今朝配信したVoicyのプレミアム配信は、定期出演してくださっている、美容室らふるの中村さんがゲストの回でした。


以前、このブログにも書いた「古着ブームはアンチ資本主義なのか?」について、中村さんと更に深く語り合ってみた形になります。


僕の書いた内容に対し、中村さんから指摘してもらい、僕が完全に盲点だったなと思った視点が、「お笑い芸人」さんの影響にまつわるお話。

ここは、完全に見落としていたポイントで、この指摘には唸りました。

ーーー

また、古着ブームを更に深堀りしていく中で、僕が非常に興味深いなと思ったのは、現代の「幸福」や「成功」の基準の変化にまつわるお話です。

資本主義に順張りしても逆張りしても、どちらの視点を持ってしてでも、首を傾げたくなるし、不幸に感じやすいのが今の世の中。

「じゃあ自分はどこに価値基準を置き、一体何に納得をするのか?」という問いが浮かび上がってきて、その話題で後半は熱く盛り上がりました。

そのための探求のヒントとして、中村さんは最後にものすごく大事なことを語ってくれたんですよね。

それが「自己肯定感は高く、自己評価は低く」という視点です。

これが本当に素晴らしい視点だなと思いました。

今日は、プレミアム配信を聴いていない方々にも、このお話をご紹介したいなと思ったので、僕も改めてこの内容についてこのブログの中で丁寧に考えてみたいなと思います。

ーーー

この点、今はポジティブ解釈や上機嫌であることが、もてはやされる世の中です。

その結果「自己肯定感を高く持とう!」という呼びかけが増えていて、自己啓発セミナーやビジネス書でも、そのような内容は非常に多い。

でもそうすると、中村さんも語られていたけれどすぐに「裸の王様」になってしまう。

世間的に何か結果を出していて、客観的な数字が取れているわけでもないのに「自分のつくり出したものが最高である」とだけ声高に言われてみたところで「自己認識ではそうなんだろうね…」と、逆に周囲が引いてしまう。

自己肯定感が高いだけでなく、それに釣られて自己評価までが高い人は、ただただ自分で自分のことが大好きな人であって、周囲からすれば面倒くさいだけ。

「首尾一貫しているやつは邪魔くさい」というあの河合隼雄さんの話にもつながります。

ーーー

一方で、自己肯定感も自己評価も、どちらも低い人もいます。

こうした人は一見すると謙虚に見えるのですが、常に、自分を相手よりも低く置いて、その中で相手にマウントを取らせ続けることによって、自分の責任回避を行い続ける。

つまり、自分を常に卑下する立場に置くことで、逆説的に周囲を支配してしまうのです。これもまた邪魔くさいし、面倒くさい。

でも、そういう人間も、世の中にはたくさんいますよね。

ーーー

で、このような人々に関連するエピソードで、僕がふと思い出したのは、文学紹介者・頭木弘樹さんの『絶望読書』という本の中に書かれてあった、絶望的なひとに同調してしまう「従属的思考」の話です。

以下で本書から少しだけ引用してみたいと思います。

落ち込んでいる人がいると、自分まで落ち込んできて、不快でいらいらするのは、「従
属的思考」です。「従属的思考」とは、「他人の心理状態の影響を受けやすい傾向」のことです。
そばにいる人の心理状態によって、自分の心理状態まで左右されてしまうのです。
「こっちまで落ち込むからやめて」という人は、「他人のせいで自分が被害を受ける」とふうに考えがちですが、実際にはそうではなく、これは当人の心の問題です。
「他人の気持ちと関係なく、自分は自分で、独立した感情を保てる傾向」を、「自立的思考」と言います。この「自立的思考」ができて、なおかつ他人に共感できるのが、健康な精神状態の人です。


これは本当にそう思います。

だからこそマッチョ思考の人々は「ネガティブ思考の人間には同調するな。放っておけ、棲み分けろ」と語るわけです。

ーーー

一方で、頭木弘樹さんも本書の中で書かれていましたが、絶望状態にいるひとは、「いつまでも落ち込んでいられると、こっちが不快」と他人から文句を言われても、決して申し訳なく思う必要はないのだ、と書かれていました。

それは周囲の人たちの心の問題であって、勝手に影響を受けて不快がっている人のために、自分の悲しみを抑圧して、心を危険にさらす必要はありません、と。

「自分は自分で、自分の気持ちを大切にしていいのです」とも書かれていて、本当にそのとおりだなあと思います。

自己肯定感が高いマッチョなひとも、自己肯定感が低い状態であるネガティブフェーズにいるひとも、お互いに相手をする必要は全くない。

ーーー

ただし、そうやって棲み分けてきた結果が、まさに今だと思うのです。

それが現代社会の「分断」を生んでいる、紛れもない原因だと僕は思う。

言い換えると、会社でも、中間共同体を大きく超えた社会全体でも「棲み分ければ良い」という結論に到達するのは、当然で。

このときの第三の道を考えること、それが「コミュニティ活動」の意義でもあると思っています。

それでは分断が深まるばかりだから、コミュニティサイズの中間共同体は、そのお互いの架け橋になることを目指さなければならない。

ーーー

じゃあ、一体どうすればいいのか。

わかり合うことを諦めないこと。その互いの美的感覚のあいだを探り、真の意味での「調和的感覚」を目指すこと。

それが僕がずっと思う「和を以て貴しとなす」という意味において、実現したいことでもある。

つまりWasei Salonの悲願でもあります。

ーーー

もちろんここはグラデーションであり、それぞれの個性もあるかと思います。

ただし、お互いに目指していきたいあり方、その折衷案を探るときには、中村さんが提案してくださった「自己肯定感は高く、自己評価は低く」という部分は、本当に参考になるなあと思いますし、非常に強く膝を打ちました。

自己肯定感を高く持ったまま、自己評価を低く持つこともできるから、そこに健全な向上心や伸びしろ、そんな成長の余白も生まれてくる。

そのうえでの「わたし(なり)の一歩」としての健やかな前進を、それぞれに感じ合い、それを互いに尊び、応援し合えること。それがものすごく大事なんだろうなと思いす。

ーーー

で、このような話を考えるとき、僕がいつも思い出してしまうのは、『暮しの手帖』を創刊した花森安治の「眼は高く、手は低く」というお話です。

花森安治は「眼高手低」という「口では立派なことを言うが、それを実現する力はない口先だけの人」を揶揄する意味の四字熟語を、また別の意味で解釈していました。

具体的には、「高い理想を持ちながら、現実もよくわかっている」という、本来とは逆の意味に置き換えて使っていたんですよね。

僕はこれが本当に素晴らしい着眼点だなと思う。

ーーー

このことについて言及している、花森安治の言葉を『灯をともす言葉』という本から少し引用してみたいと思います。

かっこうが悪くても、
ひとからバカにされようと、
いつもじぶんの手を地につけて、
じぶんの手で現実をつかまえろ。
手を低くしているんだ。

そうすると現実は
しぜんと見えてくる。
明日のことも、
一年後のことも、
十年さきのことだって見えてくる。

手を低くしていると、
眼はしぜんと遠くが
見えてくるものなんだ。
遠くが見えるということは、
眼が高くなったということだ。
逆説なんだ。


ーーー

戦中から戦後を生きた花森安治は、理想ばかりを語り、自らの手を汚して現実と向き合おうとしない評論家や知識人を強く批判した。

彼らは頭で考えるだけで、汗水流して働く人々の暮らしを理解できないため、未来を見通すことなどできない、と。

このあたりは、数年前に放送されていた朝ドラの『とと姉ちゃん』の中でも描かれていたとおりです。

で、だからこそ花森は、たとえ格好悪くとも、常に自分の手を地につけ、現実を掴むこと(=手を低くする)が重要だと説きます。

そうしたときに初めて、現実に根ざした本質が見え、自然と未来を見通す高い視点(=眼が高くなる)状態が得られるのだと。

これこそが、花森の言う逆説的な「眼高手低」の真意であり、これはとても共感するお話です。

ーーー

この両方の精神を同時に持ち合わせることが、いま非常に大事なのでしょうね。

ともすれば、それらは両立し得ないと感じられる場合も多いし、それを両立しようとすると、なにか矛盾が生じるような気もしてしまうのだけれど、でも実際にはそうじゃない。

むしろ手を下げれば下げるほど「眼はしぜんと遠くが見えてくるものなんだ」というのは本当にまさしくで、それは花森安治が『暮しの手帖』という雑誌において、当時実際にやってみせたとおりでもあるわけですから。

ーーー

もう10年以上、僕はずっとこのことについて考え続けていて、この言葉をとても大事にしてきました。

ただ、なかなかに古めかしい考え方で全く刺さらないし、伝わらない。暮し系のトークイベントなどでこのエピソードをご紹介してみても、観客のみなさんにはキョトンとされて終わりです。

なんだか修身や道徳の授業のように捉えられてしまっているなあという印象。

ただ、現代の人にとっては、中村さんのこの視点であればとてもリアリティがあり、なおかつ人々の中にあるモヤモヤや葛藤(ポジティブ思考すぎる人、ネガティブ思考すぎる人に対する違和感)を、見事に伝えられるなあと思ったんですよね。

ーーー

それがきっと現代の「分断」に対して、橋をかけていくための第三の道でもある。

大きな社会でもなく会社でもなく中間共同体、つまりコミュニティにおいて目指すべきあり方にもつながっていくはず。

Wasei Salonというコミュニティが目指していきたい「和」の調和的観点もきっとここにある。

ーーー

なにはともあれ「自己肯定感は高く、自己評価は低く」というお話をしてくださった中村さんがゲスト出演してくださったプレミアム配信の内容は本当に素晴らしい内容となっています。

まだ聴いていない方には、ぜひ実際に聴いてみて欲しいなと思います。


いつもこのブログを読んでくださっているみなさんにとっても、今日のお話が何かしらの参考となったら幸いです。