僕らは何か新しい知識を学びたいと願うとき、無意識のうちに「スキルを身につける」といった表現をしてしまいます。

それはまるで新しい武器を装備するかの如く、何かを付け足し、勇猛果敢に戦場に出向いていくような様子を想像させます。

この考え方をベースにすると、資産について考える時も、当然「有形資産」がベースになる。

自己の持ち物(資産)を増やし、他人に盗まれたり搾取されたりしないように必死に守ることが最重要視されるでしょう。

これは、とても西洋的は価値観のように僕は感じます。

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一方で、禅の中には「薫習(くんじゅう)」という考え方があるそうです。

薫りのように、智慧を纏う。

この場合の学びや習いは、自らの身体に薫りが染み付いてしまうように、習っていくうちに自然と身についてしまうものという考え方なのでしょう。

そして、一度身についた薫りは、自らが自然と醸し出すものになっていく。

身につけていることさえ意識しないし、相手にも意識させない。

この価値観からすると、上述した資産についても、一度身についたらなかなか離れない「無形資産」が中心となってくるはずで、そもそも他人に盗まれるという概念さえなくなっていくでしょう。

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僕はこの「薫習」という考え方を知ったとき、なんだかとてもハッとしてしまいました。

この考え方で習えば、日々の生活すべてが学びにつながるような気がしたからです。

そして、実際に「薫習」を意識することで、至るところに学びのタネが転がっているように感じてくる。

そこにオンオフのスイッチは存在せず、

自分がどのような場に身を置き、どのような場をくぐっていくのか?


それによって、自然と身に纏う薫りも変わっていくのだろうなあと。

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だからこそ、いい薫りに誘われるように日々学んでいきたいし、いい薫りを身体に染み付かせていくように日々生きていきたい。

今日はかなり抽象的な話となってしまいましたが、今はこの価値観がとても大切なような気がしています。

いつもこのブログを読んでくださっているみなさんにとっても今日のお話がなにかしらの参考となったら幸いです。