「どうしてスペインへ来たの?」と聞かれるたびに、自身への問いかけが始まる。

確かに、なぜ自分はここにいるのだろう。来る前に何を思っていたのか、すぐには思い出せない。そして、実際に何を見つめてきたのか、はっきりと言えるのか。果たして、何かのためだったのだろうか。

こちらへ来て、たくさんの人と話して、たくさん質問されてきた。さっきの質問の場合は、好奇心を持って聞いてくれる人もいるし、おそらくは初対面の義務感から聞いてくれる人もいる。時には、流れの中で疑念や苛立ちを含ませながら聞かれることもある。

最初のうちは「住んでみたかったから」と、シンプルに答えていた。理由を挙げようと思えば、それなりに納得されやすい理由を答えられるとは思う。だけど、「住んでみたい」という気持ちだけではないにしても、始まりに存在していたであろう、そういった些細な気持ちを表明せずに答えることは、自己欺瞞のようで、収まりが悪かった。

それから、何かをやってみるとき、明確な理由を一般的に求められやすいことへのささやかな抵抗として、そう言いたかったのかもしれない。

だが、そう答えると、多くの人は釈然としない顔をすることに気付いた。そもそも、この質問には、「留学か就職のどっち?」という二択を前提にして聞かれることもあるから、それ以外の選択は、聞いた人にとっては想定外なのかもしれない。

自分としては、「どこかに移り住み続けたい」という感覚は、至極当然で多くの人が備えていると思っていたのだけど、そうでもないことを知った。だからこそ、そこを見つめてみることは、自分の道を歩くことに繋がるんだろう。

満たされない何かを"住"に求めているのかもしれないし、"見る"という鋭さを研ぐには、どこかに住むことでそれが成されると思っているのかもしれない。

今はわかりやすく、移り住むことだけを続けているけど、もっと広義的な"住むこと"を、自分なりに捉えてみたいと思っている。

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住むことは、存在に関する問いであると思う。人が存在することに理由はいらないと思うのだが、そういった根源は問われずに、国の情勢やビザ、家賃などによって、人の存在が簡単に侵害されていくのは、なんだかもどかしい。

「どうしてあなたはここにいるの?」

最初の問いかけに戻る。時には言われる。こちらの状況は何も言ってないのに、勝手に言われたりする。若いから。健康だから。独身だから。子どもがいないから。リモートワークだから。パスポートが強い国の生まれだから。政治的に祖国を出る必要性がないから。

少し横槍のような見方をすると、そこには聞いてきた人自身の「私にはできないなぜならば」の言い分が反映されていたりする。私がそうしているのは、それらの条件によるものなのだろうか。あなたがそうしないのは、ほんとに今の状況によるものなのだろうか。"特権性"という言葉を聞いたりするが、ほんとに嫌いな言葉だ。それを口にする人は、それを「始まりの言葉」ではなく、いつも「終わりの言葉」として使うから。

意地悪を言いたいわけではない。大変な状況の人を追い込みたいわけではない。むしろ、自身に対する見つめ直しとして、考えてみたい。人の存在に理由が必要な状況は悲しいし、誰かから侵害されるものではない。同時に、こちらの状況を聞かずに、口出ししてくる人の言うことを聞く必要はない。

だからこそ、物事や人の物語の下地にはどのような積み重なりがあり、どのように形成されて、またこれから紡いでいくのかを考えてみたいと思うのだ。

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数ヶ月前、自分たちのポッドキャストの収録で、「ブリコルール(ブリコラージュ)」という言葉が出てきた。レヴィ=ストロースの「野生の思考」に出てくる概念だ。当時は、「うんうん」と聞くだけだったのだが、スペインで暮らしていくうちに、その言葉がじわじわと自身の中に浸透してきた。

ブリコルールとは、ありあわせのものでなんとかすること。寄せ集めて作る人のこと。ああ、それはまさに、自分が生き延びてきた知恵であり、現在地でもあるなと思った。「生きる」という言葉より、「生き延びる」という言葉の方が、自分のこれまでのプロセスをよく表しているように感じる。

スペインへ辿り着き、暮らしてきたのも、ブリコルール的に生き延びてきたからだと言える。完璧な計画やしがみつくような目的はなかったが、確かに生き延びてきた手応えだけは、そこにあった。だからこそ、「どうしてスペインへ?」という一般的な質問に対して、一言で「なぜならば〇〇」と答えることへの引っ掛かりがあったのだろう。

ただ、そのブリコルールの話の続きで語られていたのが、同時に「エンジニア(エンジニアリング)」でもあるということだった。ブリコルールが「知恵」であるならば、エンジニアは「知識」を表している。ブリコルールを「抽象」、エンジニアを「具体」と言い換えてもいい。

事象をハックして効率的に生きていくというあり方。社会的にはそれが"正解"であり、賢いエンジニアとされるのだろうが、そこに違和感を感じた。だからこそ、自身を見つめてみたときに、ブリコルール的なあり方がしっくりきたのだろう。

だけど、それもブリコルール一辺倒に振り切るのではなく、「知恵」という前提がある上での「知識」、つまりはエンジニア的要素も、同時に大事であると思った。行ったり来たりがあるからこそ、生き延びていけるのではないだろうか。

自分が撮ったり書いたりする軸のほかに、本を読み、対話をしたいと思うのは、そういった、「ブリコルール」と「エンジニア」の部分を行ったり来たりする営みであるからかもしれない。

確かに、そういったあり方は、危ういバランスで立っているのだろう。だが、危うさは避けようとするものではない。むしろ、戸惑い、途方に暮れるからこそ、その先に見えてくる光があったりするものだと思う。

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「どうしてあなたはここにいるの?」

ようやく前提が見えてきた。こうやってぐるりと巡らないと、書いてきた実感を得られないので、自分でも戸惑いながら探るように書いている。

さて、「ブリコルール」と「エンジニア」の行ったり来たりがある上で、最初の問いかけに対して、今一度言葉を尽くしてみる。

俺がスペインでの暮らしを始めたのは、そうしないと次へ進めないという感覚があったからだと思う。ひとつの区切りとも言える。自分の経験に対する、単なる自負というよりも、プロセスにいる今の時点で観測してみると、歩んできた道が立ち現れてきていて、きっと区切りであったんだなという感じだ。

では、区切りを迎えて、何がやってきたのか。

ひとつは、フィルム写真だった。デジタルで写真を14年以上撮り続けてきたから、まさかこんなに熱中するとは思わなかった。

あまりにも熱中しすぎて、デジタルを放棄したくなった時期もある。それもそれでありな道だったと思う。だけど、「フィルム」と「デジタル」の間に明確に線を引いて、フィルムを選ぶよりも、その間に漂っている「撮る」を捉え続けたいと思った。とはいえ、今の関心は圧倒的にフィルムであるし、その熱のまま、どこかに流れ着くことを待ってみようと思っている。とにかく、マジでフィルムが楽しい。

ここまでの話に割り当てるのであれば、ブリコルールを「フィルム」、エンジニアを「デジタル」と言えるだろう。

デジタルだけのときは、技術や結果の写りを重視しながらも、自身の感覚を大事にしていた。"とりあえず撮っておく"という選択肢がしやすかった。実際、デジタルならば光が足りなくても、明るく撮れたり、レタッチで修正が効く。設計図を作っておき、必要な素材を集めてきて、微調整して形にする。だからこそ、思いがけない状況を嫌っていたし、ぴったりとハマったときの高揚感はすごかった。

だが、フィルムを初めてみて、写真に関わるプロセス全体に目を向けるようになった。天候に目を向け、光を探す。とりあえず撮るのではなく、待ってから撮る。時には撮らないでおく。フィルムは無限ではない。かといって、そのときを逃すと、永遠に戻ってこない。それでも、待てるようになったことは、自分にとって大きい。「うわ、逃した〜」と頭を抱えることもあるけど。

また、フィルム文化にも興味を持つようになった。スペインにあるフィルム現像所「Carmencita Film Lab」と出会い、その情熱と質の高さに驚いた。日本にいたときは、フィルム現像所はあくまで業者でしかなかった。

だけど、フィルムが写真として仕上がってくるまでの工程に、頼もしいパートナーという存在がいることは、共に作り上げるような感覚があった。もちろん、自分はただのクライアントではあるんだけど、ある意味で自分だけで完結できないことはデメリットでも何でもなくて、自分に新たな共存の感覚を教えてくれるものだった。

だからこそ、フィルム文化に自分も何かできないだろうかと思った。フィルム現像所は潰れていくし、富士フイルムは全くやる気がなくなってしまったし、フィルム自体の価格は年々上がっている。ロストテクノロジーになっていくのかもしれない。

まずは、自家現像や印刷をやってみたい。多分向いてないけど、フィルムカメラの修理も手を出してみたい。失われつつあるフィルム文化の流れに何ができるかわからないけど、続けながらやっていきたい。それには場所がいる。自分だけで持つかはわからないけど、少なくとも拠点がいる。

もしかしたら、その辺りが自分にとって、とりあえずの納得感のある"はたらくこと"になるかもしれない。ここ数年はずっと働き方に悩んでいた。広告的な写真撮影やライターとして書くこと(取材やメディアの記事)は、自分にとって納得感がない。ウェディング系の撮影は死んでもやりたくない。嫌なことだらけだ。じゃあ何がしたいのか。わからぬ。だが、これは仕事の内容の問題なのか、職種の問題なのか、自身の在り方の問題なのか。

たとえば、強力なパトロンが付いて、好きな写真を撮って、好きな文章を書いて、仲良い人たちと喋ってるだけで、飯を食えたらいいのかとか妄想してみた。それはきっとないものねだりで、創作に充てる膨大な時間が生まれたとしても、めんどくさがって、あまり作ったりしなくなりそうだ。

"はたらくこと"、何かに"はたらきかける"営みかつ生業があってこそ、自分は何かを作れるのだと思う。アーティスト(フォトグラファーと作家)と、職人(カメラマンとライター)であったら、アーティスト寄りなんだろうけど、その淡いに着目して、あがいてみたいと思っている。

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読書会が開催されるということで、ミヒャエル・エンデの「はてしない物語」を読んだ。主人公のバスチアンは、道中で自身の望みを何でも叶えられる存在になる。ところが、段々と周囲との対話を拒み、友人を切り捨て、傲慢になってゆく。

読んでいると、そんなバスチアンを見て、「あ〜あ」と嘆いたりした。だが、人との出会いや自身への問いかけを通して変わっていくバスチアンの姿を見ると、自身も問いかけてみたくなった。

だからこそ、「どうしてスペインへ来たの?」という質問から、住むことや存在への問いを立て、ブリコルールかつエンジニア的な生き延び方を自身の中に見い出してきた。それはデジタルからフィルムにハマり、フィルム文化の流れに入っていく自身のプロセスと重なる部分があった。

バスチアンを見ていて考えた。自身の望みは何なのだろう。ある意味で、ブリコルール的に生き延びることで、その辺りを見て見ぬふりもできてしまう。だけど、何度も言及するように、あくまでも「ブリコルールかつエンジニア」であり、エンジニア的な視点の往来もあっていいと思うのだ。

目先にいくつかやることがあり、このまま徐々に東へと国を移動しながら、帰国後の暮らす先、島根や山口あたりで候補を見つけたい。ほんとにどうなるかわからないけど、きっとその時は戸惑って途方に暮れるだろう。それを待ってみて、また歩いてみようと思う。

恐れは想定外に陥ったとき、自身の素直さを覆い隠そうとする。だけど、いつだって、ままならないまま、時間は流れ、はたらき、ぐるりと旋回するように生きていく。人々は螺旋のような軌跡を辿る。孤独も同じではないか。孤独という螺旋を巡って生まれた言葉は、剥がれ落ちるように書きつけることで、恐れや人々と共存していく道を紡いでいくのだと思う。「ままならず螺旋する」は、はたらくことと書くことを繋げる自身の試みであり、恐れや人々と共に生きていくための探求の記録である。


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「連載」と勝手に名付けて、定期的にここで文章を書き続けて1年ほど経った。当初はもっと頻繁に更新するつもりだったけど、いつの間にか、月末に1本という習慣になってきた。

締め切りを自分で設定してみると、毎回「うわ、今月何を書こう」と、わりと悩ましく、しんどかったりもする。だが、振り返ってみると、この習慣を続けてきて良いと思うことがあった。それは、自分でどんな仕上がりになるのか、予想できない書き方ができるようになってきたということ。そして、それは書いている本人がとても楽しいということ。

毎月、「いや、今月は流石に書きたいことがない」と思って文章をなんとか書き出してみると、意外と書くことがあったりする。書きながら考えているんだろう。だから読んでくれる人には「読みにくいですよね」と思いつつ、読む人の想定をせずに書きつけてみることは、すごく大事なプロセスであったと思う。

なので、今後も続けていこうかと思ったが、せっかくだし、ここで定期的に書くことは続けるとして、何か内容は変えてみるかもしれない。もちろん、ブログなんて好きなように書いていいのだけど、こういう設定をすることで、書けることもあると実感したから。ひとまず、ありがとうございました〜