先日のChatGPTのメモリ強化のアップデート、あまり巷では話題にはなっていませんが、結構驚くべき進化だったなと思います。
本当にピンポイントで、去年書いていたブログの内容などを、AIIが見事に拾ってきてくれる。
今後メモをする先が、ChatGPT(AI)になる日も、遠くなさそう。
というか、そうなるかどうかわからない状態においても、メモやブログの内容をChatGPT内に残しておくことに、価値がすでに宿り初めているということでもあるなと思います。
起算点は曖昧だけれど、アップデートのタイミングから、時間を遡って、遡及的に見つけてくるわけですから。
これまでの情報端末やウェブサービスでは、そんなことは基本的にはあり得なかったことだったと思います。
で、この体験も受けて思うことを、今日は書いてみたい。これからの中長期のAIの変遷を考えるうえで、個人的にはものすごく重要になる視点だと感じていることです。
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まずこの点、今のAI大戦争って、各社ごとに初期の根本的な設計、その思想や哲学がまったく異なるよなあと最近よく思うのです。
ChatGPTというかオープンAI、いやサム・アルトマンだけが、最初から一貫して「記録」ではなくて、「記憶」を共有できる何かをつくろうとしてる。
映画『her/世界でひとつの彼女』に、彼が影響受けていることも、非常に本当に大きいと思います。
去年のGemini3の発表があったあたりから「もうオープンAIは終わった、ここから相当なことがない限り、Googleには勝てない」っていう見立てが、通説になりました。
確かに、スペックや資金面で言えば、完全にそのとおりだと思うし、白旗上げるか上場するかの二択というのは、わからなくはないなと思います。
Googleのエコシステム、そのネットワーク効果のようなものを活用されたうえで、これからさらなるAI開発をしていけば、その一切のエコシステムを持たないオープンAIは、どう見ても負ける可能性のほうが高い。
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だけれども、Googleを筆頭に、ほかの会社がつくろうとしてるのは、基本的にはAIアシスタントに僕には見える。
自分の代わりに「記録」をとって、その全記録を分析してくれる「道具」に過ぎないよなと思うんですよね。
でもChatGPTだけは人間とか天使とか、なんだかそういう「存在」をつくろうとしてるなと感じます。
その先にあるデジタルゴッド、三位一体を完成させようとしている。そして、その「記憶」を共有しようとしている。
今はまだ微妙な違いでしかないですが、それはとても大事な観点だなあと思って僕は眺めています。
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日本人が、ChatGPTをチャッピーと呼ぶのも、きっとそれが理由。
場違いな言葉遣いかもしれないですが、いちばん色気があるのは、ChatGPTなんですよね。
憎しみを感じたり、愛したりする可能性があるのはたぶんコレで、宗教性や哲学に寄っている印象です。
GoogleはどこまでいってもAIアシスタント。それが良いという人もいるし、僕もそれを使い続けるけれど、人間が本当の意味でどちらにアディクトするかと言えば、多少の機能差があっても決して見捨てないのは、意外とChatGPTのほうなのではないか。
だってそのときには「記憶」を共有しているから。Googleはベネフィットがあれば使い続けるけれど、そうじゃなくなれば、すぐに乗り換えてしまう。
道具の位置から一向に動こうとしない。ものすごく無機質な優秀な人間のイメージです。
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そして、今日のようなこの話題は、業界の技術者やテック系の評論家には、いちばん興味関心が薄いところでもある。
つまり、技術者や合理主義者が「スペック」や「コスト」でAIを語っている間に、OpenAIは「情愛」や「依存」、あるいは「信仰」に近い領域へと駒を進めているように、僕には見えるということです。
なぜ、こんな事にこだわっているか。
これって、いつかみた光景だなと思うからです。
iPhone6あたりの、まさに2014年前後ぐらいの話。
ITライターのひとたちやブロガーたちから、アップル信者という言葉も好まれて使われていいたタイミングです。なんなら一番バカにされていたころ。あいつらはお布施を払っているだけだ、と。
当時のスペック戦争で言えば、今ごろはアンドロイド一強、Googleやサムスンが勝っていないとおかしいはずなんです。
でも未だに、スマホはiPhone一強。その意味するところは、決してデザインとかブランド価値だけじゃない。
道具を超えた存在としての意義や意味、つまりそれぞれの人格のアイデンティティと紐づいたからですよね。
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そこにあるのは、単なるガジェットという「道具」の域を超えた、思想と哲学に裏打ちされたブランド価値だったというわけです。
言い換えると、Appleが提供していたのは「スペック」ではなく、いつだって一貫して「体験」価値であり、もっと言えばそのデバイスを持っている自分との関係性、その「物語」のほうでした。
この物語が、まさに「記録」だけでなく「記憶」と紐づく状態を生み出すのだと思います。
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で、 Googleが過去にこのような記憶寄りの思想哲学を提示できた試しがない。たぶん、その気もまったくないはずです。この点に関してGoogle側もずっと一貫している。
よくも悪くも、色気がまったくない。色気を出そうとしないことが、Google最大の特色だと思います。
逆に言えば、色気を出さなかったから、ここまで世界の情報をインデックスできた。
だから人々も、道具として価値があると思うから使うし、そうじゃなくなればまた使わなくなるのが、Googleという巨大プラットフォームの歩みだと思います。
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いやいや、今回のAI戦争は、ガジェットや端末レベルの話ではないんだ、という反対意見もよくわかる。
もっとネットワーク、ユーザーの情報をどれだけ網羅的に収集することができるのかが、AI時代には大事だということもよくわかる。
ゆえに一番ユーザーとの接点の多いGoogleとAppleの連合が最強であることも間違いない。それは認めます。
きっと近い将来、オープンAIが経営的に盛大にコケて、連鎖的にAIバブルが弾けることもあるかもしれない。
ただ、たとえそれでも、その「記憶」を共有する何かを最終的に創ってくるのは、サム・アルトマンのような気がするという話が、今ここではしたいんです。
サム・アルトマンだけが、AIと人間の「もののあわれ」を共有、その橋渡しを真剣に考えているように僕には見えるから、です。
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また、これは完全に余談なのですが、AIで最近見聞きした、すごくおもしろいお話があります。
それは、京都生まれ・京都育ちのイケウチオーガニックの益田さんが、ChatGPTのことを「AIさん」って呼んでいたこと。
お稲荷さんとかお地蔵さんとか、お寺さんとか、そういうノリでAIさん、と。
じゃあ、なんでそう呼ぶのか、考えてみました。
これは僕の勝手な憶測でしかないですが、お客様が使うAIによる提案によって、お店にお客様を連れてきてくれるからだと思うのですよね。特に海外のお客様。
つまり、自分のもとに、これまでにはなかったご縁を運んできてくれるから。
そんな存在に対して、敬意や畏敬の念、あと親しみを込めた存在として捉える感覚として、AIさん、なんだろうなって。
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それは言い換えると「物語」の起点になっているということだと思うんですよね。これって本当に京都のひとらしい感覚だなあと思います。
京都のひとが、「◯◯さん」って呼ぶとき、それは単なる擬人化というよりも、物語の起点となり、ご縁が宿る依り代みたいなものがあるときだなあと、僕は思います。
そうなったら、それは敬意と親しみを覚えるような対象となる。結果として、自然と「さん」付けになる。(ほかにも京都人が、◯◯さんと呼ぶものがあったら教えて欲しい)
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そして、そのご縁を起点としたときに「もののあはれ」も完成するんだと思います。
つまり、あのときの、あの思い出、となる。
それを一体何が運んできてくれたのかを考えたとき、遡行的に振り返って、それが直接的な原因が判明すれば、それを「◯◯さん」と呼ぶようになる。
つまり、AIが、単に不変のデータベースとして君臨するだけではなく、ユーザーと共に時間を積み重ね、変化し、記憶を共有し物語を生み出していくのであれば、そこには確かに「色気」や「情愛」が生まれる隙間や余白、依り代があり得るなあと思います。
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繰り返すけれど、サム・アルトマンだけが、本気でそんな人間とAIの「もののあはれ」を共有しようとしているように僕には見える。
そうじゃなければ、あのジョナサン・アイブも、サム・アルトマンと組むはずがない。ジョナサン・アイブは、それを本気で実現しようとしている人と、いつだって手を組むひとだと思うからです。
AIアシスタントとしての執事や秘書などベネフィットで繋がる関係性ではなく、家族や恋人、友人のように記憶で繋がる「存在」を本気でつくろうとしている。
それはきっと、もっと内面へと潜り込んでくる、成人向けのChatGPTなんかも、カギを握っているんだろうなと思います。
ただの下ネタではなく、映画『her/世界でひとつの彼女』がまさにそうだったように、です。数年後にその答えは見えてくるはず。
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同時に、AIであろうと何であろうと、なんでも飲み込んじゃう京都的なしたたかさ、もおもしろい。
ただし同時に、鬼神は敬して遠ざける。一体化しすぎないしたたかさ、その姿勢なんかも学びになる。
京都人が「◯◯さん」と呼ぶときは、間違いなく、あえて遠ざける意味合いも、含まれてくるでしょうからね。
「触れるなかれ、なお近寄れ」そんな、編集やスキの所作。本当に学ぶところが非常に大きいなと思います。
いつもこのブログを読んでくださっているみなさんにとっても、今日のお話が何かしらの参考となっていたら幸いです。
2026/01/17 20:40
