このブログを読んでくださっている方々の中には、もはや知らない人はいないであろうという、ロバート・キヨサキの有名な「資産と負債」の定義。

「資産とは、あなたのポケットにお金を入れてくれるもののこと。負債とは、あなたのポケットからお金を奪っていくもののこと。」

従来の社会では、ここでいう資産を増やして、単純に人生というマネーゲームの中で勝ち上がればよかったわけです。

そうすれば、ある程度、社会の中でその「豊かさ」を享受できて、幸福感を感じ取ることができたのが、戦後数十年の世界観だったと思います。

もちろん、お金がすべてではないけれど、はたらくの主な目的は、お金を稼ぐことでもあった。ゆえに、みんな労働の対価として、お金をもらうわけですよね。

そもそも、労働の対価がお金である必要なんてどこにもないはずなのに、そして、そのほうが理想的な場合もあるのに、本当の意味でのやりがいを、対価で受け取ることができているのは(搾取ではなく)、現代においては一部の資本家だけだと思います。

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そしてさらに、この従来のゲームのルールにおける、勝ち筋自体が複数パターン存在していたとしても、その「尺度」において困ることはなかったわけです。

なぜなら、そのすべてが「数字」で計算できるから。

それが、増えているのかor減っているのかも、証券口座などの数字を見れば一目瞭然です。

結果的に、自分の社会における相対的な地位も、すぐに理解できた。

極端な話、世界の中での順位もハッキリとわかってしまう。自分がどのくらいの位置で、どれぐらいの幸福感を享受しているのかが、数字によってある程度すぐに理解することができたわけです。

でも現代は、金銭的な豊かさによって満たされることは、人生のほんの一部だと多くのひとが気づいてしまい、さらには、その中でも、上には上がいるということがSNSを通じてハッキリと理解できるようにもなってしまった。

たとえば最近だと、一番わかりやすいのは、大谷翔平の年俸みたいな話で、あれが野球ファンだけでなく、日本全国民(テレビを見ていないひとも含む)人間にまで「トレンド」という形で、無条件に伝わってくるところが現代の特殊性です。

そして彼に至ってもイーロン・マスクやジェフ・ベゾスなんかに比べたら、箸にも棒にもかからないわけですよね。

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じゃあ、タイトルにもあるとおり、これからの人生ゲームにおける新しいルールとは一体何なのか。

ここからが、今日のメインテーマになってきます。

これは以前もご紹介した『いま、お金について知っておきたい6つの教え』という本の中に出てくる本田健さん言語化が非常にわかりやすいものでした。

「資産はあなたに豊かさをもたらすもの。負債は、あなたから豊かさを奪うもの」

ここでいう豊かさをもたらしてくれる「資産」を増やたひとが、これからは幸福感を感じられる。

なんだ、そんなの当たり前じゃないか!と思われてしまうかもしれません。

でも、このあたりまえだと感じるルール変更がいま世間の人々を悩ませてしまっている大きな原因なのだとも思います。

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それは、一体どういうことか?

前述したロバート・キヨサキの話と比較すればすぐに分かることなのだけれども、ここで言う「豊かさ」に、客観的な尺度なんてものが一切存在していないんですよね。

つまり、何のポイントを、どれぐらい貯めればいいのかがわからない。

そして、いま自分がどの立ち位置にいるのかさえもわからない。

客観的に自分は「幸福」なのか、「不幸」なのかもわからないという状態です。漠然と「コレジャナイ感」だけが自分の中に存在してしまっている。

実は、この自分の立ち位置さえもハッキリしないところが、意外と人間の主観的な「幸福感」みたいなものを大きく左右してしまうっていうことなのだと思います。

今日、ここが一番強く強調してみたい点です。

何か明確な尺度によって相対的な幸福感が定まってしまう辛さや寂しさも一方で存在しますが、それ以上に自分がどこにいるのかわからないという状態ほど、人を不安定にさせるものはない。

それは、グーグルマップのようなアプリで、GPS(コンパス)が壊れたようなもんです。今自分が一体どこにいるのかがわからない。

これが、ここ十年ぐらいの一番大きな変化であり発見だったようにも思います。

具体的には、田舎暮らしをしているひとも幸せそうに見える一方で、ニューヨークのペントハウスに住んでいる人も、同じぐらい幸せに見えるみたいな話です。

自分にとっての「豊かさ」というものさしの基準が決まらない以上、どこを目的地に目指して良いのかさえわからないというひとが大量に溢れ返ってしまっている。

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そして、もっと厄介なことは、このルールの中で増やすべき無形資産、具体的には、信頼や他者からの応援、評判やスキルなども、わかりやすく数値化できないものばかりなわけですよね。

それがあることで、自らに豊かさをもたらしてくれるとはわかっていても、それが今現在、溜まっているのか、減っているのかも、いまいち判断がつきづらいわけです。

銀行や証券口座の数字、もしくは現代で言えばマネーフォワードのような資産管理アプリで、今のあなたの資産はこれぐらいですと示してくれるものが、まったくない。

進んでいるのか、後退しているのかさえも、はっきりしない。

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ただ、ルールの変更自体は明確で、これからの豊かさが舞い込んでくる循環を生み出すことが必要であるという構造、それは従来もこれからも変わらないわけです。

資産を増やし、それを雪だるまのように大きくしていく。そんな複利の効果を見いだせるようにすること、これは普遍の原理であって、これこそがラットレースから抜け出すための重要な視点であることは、これからもずっと変わらない。

だから、今僕らに求められているのは、自分自身で「豊かさ」とは何かを、まずはド真剣に考え抜かないといけないということです。

そして、きっとこれは、ひとりひとりその答えが大きく異なってくるはず。

また、これは一生答えが出ない厄介な代物でもあるんですよね。だから、自らで考え続けないといけないわけです。

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この点、考えるとは、答えを出すことだと思っているひとは多いけれど、そうではない。

考えるから、自らのもとに答えが自然と舞い込んでくる、そこに考えることの意味がある。

そんな話を、最近文庫化された養老孟司さんの『こう考えると、うまくいく。~脳化社会の歩き方~ 』という本の文庫版まえがき部分に書かれていました。

今日の話にも関連してくると思うので少しだけ引用してみます。

「どうしてそういうことを考えるのですか」。この種の質問は何度も受けた。私も特に考えたいわけではない。ただ仕事をしていると、ひとりでに考えざるを得なくなるのである。多くの人が「考えない」のは、考えても答えが出ないと感じているからではないか。考えるのは、答えを得るためではない。頭の中で問題をきちんと位置付けるためである。答えは関係ない。答えは出ることも、出ないこともある。答えが出ないまま、あとは放っておく。位置付けがちゃんとしていれば、いずれ答えが「やってくる」。問題が正しく位置付けられていれば、おのずから答えが出る。そのために自分の頭を整理しているのである。自分の頭の整理だから、他人に頼んでもダメ。いくら勉強してもダメ。自分の頭なんだから、他人の知恵を借りてもムダである。


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他人に頭で考えていても仕方ない。

だから、「豊かさ」を自分で考える必要がある。

豊かさの「ものさし」を自分でつくりだすところから始めるしかない。そのためには、問いを自らの頭の中で整理し、ちゃんと位置づけること。

そして、それを常にアップデートし続けること。また、その答えは一生定まることはないのだから、問い続けるしかない。

Wasei Salonの「はたらく」を問い続けるというのは、まさにそういうことで。

自分の中にある、「この豊かさを実感している正体とは一体何なのか」と観察するところから始めるしかない。

それを探るようにして、少しずつその実態が見て取れることで初めて、やっとこの新しいゲームのスタートラインに立てるというわけです。

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最後に、それを知るための、ありとあらゆるヒントを先人たちが贈与という形で現在までに残してくれてもいる。

でも、その多くが、現代では全くいかされておらあず、ほこりを被ってしまっているような状態です。まずはそれを発掘し合うということからなんじゃないかと思う。

僕は、ここに集まるみなさんと一緒に、これからの社会において必要な「無形資産」を着実に増やしていきたい。

そしてそれは必ず可能だと思っています。

なぜなら、無形資産は有形資産とは異なり、奪い合うものではなく、減るものでもないからです。むしろ、共に増やしていけるものだと思っています。

というか、そうやって人間同士で共に育むことでしか、決して増やすことができない代物だと言っても過言ではないのかもしれないなあとさえ思っています。

いつもこのブログを読んでくださっている方々にとっても、今日のお話が何かしらの参考となったら幸いです。