日本全国どこへ行ってみても、何かしらの「推し活」の活動をしているひとたちの姿が目に付きます。

アイドルなんかに限らず、アニメやコスプレ、そして野球やサッカーなどのスポーツまで、その推しの範囲は本当に多岐にわたる。

特に、昨日や今日みたいな連休というのは、本当にすごい。いたるところで大型イベントが開催されているなあと客観的に眺めていて思います。

本当に、いまこの国の経済の大半は「推し活」でまわっているんじゃないかと思ってしまうほど。

10年前までは、ここまで「推し活」は加熱していなかったと思う。じゃあ、なぜここ数年で「推し活」がこんなにも普及したのでしょうか。

ここには色々なひとが語る様々な理由や要因があるとは思いつつ、僕は「自己承認欲求」が大きな原因の一つだと思います。

今日はそんなお話を少しだけ。

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この点、カフェとかで週末にひとりで仕事をしていると、となりに何かしらの推し活グループが座ってくることがあります。

うちわを持っていたり、明らかに服装が異なるから、見た目ですぐにわかる。最近だと圧倒的にK-POPファンが特に多い印象です。

そして机に置かれた彼ら・彼女らのスマホには、ずっと通知が届き続けている。

チラっと見る限り、その多くがSNSの通知のようです。有名なインフルエンサーなのかな?と思うぐらいに、そのSNSの通知が鳴り止まない。

そして、まさに「コレ」だよなあと思います。現代の大きな落とし穴は。

良くも悪くも、何かしらの「推し活」を行うと、そのファン同士でカンタンにつながれてしまうところです。

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SNSが普及してもう10年以上、誰もが当たり前のようにSNSを使うような時代になりました。

でも、そこで見ず知らずの他者から「いいね!」をもらうためには、それぞれの個性的な発信が必要です。

その承認欲しさに過激なことを口にし、他者を論破することが流行った一方で、一般的なひとや若者、特に女性の場合には、そのような道に流れるのもなかなかにむずかしいものです。ラディカルなフェミニズムや、グレタさんのような過激な環境活動を主張したりするしかなくなる。

じゃあ、それが苦手なひとたちは、一体どうすればSNSで他者とつながることができるのか?

それが、何を「推す」ことなんだと思います。

つまり、類まれなる個性(ルッキズムなども含む)や、勉学を通じて自己を高めたりする必要もなく、今この瞬間に推し活を始めることで、カンタンに他者とつながれる。

多くのひとが、その旨味みたいなものに気づいてしまったのが、2023年現在なのだと思います。

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つまり、推し活はもはやインスタントに承認欲求を満たすための一つの手段になっているんだろうなあと。

しかも、「推し活」という名前の通り、まさか自分の承認欲求のために行っているなんて誰も思わない。圧倒的に他者を応援している体を取れるわけで、つまり利他的に見えるんです。

でも本当は、推しているのがアーティストのようで、私の「存在」のほうを推しているひとが大半なんですよね。自らに対して、より大きな権威をインスタントにタグ付けしているわけですから。

しかも、そこには審査や受験のような狭き門が存在するわけでもない。ジェンダー問題や環境問題のように、新たに何かを勉強もしなくていいですし、その勉強不足を理由に、見知らぬ他者から叩かれることもない。

推し活のファン同士は、推している対象の名前を日夜エゴサし合っているので、本当にすぐに一瞬で見つけてもらえるのだと思います。

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この点、たとえば何かしらの推し活の対象がある方は推しの話をすれば、ドンドンいいねやRTがされていくけれど、それ以外の話題、特に自分の個人的な話をした同じアカウントでした瞬間、誰も反応してくれないということを、必ず体験したことがあるかと思います。

このように、完全にスルーされて、まったく反応がないというような状態を自虐的に語るひとも増えてきましたよね。

そして、若い世代ほど、の総スカンを端から理解しているから、最初から複数アカウントを使い分ける。

いわゆるマーティング感覚を持ち合わせているひとたちも、この社会構造の変化をよくよく理解しているから、たとえばキングコング西野さんとかは自らの作品「プペル」や「えんとつ町」を題材にして、そのタグ付けをした創作活動をおこなったほうがいいですよというような話を、積極的にしています。承認やそこから派生した稼ぎが欲しいひとには、とても正しい助言だと思います。

また他にも、NFT界隈においてPFPというものが流行った理由もまさにここにある。

アイコンを特定のコミュニティのものに変えた瞬間に、それまで透明人間のような存在として、そこに居ないものとして扱われていたのに、突如として「発見される」。

そして、たくさんのコミュニティ参加者から、フォローされるという体験ができてしまう。つまり、フォロワーが「合法」かつ「倫理的」に見えるような形で、買えるような状態になっていたわけですよね。

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さて、僕はこのような推し活全般が、まさに現代の「疎外」の最たるものだなあと思います。労働の疎外と、その構造が非常によく似ている。

特に若い世代ほど、リアルとネット空間の逆転現象が起きているため、自らのアイデンティティの構築のために、その構造にハマってしまうのもよくわかる。

どう考えても、自らの支出とアーティスト支援の関係性が、割に合わないのにそれでも続けてしまうのもここに理由があるかと思います。(もちろん本人たちは「楽しさ」や「感動」を一番にあげるとは思いますが)

つまり、ゼロ年代のリアルの世界における「ファッション」の延長みたいなもの。

「◯◯の服を着ていると、◯◯の人だとすぐに判断されて仲間に入れてもらいやすい」と同じぐらい「◯◯を推しているひとは、私達の仲間であり同類だ」とみなされて、良くも悪くもそのコミュニティから歓迎してもらえるわけです。

何か「推し」や「趣味」が欲しいと語るひとたちも、本当に求めているものは趣味そのものではなく、そのようにインスタントに「承認欲求」を満たすための存在や手段が欲しいと、無意識に感じているように僕には見える。

その奥の奥にある感情というのは、きっと誰もがまったく同じで「他者とつながりたい」や「孤独から逃れたい」ということなのだと思います。

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で、このような状態が長らく世間で一般化してくると、果たして何が起きるのか。

この点、推し活は明確な被害者が存在するわけでもなく、みんながそれぞれにそれぞれに捻出できる可処分所得の範囲内で推しに対して蕩尽しているだけなのだから、一見すると全員がWin-Winであり、問題はなさそうにも思えます。

けれど、決してそうではないと思います。

元祖「推し活」であるジャニーズのようなことが起きるわけです。

それは、一体どういう意味か。

ファンは自分たちのアイデンティティが失われたくないから、運営側に少々怪しい動きがあったとしても、彼らの活動が変わらずに存続されることを望み、黙認して推し続ける。

メディアも、自分たちがそのファンのコミュニティをカモにして経済活動を成り立たせてきたため、その企業のアイデンティティが失われたくないから、黙認をしつづける。

そうなったら、全員が事実の糾明よりも、少しぐらい事実認識が不透明であったとしても、自己のアイデンティティが存続することを望むのは当然の帰結です。

その糾明は、自らの死と同じ意味でもあるわけですから。

そうすると、少々きな臭い噂があったとしても、全員が目をつむるという不可解なことが起こる。それが日本的な「空気」へと昇華されていくわけですよね。

つまり、今回のジャニーズのような報道は氷山の一角であって、僕たち全員が、承認欲求のおばけになって「いいね」を中心としたSNSの反応を過度に欲したことによって、起きるべくして起きたことでもあるし、今のままだと第2のジャニーズのような出来事もきっと免れないなと僕は思います。

そしてそれは、推しの運営側の問題と言うよりも、押し活をするファンにも、責任の一端があるはずです。

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もちろん、ここでくれぐれも誤解しないでいただきたいのは、推し活自体が悪いことだとは決して思いません。

他者とつながるための最初の「共通の話題」があることに越したことはない。それでなくても、全国民に共通の話題が世の中から消え去っているような昨今なわけですから。

1つ目の結節点になってファンコミュニティや共同体がうまれてくることは、とても尊いことだと思います。

僕自身も、そのようなコミュニティがこれからは大事になってくると思っています。

でも、大事なのは「その後」だと思う。

そこが、あなたがあなたであることを承認してくれる場所なのか。そして、たとえその共通の話題がなくなったとしても、お互いを尊重し、承認し合える関係性を構築することができている場所なのか。

つまり自らや他者が「余人を持って代えがたい状態」になっているかどうか、です。

僕がいつもこの場で語っているような「顔」のある他者として歓待・承認・祝福をすること、その意味や意義はまさにここにあると思っています。

推しでつながってもいいけれど、推しだけでつながり続けようとはしないこと。

コミュニティは、みんなでそれぞれに「投資」して共につくりあげるものです。結果として、困ったときに助け合えるものである、そこに初めて意味が生まれてくるはずです。

消費だけを促されるコミュニティは、コミュニティのようでその本質は「商売」であり、都合の良いお布施をしてくれる信者にすぎないと思います。

いつもこのブログを読んでくださっているみなさんにとっても、今日のお話が何かしらの参考となったら幸いです。