今の僕らに足りない場所ってなんだろう?と。
僕の暫定解はふたつで、ひとつは答えがない問いについて安心して話し合える場所。
そしてもうひとつが、失敗前提のもとで新たなことに挑戦できる場所です。
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まずひとつめの「答えがない問いについて安心して話し合える場所」について。
昨今、ネットの普及により誰がどこで見ているかわからなくなってしまったため、一億総コメンテーターのような社会になってきました。
誰もがテレビに出ているコメンテーターのように、当たり障りのない発言だけを繰り返し、何かを言っているようで何も言っていないコメントを繰り返すようになってしまった。
一方その反動で、インターネットの中を中心に、インフルエンサーと呼ばれるようなひとたちが炎上覚悟の大胆発言を繰り返すようにもなりました。
みんながコメンテーター的になっていく一方で、目立ちたい一心で極端な発言を繰り返すだけで、世間の耳目を集めることができるようになったからです。
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どうしても今の社会は、この二択になってしまいがちですよね。
しかし、どちらも本望ではないというひとはきっと多いと思うのです。
たとえば、最近の自殺率の増加のニュースについても、公の場ではなるべく言及したくないと思ってしまうのが、人間の性だと思います。その原因や解決策も、全くわからないのですから。
でも、同じ日本に生きている以上は、やっぱり心の中で何かしらザワつくものはありますし、誰かと一緒にその答えのない問いについて、ゆっくりと一緒に考えてみたい、語り合ってみたい、そんな欲求はあるはずだと思います。
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また、ふたつめの「失敗前提で新たなことに挑戦できる場所」も極端に少ないなあと思います。
「失敗したらかっこ悪い。」
「口だけのやつだと思われてしまうかもしれない。」
「失敗した姿を見られて、可哀想なヤツだと思われたくない…。」
そんなふうに、ドンドンまわりの目を気にして、本当は試してみたいと思うことでさえも手を出さないようになっていってしまう。
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「それは自意識過剰だ、気にするな!」と言われたところで、社会の大多数の人間がそのような観念にとらわれて活動しており、
社会における評価も、失敗によって一気に下がってしまうような場合であれば、それを気にせずにはいられないでしょう。
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でも本当は「どれだけ気軽に挑戦できるか」が人生の可能性を広げるにあたって最も重要なことのひとつだったりするんですよね。
新たに10個のことを挑戦してみて、9個は失敗するかもしれないけれど、1つだけでもうまくいけば、それがきっかけで新たな人生が拓けていくかもしれないのですから。
だからこそ、失敗前提で新たな挑戦ができる場、そして仮に当初の予想通り失敗に終わったとしても、「ナイストライ!」とお互いにその挑戦を評価し合える場があったらいい。
極端な話、「自分も積極的に失敗してみよう!」と思えるような空間があったらいいなあと心の底から思います。
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そして、もうお気づきかもしれませんが、このWasei Salonがそのような場になっていくといいなあと思っています。
参加してくださっているメンバーの皆さんにとって、いま以上に居心地が良く、モヤモヤしていることについてもお互いに意見を交えながら、新たな自分とも出会える場所としてこの場を活用してもらえたら、これ以上嬉しいことはありません。
そのような場にしていけるように、これからも全力で取り組んでいけたらと思っています。
いつもこのブログを読んでくださっているみなさんにとっても、今日のお話が何かしらの参考となったら幸いです。