知人や友人の出産祝いに、僕はIKEUCHI ORGANICさんのタオルを贈ることが多いです。ありがたいことに、みなさんとても喜んでくれます。

このような喜んでもらえる商品を丁寧につくってくれているイケウチさんには、本当に感謝の気持ちでいっぱいです。

カタログギフトみたいな形で形式張って適当に贈るということだけは、絶対にしたくない。

そのうえでイケウチさんのギフトは、ものすごく満足度が高いのです。それは、もらう側がというよりも、贈る側として僕自身が本当に有意義なギフトにお金を投じているなと思わさてもらっているんですよね。

この贈る側の「満足感」を高めてくれる「出産祝いのプレゼント」は世の中に意外と少ない。

それは必ず三方よしでなければならないし、「贈り先」や「環境」なんかも含めると「五方よし」ぐらいを実現して欲しくて、それを現実に実現してくれていることのありがたさ、です。

ーーー

とはいえ、ここで生じる問題は、同じ夫婦が何人も子供を生んでいる場合だったり、コミュニティが近いと贈り物自体が被ったりする可能性もでてきます。

それは仕方のないことだと思っていて、むしろより多くのひとから選ばれる「祝いのギフト」になっているから本当に素晴らしいこと。

ついつい何度も贈りたくなるし、他の方々もそのギフトを採用したくなるわけだから。でも、そうなってくると別のアイディアも同時に欲しくなって来るんですよね。

そのときに、イケウチさんぐらいに完璧な贈り物があって欲しいなあと強く思うようになってきました。

ここからが今日の本題で、それがNFTやトークンだったら嬉しいかもしれないと思ったので、以下はそんなお話になります。

ーーー

この点、30代に入ってから一気に直面した、思わぬお金の出し先、それがこの結婚祝いと出産祝いで結構大事な視点だなと思います。

過去に包んだ現金やプレゼント代、そこに当てたお金は、合計するとゆうに三桁万円は間違いなく超えてくるはず。

自分自身はミニマルに質素倹約に生きていたいとしても、お祝いごとにおいてはまったく別軸であって、一番は相手を祝い、寿ぐことをしたいわけだから、そこに出し惜しみや納得感のないものは贈りたくない。

そして、ある種の蕩尽的な感覚も同時にそこには働いてきます。

そう考えると、市場としては、人口減少や少子化と言われていても、これからも非常に大きいものであることは間違いないんだろうなあと。

ーーー

そして、ここに適したNFTやトークンみたいなものが、これから当たりまえに流通するといいなあと本当に強く思うんですよね。

というか、この分野においてトークン的な「ゼロからの価値の創造」は、実は最適なんじゃないかと思うんです。

なぜなら、僕らがやりたいことは「額面通り」で交換可能な「価値」の受け渡しではなく、額面通りの「意味」の受け渡しだからです。

そのやり取りにおいて欲しているのは、金銭の授受というよりも、互いに信頼感を感じ取り、贈った側も受け取った側も、そこに確からしさを感じて、嬉しい気持ちになれることを求めている。

だから、変な話「共同幻想」にすぎなくても問題ないわけですよね。それよりも「額面」通りの価値のやり取りをしたという履歴や歴史が残ることのほうが圧倒的に大事になってくる。

ーーー

もっと具体的に言うと、言葉だけでなく、体重を乗っけて「私はあなたに身銭を切ってこれを贈りたいと思った、SNSのいいねでも、LINEでの祝いの言葉だけでもなく、ものとして、あなたに送ろうと思った。なぜなら、あなたの置かれている状況は、それぐらい本当に素晴らしく、めでたいことであり、祝福に値すると思うから」と。

「この私の気持ちがどうにか伝わってくれていたら嬉しい。だから、その気持ちが少しでも信じてもらえるようにと言葉だけではなく、ギフトやご祝儀のような金銭的価値を贈答する」わけです。

その気持ちの「証」がコレですよ、と差し出すように。じゃあ、証なんだから、それがトークンでも良くないですか、とも同時に思うんです。

ーーー

この点、僕は独身であって、自分の生活も質素でミニマルなものを目指したいので、毎回周囲に気持ちよく贈ることができていますが、でも、自分の家族がいて、そこに子供も複数人いるとなったら、金銭的な負担感が強くなってくるのは、当然のこと。

数万円という現金がタイミングよく捻出できないことによって、友人関係が疎遠になっていくのはなんだかものすごく悲しいし、もったいない。

両者が全くそんなことを気にしていなくても、後ろめたさがそこに残るのは、あまり良くないことだと思います。でもだからといって、毎回ポンポンと気前よく贈り物ができないのもよくわかる。

そのときに、NFTを含めたトークン的なものって、ものすごく有益だなあって思います。身銭を切っているのは実質数千円から数万円程度であっても、それが数十倍に額面価値が膨らんでいたりするわけですから。

僕はここにこそ、この魔法のような、悪く言えば、ある種のチートのような共同幻想を用いたほうがいいのではないかと思います。「額面通り」の価値をお互いに確かにやり取りしたというその証において。

ーーー

そして、子どもが成人する18年後には、もしかしたらその価値が「共同幻想」ではなく、絵に描いた餅でもなく「本物」になっているかもしれない。

そしたら、本当に額面通りの現金化もできるかもしれないわけです。そのことによって、子どもの海外で挑戦したいや、学びたいという機会なんかも捻出できるかもしれない。

その「祈り」や「願い」みたいなものが未来につながっていくなあと。

また、ここで大切な点は、たとえそれが「本物」にならなくても、大した実害があるわけじゃないことです。

だって、あくまでそれは「お祝い」の品でしかないわけですから。消費されるものを前提としたタオルや食品と、消えるという意味では同じことです。学資保険とも違うわけです。

「額面通り」に、意味をやりとりしたという記憶や共同幻想も、すでに実現している。その瞬間に当事者同士の贈与のやりとりはすでに完了しているとも言えそうですよね。18年後はおまけであって、お年玉付き年賀状みたいなものです。

ーーー

そして、この話は他にも結構メリットがあることでもありまして。

たとえば、僕がこれからも生きていれば、そんな「祝い」の場面には何度も直面する。

つまり、これからも数百万円程度のお金は、この結婚祝いと出産祝いみたいな形で他者に贈り続けることは確実なのだから、そのために捻出するお金を先回りしてそのような贈答に適したものに「先払い」して準備しておく違和感もまったくないわけです。

つまり、将来の自分の必要経費だと思っていれば、初期ミントのタイミングで、それ相応のお金を投じることも全く苦ではないし、違和感もないわけですよね。あくまで将来の贈答に必要なお金を先払いをしているような感覚になるわけですから。

そして大抵の消費行動は「先払い」したもののほうが、満足度は高いのは周知の事実です。

なんなら、それを贈答用としておくる前に価値が上がっている可能性さえあって(うまく設計されれば、間違いなくそうなる)贈るときのタイミングの「額面」の価値で御祝儀を包めるわけですから。

ーーー

web3やトークンエコノミーの面白さは、実はこのあたりにあるんじゃないか。少なくとも個人的には、このようなお金の投資の仕方が、はやく生まれてくるといいなあと思っています。

具体的には、より遠くに遠くにつながる未来に可能性をボンボンと投じられて、それがちゃんと現在とつながっていること。

そうやって、どんどんより遠くに「祈り」や「希望」みたいなものを飛ばせるようになっていることが、これまでには存在しなかった圧倒的なおもしろさのように僕には思えます。

ーーー

言うまでもなく、今はまだまだ一般の人々がウォレット自体を持ち合わせていないから、その実現可能性はかなり低いです。

今日語ってきたような話も、ものすごく絵空事に思えてしまいます。

でも、2024年現在、当たり前のようにPayPayのようなものが広く普及し個人間の送金も簡単になりました。

これは、つい15年ほど前、僕らの大学生のころは考えられなかったこと。だとすれば、これから先に必ずそんな「ウォレット」が浸透した未来が訪れてもまったくおかしくない。

ーーー

そうやって、みんなでその価値を耕したり育んだりしていきながら、新しい命や家族の誕生をコミュニティメンバー全員で祝福することはできるんじゃないか。

そうすれば、これからの若い人たちも、安心して子供を生んだり、結婚したりもできるようになる。ちゃんと家族をつくろうって思えるようになる。

あと、なによりも金銭的な価値以上に、それが「縁のつなぎ目」としてはっきりと残り続ける。

つまり、そこにあとからいくらでもユーティリティみたいな枝葉の部分は、つくれていくはずでもあるんんですよね。実用的なユーティリティもそうだし、人情的なユーティリティもそう。

たとえば、その特定のNFTを持っていれば、人間一人が成長するあいだに必要な育児アイテムがお得にゲットできるとか、それこそ子育てにおいて必要な生活必需品みたいなものが、勝手にエアドロされるみたいなことだってあり得るわけですよね。

あとは、自分が贈ったひとたち全員とのつながりがブロックチェーンに刻まれているわけだから、将来的に築いた資産をそのチェーンを頼りに辿って、再配分することだってできる。

知人友人が生んだ子どもたちが全員我が子のように思えていたら、こんなに嬉しいことはないかと思います。老後に資産が増えていれば、ある種の生前贈与や、遺産配分みたいなものも簡単に可能となるわけですからね。

もちろん、それを保有し続けてくれているという真実がその持ち主本人の信用の担保みたいなものにもつながっていくはずで。

ーーー

そんな社会が本当に早く実現して欲しいなあと思うし、その社会実験ができる基盤が整って欲しいと切に願うからこそ、今日もNFTやトークンエコノミーを触りながら、自分自身がその実験台になっているような気持ちでいます。

いつもこのブログを読んでくださっているみなさんにとっても、今日のお話が何かしらの参考となっていたら幸いです。