生成AIにおいて、もう本人とそれほど変わらない発言内容をAIが生成してくれるようになってきているという話は、最近至るところで耳にする話です。

近ごろ話題になった事例でいえば、日々YouTubeでニュース解説をしている堀江貴文さんが、生成AIを用いて、映像も音声も内容もすべてつくってしまって堀江さんらしい振る舞いに驚いた、というのは記憶に新しいところ。

とはいえ、興味深いのは、その後もYouTubeで堀江さんが、今もずっと本人が直接カメラに向かってしゃべり続けていること、

その理由を考えてみると結構おもしろいなあと思います。

つまり、技術的に可能になっても生身の人間がしゃべり続けている理由や価値みたいなものがそこに明確にあるから、そうやって発信し続けていると思うんですよね。

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これは、東浩紀さんもよく語っていることだけれど、「人間は、AIには課金しない」この意見に僕もとても強く共感します。

これは、同時にAIに対しては「時間」も使わないということでもあると思います。

やっぱり、ひとはコンテンツや商品の背後に人間がいると信じているからこそ、人々はその人間に対してお金と時間を投じたいわけですよね。

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これは余談ですが、こ先日観ていたシラスの動画の中で、すごくおもしろいなあと思ったのは、「ひとがマラソンをすると、お金が集まる」というお話です。

確かに言われてみれば、人が走って苦しそうなところを見ると、なぜか募金したくなるというのは、よくよく考えると不思議ですよね。

これもたとえば、AIと人間そっくりのやっぱり「本人」が時間と労力を費やしていて、人間的な「労苦」を行っているからそこにお金があつまる構造だと思います。

つまり、走って生身の人間が疲れている姿は「人間らしさ」の象徴であり、僕ら自身にも理解できる体験なのだと思います。この共感性が、人々の心を動かし、支援行動につながっているということなんでしょうね。

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じゃあ、やっぱりAIアバターみたいなものは、まったく意味がないのか?

結局は、生身の人間以外には価値がないのか?

今日の問いはまさにここであ「やっぱり人間なんだよね」という結論になるかと思うのですが、意外にも僕はそうだとも思っていなくて。

また別の生身の人間の「補助的な役割」だったら、生身の本人ではなくAIアバターであっても、一定の価値が出てくると思うのですよね。

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たとえば、NewsPicksの「HORIE ONE」で東大生の神谷さんが毎回出演されていますが、

「神谷さんひとり、もしくはAI堀江さんだけで来られても…」ということころであっても、AI堀江さんと生身の神谷さんと一緒なら意外とおもしろがられて、地方の講演会やイベントなどに呼ばれる可能性は結構あると思います。

そのとき、堀江さん本人は直接は何もしていないけれど、神谷さんとAI堀江さんのインタラクティブな会話の中には、生身の人間同士の会話に近い「何か」が宿り出す。

で、この補助的な役割が、実は生成AIによる分身による一番のキラーコンテンツなんじゃないか、というのが今日の主題になります。

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たとえばわかりやすいところだと、元ジャニーズの嵐の5人組が、AIアバターで自身の被災地に訪れます、というのは、たぶん全くの無意味で無価値なんですが、

5人それぞれがバラバラになって、バラバラの被災地を訪れるとする。

そして、それぞれの隣にいる残りの4人がすべてAIアバターです、というときには、意外と価値が生まれると思うですよね。

つまり5人全員生身の人間が揃っている、という100%の価値は当然発揮されないけれど、60%ぐらいの価値が、5つ同時多発的に起こって、そこに価値が生まれてくるということはあるんじゃないか。

言い換えれば、その60%ぐらいの生身感を、5箇所同時並行的に行えることに経済的付加価値みたいなものが生まれてくるんじゃないかと思うわけです。

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もちろん、その価値みたいなものは当然「死者」においても価値が宿る。

たとえば、バンドメンバーの中で、1人だけ既に死んでしまっていますみたいな状況においては、かなり使われやすい状況は生まれてくるんじゃないか。(倫理的な面はひとまず横においておいて)

このように考えてくると、つまり本当に大事なことは「これは本人の言っていることに限りなく近いです」という客観的なデータや証拠だけではダメであるということで。

いくら本当にそのAIアバターが100%の精度に近づいても、観ている観客側の人間における「認知のバグ」みたいなものが必ず存在する。

そうじゃなくて、本当に大事なことは、身内や仲間内の近いひとたちが、「本人ならこう言うに違いない」と太鼓判を押してくれたり、逆に「これは本人だったら言わない」と否定してくれるような状態、そのような「環境」が揃って初めて、AIアバター的なものに価値が宿るのだと思うのです。

言い換えると、本物性というのは「個体」に宿るものではなく、個体と個体の間柄に宿るものであるということでもある。

片方が生身の人間であれば、そのインタラクティブ性においては、本物性を帯び始める可能性を秘めている。

だから、やっぱり最後は人間の「追認」や「承認」の問題なのだと思います。

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そして、ここも非常に重要なポイントだと思うのですが、その承認は、とても距離が近い仲間内とか身内とか、周囲がついつい追認してしまうというような「権威性」や「威厳」みたいなものがきっと大事になってくる。

まさに印籠のような役割ですよね。それらの要素が揃ったときに初めて、僕らは「本物」だと思える。

これは、きっとブランドバッグとかの「本物か、偽物か」論争なんかにも非常によく似ている話で。

たとえば、エルメスの高級バッグが、本物である理由は「エルメスだけがつくることができる最高峰のバッグだから」つまりその物体それ自体のクオリティで決まると思っているひとは非常に多いのだけれど、

でも現状、本物をつくっているのと全く同じ工場でつくられたものが、工場の横流しの品として、闇の市場においては取引されていたりもするわけですよね。(※エルメスがそうだというわけではない)

そして逆に、直営店で売られている商品のほうが、検品が雑で、普通ならB品になってしまうものが、直営店で売られてしまっている可能性だって、理論上はなくはないわけです。

当然そういうことが起きないことが「高級ブランドの希少価値」のひとつになっているから、ありえないことではあるとは思いつつも、原理的には一応あり得るわけです。

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でも、たとえそのような状況であっても、本物は、直営店で売られているB品のほうが本物であり、何一つ遜色なく正規流通品と一切変わらないものが偽物となる。

それは、ブランドが「本物」だと太鼓判を押しているかどうか、追認しているかどうかこそが「本物」の基準だからです。

だからNFTデータとかも、ブロックチェーンによって「承認」できるというロジックになるわけです。あれも結局のところ、本物の画像かどうか、ではなく、その所有“権”においての周囲の追認の問題、ネットワークの中の位置関係の問題なわけです。

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で、この話とかなり似たような構造が、今回のAIアバター問題にもあると思うんですよね。

僕らが本物だと思っているのは、本人の実在性や「本人の言いそうなこと」だけじゃない。周囲からの「追認」が必ず必要。

しかもそれは、身内だったり、本人により近いかどうかが重要なのだと思います。

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だからきっと、AIアバターも実在する人間の補助的否役割になって、その追認役はきっと正当性や血統の問題になるのだと思うんですよね。

言い換えると「ネイティブ」であるかどうかが大事になるのではないか。

一度、その「真偽不明」のものを引き受けて、これは正当なものだということ、その主体性、考えるという作業をできる生身の人間が、ものすごく大事になる。

だから、その正当性を担保する存在の価値と共に存在するものになるんじゃないか、というのが僕の大胆な仮説です。

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つまりそうやって、一体誰が受け止めて、誰が引き受けたものを考えたのか、ということにこそ、人間本来の役割というか、仕事みたいなものが与えられる。

これは代々受け継がれている、そんな承認や追認こそが、これからの人間の「お仕事」なんじゃないか。

それは昔の徳川家みたいな。あとはTOYOTAの一族経営とかでもいい。もちろん天皇の皇位継承みたいな話でもいい。

理論的には、誰でも使えるAIなのだけれど、その代々継いでいる直系の子どもにおいてしか、それを使えない、使っても価値が出ないみたいなことも、十分に起こりそうだなあって。

むしろ、そうやってブランドを守る以外に、他にブランドや家柄のようなものを守る手立てがあるのかどうか、とさえ思う。

先代のAIを扱えるのは、血統こそが大事みたいなことには、十分にありえそうです。

以前書いた、宮崎吾朗さんだけがスタジオジブリを否定できる存在、みたいな話にとても近い。


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これって、別の角度から眺めると、人間が何に対して「本物」だと思っているのか、僕ら人間が何に対してひれ伏しているのか、そんな”印籠”の本質を考えるうえでも、非常に興味深い問いだなと感じます。

リアリティの再現性における数値的なものではなく、以外にも「ネイティブ」という権威性だということがわかって、なんだかすごくおもしろいなあと思う。

つまりモノそれ自体の本物性よりも、生成されたコンテンツに対しての周囲の追認のネットワークのその信憑性それ自体のほうが真偽に置ける本質であり、それは権威や血筋的なもので決まる。

「時間の長さ」や「記憶の共有」その総量みたいなもので決まるようにもなっていく。どれだけ共に時間を過ごしたのか。そして繰り返しますが、それが人間の「お仕事」になりそう。

ということで、AIアバターは、そんな風に生身の人間の補助的な役割として使われるんじゃないか、という仮説でした。

いつもこのブログを読んでくださっているみなさんにとっても今日のお話が何かしらの参考となっていたら幸いです。