きっと、ここに松山の不思議さの源泉と、その唯一無二感がある。

歴史を重視した街は日本全国に多いけれど、作家が描いた街のイメージを重視する街というのは日本全国巡ってみても意外と少ないような気がします。

言い換えると、松山は「物語を通じて自己を再定義した都市」なのかもしれません。

ーーー

他の地方都市が単に歴史的事実や歴史的人物に依存するのに対し、松山は文学作品を通じた「解釈された歴史」を都市アイデンティティの中核に据えているように、僕には見えたんですよね。

あと、特に興味深いのは、これらの物語が必ずしも「松山礼賛」ではないという点なんです。

『坊っちゃん』は、時に辛辣に松山という街や松山に暮らす人々を批判しているし、『坂の上の雲』においても、必ずしも松山そのものを理想化しているわけではないはず。

にもかかわらず、松山はこれらの「批判的」な物語なんかも含めて、都市のアイデンティティに取り込んでいるんです。これは本当に珍しい事例だなあと思いました。

ーーー

最後に今日の話をまとめてみると、松山という街には、いくつもの物語の層が、重層的に重なってできている、特殊な街なんだろうなあと。

最も古い層には、「道後温泉」にまつわる聖徳太子を中心とした神話的な伝承があり、その上に『坊っちゃん』という外部からの批判的なまなざしが載っかってくる。

さらにその上には、正岡子規という地元の文学者の存在が重なり、それは司馬遼太郎の『坂の上の雲』による再解釈された正岡子規像なんです。

それがなんとも言えない、不思議な雰囲気を作り出していて、唯一無二感を感じられる。

ーーー

あくまで僕が短期間滞在して感じたことに過ぎないので、地元の方や、松山に詳しい方には「何をトンチンカンなことを」と思われてしまうかも知れないですが、ただ、少なくとも僕は直感的にそう感じました。

歴史ではなく、物語を重視した町並みに、興味がある方はぜひ実際に足を運んでみて欲しいです。

一見すると、地方の典型的な観光都市なんだけれど、3日間程度滞在したあたりから、なんだかおかしなところがちょっとずつ気になりはじめるかと思います。

いつもこのブログを読んでくださっているみなさんにとっても今日のお話が何かしらの参考となっていたら幸いです。