世間はすっかり夏休みムード。

「明日から夏休みなんです!」というやり取りを、今週もう何回したかわかりません。

「夏休みはどうやって過ごすのですか?」と雑談の中で聞いてみると、返ってくる答えはだいたい4通り。

・海外旅行
・実家に帰省
・家で映画や本を読みながらダラダラ
・フェスやお祭りなど国内行事に出かける


ここで僕が興味深いなあと思ったのは、これだけ働き方が多様化してきているのに、夏休みのとり方は昔からあまり変わらないなあということ。

だからこそ、自分が過ごそうとしている夏休みが「世間一般的な夏休みのイメージ」に引っ張られたものではないのか、という問いを立ててみるのもおもしろいかもしれないなあと思ったのです。

具体的には、それは本当に自分がしたいことなのか?

それとも、忙殺され続けた仕事からの現実逃避なのか?という視点です。

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以前、ブログ「隠居系男子」に、こんな記事を書いたことがあります。

参照:「新しい休み方」から考える「新しい働き方」。 | 隠居系男子 http://inkyodanshi21.com/lifestyle/11067/


詳しくは記事を読んでいただきたいのですが、自分にとって理想の「休み方」から、自分の理想の「働き方」を考えるという視点でインタビューを受けました。

「働く」と「休む」は表裏一体なのに、「休む」については意外と考えてこなかったという方は多いのではないでしょうか。

僕自身も、このインタビューを受けるまでは全く考えたことがありませんでした。

でも、この発想で「働く」を逆算してみると、自然と働き方も大きく変わってくるんですよね。

本来、人間の目的は、仕事で成果をあげることではなく、よりよく生きることです。

じゃあ、よりよく生きるためにはどうすればいいのか?

仕事とは、その「よりよい休み方」ないしは「よりよい生き方」が自分の中で定まったタイミングで、自然と導き出されるものだったのかもしれません。

でも、資本主義の中で「お金がないと何もできない」と思い込まされてしまって「とにかく仕事が大事なんだ!」と過信して、全てを「仕事選び」からスタートさせてしまっている。

その結果、毎日の仕事に忙殺され、休みの日はみんな同じようなテンプレートの過ごし方になってしまっているのかもしれません。


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自分は、どんなふうに休みたいと思うのか?

対価を得るための労働から開放された場合、どう生きたいと願うのか?


そんなことを、夏休みの一度立ち止まるタイミングで考えてみてもいいのかもしれません。

今日のお話が、このサロンに参加してくださっているみなさんの何かしらの考えるきっかけとなったら幸いです。