最近、山極壽一さんの『京大というジャングルでゴリラ学者が考えたこと』という本を読んでいます。
「大学」と「ジャングル」の話は、自らがサロン運営をしていく中で本当に参考になることばかり。
特に、この本のなかでハッとしたのはフィールドワークには「仮説検証型」と「現場発見型」があること。
そして今、働くにおいても「現場発見型」の取り組みが足りない要素であり、かつ重要な部分なのではないかと。
今日は、そんな話を少しだけ書いてみようかなと思います。
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まずは、該当箇所について本書から少し引用してみます。
ー引用開始ー
教授になっても大学院生を手取り足取り指導するということがなかなかできなかった。アフリカのフィールドに連れて行っても一人で放り出してくるし、論文も単著で書けと言う。院生たちは何と冷たい先生と思ったのではないだろうか。でも、フィールドで一番面白い部分は自分で切り開かなくては、将来独り立ちできないだろうというのが、私の考えだ。学生は私のことなど気にせずに、新しい発見をして独創的な考えを紡げばいいし、ときには大きくテーマを変えたっていい。
私の好きな学問は「仮説検証型」ではなく、「現場発見型」のフィールドワークだ。何かのテーマを持って始めたとしても、そこで発見した現象によって自分に合ったテーマが見つかることが望ましい。もちろん初めてのフィールドで何かと危険や不便に直面するだろうから、教員はその最低限の便宜を図り、危険に対する備えを教えればいい。後は学生たちが自分の力で切り開く世界だ。その考えはいまでもあまり変わっていない。
引用元:『京大というジャングルでゴリラ学者が考えたこと (朝日新書)』
ー引用終了ー
これは学問に限らず、「働く」においても全く同じことが言えるなあと思うのです。
いま、多くの企業は「仮説検証型」を行える人材を求めています。会社の大きなビジョンがまず存在し、そこに向かって、ひとりでPDCAを回せる社員が優秀な社員だと重宝がられています。
実際に、そんな人々がビジネスを拡大させ、会社の発展に寄与してくれるのだから、企業がそのような人材を高待遇で迎えるのも当然のことだと思います。
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しかし、僕は「はたらく」って決してそれだけじゃないと思うのです。
自らが夢中になってしまうこと、現場で実際にチャレンジしてみる中で新たな発見(問い)が見つかってしまい、興味関心がドンドン横にズレていってしまうこともある。
そして、そのズレからしか生まれないダイナミズムも間違いなく存在していると思います。
「運命的に何かに出会ってしまう」って、本来そういうことだと思うから。
突然私の目の前に置かれてしまった「贈り物」に気づく能力と言い換えてもいいのかもしれません。その偶然を「必然だった」と未来の視点に立ってみて読み替える力です。
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そして、いま多くの人に足りないのはこのズレから生まれてくる「贈り物」に気づく視点なのではないのかなと。
会社のビジョンだけに縛られていると、それを無意識のうちに見落とすように行動づけられてしまう。
なぜなら、会社にとっても、職業人としての自分にとっても、それは大変都合が悪いことだから。ノイズだと感じて、積極的に排除する。
それよりも、最初につくった事業計画書通りに、事を進めることができるようにと無意識的に行動を制限してしまう。
会社のために、自分の目の前に届けられた「贈り物」を見落とすことができる人だけが、プロフェッショナルと呼ばれるようになってしまっているのが、今の社会のような気がします。
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だからこそ、会社ではそのような「仮説検証型」で働いている方であっても、このサロン内の活動では積極的に「現場発見型」を実践してみていただきたいなあと願っています。
出会ってしまった結果として、自分の中に自然と立ち現れてしまう何か、それが自らの人生を駆動していくのだから。
そうなると、人はもう止まりません。多少の困難さえ、楽しみに変えてしまう。
そもそもこれから何が起こるのか、ある程度予測がついていることばかりでは、人は成長していきません。
何があるからわからないからこそ、人は未知の出来事に挑戦していく。
自らの直観に従い、人生というジャングルの中に分け入っていく。
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このWasei Salonでは、そんな「現場発見型」の取り組みを、積極的に応援していきたいと思っています。
それが今の世の中で、圧倒的に足りないことだから。
今日のお話がいつもこのブログを読んでくださっているみなさんにとっても何かしらの参考となったら幸いです。
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今月開催される体験会イベントはこちら。
2021/11/19 11:59